今回の般若心経 一語一会は「深」です。
般若心経の冒頭「観自在菩薩 行 <深>般若波羅蜜多時・・・」
と、ある、あの深です。
何の変哲もない語ですが、これを翻訳するに当たって、
「観自在菩薩は深い般若波羅蜜多を行じているときに」などと、
うわべだけをなでるような訳をしていては般若心経を理解すること
などはとても無理でしょう。
般若心経 般若波羅蜜多の巻その9で見たように瞑想には八つの段階が
あります。
さらに、その先にお釈迦様の瞑想があることも見てきました。
それらは連続して深まっていき、その境界はどこにあるかは明確では
ありません。
しかし、だんだん深まるにつれ見えてくる世界が広がっていき明瞭になる、
ということは想像がつきます。
でも、行を行じているときは、どこまで深まっているのか、その段階は
行じている人にはわからないであろう、と思われます。
そこに到達して初めて「こんな深いところがあるんだ !」と、気が着く、
といった性格のものでしょう。
観自在菩薩は日々般若波羅蜜多を行じておられました。
でも、その先に何が起こるかはわからなかったでしょう。
ですから、観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行じていたのではないのです。
五蘊皆空と照見してから後に普段の般若波羅蜜多より深かった、
と気がついたということでしょう。
どのくらい深かったか、それは五蘊皆空と照見し、度一切苦厄してしまう
ほど深かった。
その深さを理解するには、「照見」という語と「度一切苦厄」という語句の
意味を理解しなくては理解できません。
それはまた、次回以降に書きます。