今回は「受」です。


受は受想行識の受であり、十二因縁の一項目の受です。


受とは人間の脳が事物を認識する作業の一段階です。

眼や耳を通して外部からの刺激を脳が受け、それを必要な脳内の作業を経て

認識するに至る。


その一段階です。


辞典には<痛><覚>とも訳され、根と境と識との触から生じる

印象・感覚をいう。とあります。


根とは眼耳鼻舌身意の感覚器官であり、境とは色声香味触法の認識の対象

のことであり、識とは脳の視床で行う識別作用のことです。

触とは存在を確認するための接触ということです。


それにしても、古代にあって根、境、識などと認識作用を分析してよくも

このように精密に見究めたものだと驚嘆します。


ちなみに、般若心経・金剛般若経(岩波文庫 中村 元・紀野 一義訳)

の註には『vid(知る)からつくられた語である。本書では「感覚」と

訳しておいた。

「感受するから受といわれる。なにを感受するかというと、楽を感受し、

苦を感受し、不苦不楽を感受する」』とあります。


「なにを感受するかというと楽を感受し」以下は説明がずれていって

しまうような気がします。


「知る」という語からつくられた、ということから苦楽がでてきてもいい

のですが、人間の脳は「知りたい」という欲望が五蘊皆空と照見する

まで続くと般若心経にはあります。


人はその欲望達成を病老死によって挫折することを余儀なくされ、

再び三度この世に生まれかわってくるわけです。

それを苦といったわけです。


ここはその苦に至る過程です。

知るに至る段階でもまだ形あるものを認識する途中であり、

形あるものへの認識を進め、選択をする前の段階です。


このことは般若心経 一語一会その10―苦―でも、

般若心経 空の巻その8にも書いたとおりです。


脳の働きは現代では古代と比べるとはるかに精密に

わかっています。


ですから、現代の科学知識に照らして理解したほうが

かえって仏教界に通用している専門用語をさしはさんで

理解するよりもわかりやすいでしょう。


空の理解に仮想空間を持ち込むことも、こうすることで空の意味が

明確になり般若心経に書いてあることが理解しやすくなるでしょう。


特に現代の若者にとっては分かりやすくなるでしょう。


若者たちは自分たちが実際に住んでいて、呼吸をし、ものを食べて、

生きている空間のほかにIT空間という別の空間を持っていて、

そちらの空間にも自在に出入りして生活を繰り広げています。


ですから、空の世界とはIT空間と同じだよといってやれば、

若者は簡単に空を理解するでしょう。


IT空間に住んでいる友人とおなじものを買うのに

IT空間を通じて支払い、IT空間に向かって発注します。

数日するとIT空間から現実の商品が手元に届き、

眼で確認でき、手で触ることができる物が自分のものになります。


まさに空の世界はIT空間にぴったり重なり合うではありませんか。


今の若者は「空即是色」を指先一本で実現します。