今回は観自在菩薩がすべての事象を見た結果どうなったか、
というところから語の説明を進めます。
度一切苦厄では語の説明ではなく、語句の説明になってしまいますが、
あとで分解した語についても必要と思われる事柄を説明します。
観自在菩薩はすべての事象、現象を観た結果、一切の苦厄を度して
しまったのです。
この「度一切苦厄」は般若心経 般若波羅蜜多の巻に書きましたが、
翻訳者・玄奘が挿入したもので、もともと般若心経には無かったものです。
何故玄奘がこの語句を挿入したか。
その謎については、般若心経 般若波羅蜜多の巻その5、
般若心経 般若波羅蜜多の巻その6、
般若心経 般若波羅蜜多の巻その7に詳しく書きました。
ここではその意味です。
一語ずつ説明します。
「度」というのは渡すということです。
「度」は「渡」という字と同じです。
ですから、一切の苦厄を渡してしまった、という意味です。
どこへ渡してしまったかというと、空の世界を通じて彼岸へ渡して
しまったということでしょう。
こうなれば、もう二度とこの世には苦厄は生じませんから。
度という字はまた「すくう」とも読みます。
ということで、一切の苦厄を空の世界を通じて彼岸に渡してしまい、
一切の苦厄から観自在菩薩はすくわれたということになります。
「苦」とは五感と意識で知覚したいという願望で、すべてを知るまでは
この願望は消えません。
この願望が残っている間は何遍でも輪廻転生します。
この限りない願望のために苦厄は生ずるのです。
こうして苦厄を彼岸に渡してしまった観自在菩薩は
心が罣礙されるものも無く、恐怖も無く、一切の顛倒夢想を離れ、
安んじて涅槃を究竟することができるようになったわけです。
般若心経にはそう書いてあります。
ここで「一切」とはすべてという意味です。
それだけでなくすべての空間、すべての時間、
そこに含まれているすべての存在をいいます。
もちろん過去現在未来を包含したすべてです。
観自在菩薩はこのとき過去現在未来のすべての苦厄を彼岸に渡して
しまったのです。
この一切という字が現実の世界、空の世界、阿耨多羅三藐三菩提の
世界を含んだ過去現在未来の世界である、ということは
般若心経 般若波羅蜜多の巻その8で示した
「短くなった般若心経」を見れば明らかです。
五蘊皆空と照見したとき、同時に究竟涅槃、すなわち究極の涅槃と
過去現在未来の三世の諸仏が般若波羅蜜多に依って
阿耨多羅三藐三菩提を得たのを照見した、とあります。
空の世界については、般若心経 空の巻で詳しく説明してあります。
「一切」と「苦」についてはもう一度取り上げます。