今回の一語は静慮です。
前回の般若心経 一語一会その2で書いた凝念がマスターできたら今度は
静慮です。
凝念がマスターできたと自称しても、組んだ膝の痛みに一心に耐えるという
ことで、痛み以外に心が散乱するのを止めた、などというのはだめです。
これでは次の静慮には進めません。
心の作用を止滅させることを目的とした修練であるヨーガでは凝念、静慮、
三昧の修行の前に座法という膝の組み方もキチンと示しています。
座禅をやる方もひたすら座る前に、この座法をマスターされたほうが良い
と思います。
このことも、般若心経 般若波羅蜜多の巻その9でご紹介しました。
さて、静慮ですが、同じ般若心経 般若波羅蜜多の巻その9では
「静慮とは同一の場所を対象とする想念が一筋に伸びていくことである」
と紹介しました。
さらに、一点を見つめている時と同じような明瞭さを保ちながら極限まで
展開していく。
と書きましたが、これだけでは解り難いでしょう。
今木に止まっている一羽の鳥を想ってください。
その鳥の姿、形を明瞭に思い浮かべます。
尻尾がすずめより長くて細い。
身体に比べて長い足。
くちばしは短く小さい。
その目の周りは白い。
羽毛の色は背中から羽にかけては黒で胸から腹にかけては白い。
よく観ると首の周りは黒ではなくて濃い紺か紫である。
足は白くて鱗のような細かい皮膚がありありと見える。
羽一本一本の毛の筋までありありと目に描く。
まず、この鳥が目の前でちーちー囀っているのをじっと見つめている
と同じ姿を目をつぶっても頭の中に描くことができるようにする、
というのが第一歩であるということでしょう。
そこから始まって、産卵、雛をかえす有様・・・・・といった、
その鳥に関するあらゆる事柄に思いを寄せて、
同心円か螺旋状に関連の概念を展開させていく。
その間、念はもとの目に描いた鳥の姿一点を見据えたまま
という状態を保つ。
それも、塵一つ落としたほどの波も立てない水面のように
静かな心の状態を保ちつつ。
欲しいものを手に入れるためには、絶対に必要な第一段階の能力です。
ゲーテはバラの花を一目見て目をつぶり、目の中で花びらの数を数える
ことができたといいます。
芸術家は画家でなくてもこのくらいのことはできたようです。
このようなことができるのも、凝念の段階で心の散乱を止め、
一点に念を集中させ、他の雑念が入り込んでくるのを長い時間止める
ことができるからです。
頭の中の静慮即ち想念を遮られることもなく、
心が何ごとにひっかかることもなく、
一筋に想念を伸ばしていくことができるからです。
これで極限まで静慮を進めることができるでしょう。
脳の働きが何のゆがみもない鏡のように研ぎ澄まされた後に
静慮が可能であるということは誰にでもわかるでしょう。