今回、般若心経 一語一会その7は「照見」です。


照見という字は二つの意味を読み取らなければいけません。


一つの意味は「二つ以上のもの、世界など」を一対一で照らし合わせて

観る、という意味。

もう一つの意味は、闇に潜んでいるものを全部明るみに出す、という意味

です。


前回の般若心経 一語一会で見たように、般若波羅蜜多を観自在菩薩が

行じていると、突然行が深まり、いままで見えなかった世界が見えてきた。


それまで、闇に潜んでいた、隅々の様子が光に照らされて明らかに

なってきた。


その世界と、これまで明らかに見えていた世界を、ともどもに見比べて

いくうちに、現実の世界にあるものがつぎつぎに、今明らかになった

世界に消えていく。


消えていってはまた、おなじところに少し姿を変えて現れる。

現れてはまた消える。


一瞬、一瞬、変化しては現れ、消えては変化する。

一時もその変化は止まることがない。


見渡せば、現実の世界にあるものは、みな同じように、一瞬も、

止まることなく、消えては変化して現われ、再び三度消える。

それを観ている自分の感覚も同じように消えては現れ、現れては消える。


眼も耳も舌も身も意識も全部、今現れた世界と現実の世界を消えたり、

現れたりしながら二つの世界を行き来している。


すべての現象がそうである。諸行無常である。


観自在菩薩は静慮の過程を経てこの様子を見ていますから、

宇宙世界はさざなみ一つ立たない水面を見る如くすべてを写します。

そして観自在菩薩は、遂に三昧に至り、その観ている対象である現象に

同化します。

観自在菩薩が両世界の隅々にまで、その身を遍満させたのです。


ですから科学的な観察の未解決な部分まですべて見究めていた

のでしょう。


こうして、すべての現象を観自在菩薩は観たのです。


いや、この二つの世界を行き来し、すべての現象が起こり、変化していく

状況を自在に観ることができるようになったから観自在菩薩になられた

のでしょう。


観自在菩薩はすべてを知り、全知者になられたのです。


ではその観た結果はどうなったでしょうか、それは次回に書きます。