前回 、目次 、登場人物 、あらすじ
時計の針が夜中を指した。
隠れ家に戻っていたミーシャは、小腹が減り、目を覚ましてしまった。
ベットから起き、部屋を出て台所へ行く途中、シェインの部屋から明かりが漏れているのに気が付いた。
夜中の静寂の為、酒瓶がグラスに微かに当たる音が廊下まで漏れた。
シェインは寝付くことが出来ず、酒を一人で呑んでいた。
あることが気になっていたミーシャだが、シェインの部屋には寄らずにそのまま台所へ行き、冷蔵庫から林檎を取り出し、囓った。
ふと目を窓を覗くと、プライベート・ビーチから小さな灯りが見えた。
目を凝らして見たらば、木製のベンチに座っていた山本がタバコを吸っている姿が浮かび上がってきた。
ミーシャは台所のドアを開け、外へ出ると、山本の方へ歩いた。
山本はミーシャが林檎を持っているのを見付けた。
「よう、ミーシャ。夜食を食べていたのか。俺は大仕事をすると、どうも精神が興奮しまって、寝付きが悪いんだ。その時は、こうやって星空を眺めているんだ。そうすると、気持ちが静まるんだ。」
「星空か。」
ミーシャは空を見上げた。
雲一つ無い空には、目映いばかりの星空が煌めいていた。
夜空をじっくりと眺めたのは、子供の時以来であった。
ふと、ミーシャは、山本が何時も吸っているマルボロでは無く、珍しい銘柄のタバコを吸っている事に気が付いた。
「どこかで嗅いだ臭いだ。」
「これか?愛煙家のスワンスン夫人からの貰い物さ。ダラムという銘柄だ。旨いが高いタバコだから、たまにしか吸わないんだ。夫人は面白い人だろ。暑いのが好きという理由で、夏期休暇を過ごす場所に真夏のマイアミを選ぶんだからね。セレブは、イタリアのコモ湖やスイスのサンモリッツ湖畔の様な避暑地へ行くのにさ。」
「男選びもな。スワンスン夫人は、俺達の正体を薄々知っているんじゃ無いか?いくらシューティングゲームの仲間と嘘付いても、何回も接すれば普通の人間とは違うと察するだろう。」
「それは心配しなくて平気さ。夫人は大らかな人だ。例え俺達の正体がばれても、決して通報したりしない。」
「どうして分かる?」
「夫人に聞けば詳しく教えてくれるけど、夫人が子供の頃に親父さんが50年代の赤狩りに遭って、一家共々アメリカを追放された過去があるんだ。それ以来、政府とFBIを嫌っている。」
「それなら、心配はいらないな。お前は多くの事を知っているな。シェインが重宝する訳だ。なあ、シェインの事は知っているか?」
「元刑事で、薬剤師をしている位だ。それ以上の事は知らない。知る気も無い。『好奇心は猫を殺す(Curiosity killed the cat)』という英語の諺がある様に、無闇に首を突っ込んだら、命が幾つあっても足りないよ。程々が肝要さ。」
「それもそうだが、ドーンとかいう女性の事がどうしても気になって。」
山本がミーシャに目配せをした。
ミーシャの背後から、シェインがやって来たのだ。
「お前達ここにいたのか。話がある。俺の部屋へ来い。」
先程まで飲酒していたため顔は赤くなっていたが、足取りはしっかりしていた。
ミーシャ達がシェインの部屋へ行くと、既にエドワードが待っていた。
「深夜遅くに悪いが、さっきジョーニーから連絡が入った。何でも屋がジュリアンに事件当夜の映像の事を密告した。奴が彼女に接触したんだ。」
シェインが、ミーシャ、エドワード、そして山本に報告した。
「ジョーニーを生かして正解だったな。あの女は何かと役に立つね。」
山本が言った。
シェインは肯いた。
「思わぬ収穫だった。今後も利用させて貰う。遅かれ、早かれ、映像の事はジュリアンに漏らす計画だった。何でも屋の店主が、あっさり吐くとはな。離婚通知されたのが余程応えたのか。」
「映像は?」
ミーシャが問うた。
「俺達が見た後は、ジョーニーが又金庫にしまった。彼女はジュリアンに、『亭主が金庫の暗証番号を勝手に変えてしまい、色々と試したが開けることは出来なかった。金庫の中身は知らない。』との話を信じ込ませている。ジュリアンは彼女に金庫を見せてくれと頼んだが、彼女は断った。『もしかして、浮気現場の証拠が隠されているんじゃないか』と言って。」
「芝居の上手い女だ。」
山本はからっと笑った。
シェインも釣られて笑った。
「ジュリアンはまんまと騙され、正直にイサオが撃たれた事件当夜の映像が金庫の中に保管されていると旦那からの証言を得たから、金庫を引き渡して欲しいと言った。そこで、ジョーニーは明日の朝早くに金庫を渡すことに承諾した事にした。場所は、ジョーニーが借りている家だ。ジュリアンが、ブライアンやFBI捜査官達を引き連れてやって来るそうだ。」
「明日から大きく動くな。ニックに逮捕状が出るか。」
ミーシャは顎に手をやった。
「まだそこまではいかないだろう。映像にはイサオを撃った瞬間は写っていない。最重要参考人として、FBIは追う筈だ。」
「では、この前の打ち合わせ通り、ブライアン達がニックに目を奪われている隙に、俺達はブライアンとニンジャの家族を倒すのだな。」
エドワードは確認した。
「そうだ。殺し屋達に心してかかるように伝えてくれ。」
3人は、大きく頷いて部屋を出ようとした。
「ミーシャ、ちょっと話がある。夫人の事だ。」
シェインは、ミーシャを呼び止めた。
山本とエドワードが部屋を出て、部屋のドアが閉まった後、ミーシャは口を開いた。
「夫人の事か?彼女とは割り切った関係だ。俺が彼女から離れても問題は起きない。それに、彼女はFBIが嫌いだから、足を引っ張られることも無い。」
「それは山本から話を聞いている。二人に悟れられないように、『夫人の事で話がある』と言ったまでだ。ミーシャ、ドーンの事が気になるんだろ。」
ミーシャはハッとした。
「聞いていたのか。」
「風下にいたから、話が聞こえてきたんだ。ミーシャ、君は依頼人でもあるし、同志でもある。だから、君だけに話す。10年前、病気を知らずに移した事に責任を感じてドーンは、俺の元から去って、遠くの街へと流れて行った。ニックは俺の為に、ドーンを探し出してくれ、彼女を説得してくれた。ここまでは、知っているな。それから、彼女は俺の元へ戻って来てくれた。嬉しかったよ。今でもその時の事を思い出すと、胸が熱くなる。」
シェインは言葉を詰まらせた。
「そして俺達は結婚した。ニックが立ち会ってくれた。それからの俺は、表では薬剤師として働き、裏では秘密結社の一員として活動した。麻薬売人の元愛人であったドーンを妻にした事で、秘密結社の連中は苦い顔をした。俺は必死に秘密結社の為に尽くした。初めはニックしか味方がいなかったが、徐々に信頼も回復して、理解してくれる同志も増えていった。リーダーのルドルフもその一人だ。しかし、前リーダーのウェルバーは、最後まで彼女の事を認めなかった。」
「最後まで?」
「ああ、2年前にドーンが病死した時も、冷淡な態度だった。」
ミーシャに衝撃が走った。
「ドーンは、秘密結社の存在について薄々知っていたと思う。死ぬまでその事を口にすること無く、俺を支えてくれたし、前の女房の所へ去った娘と俺との絆を再び結んでくれたりもした。本当に最高の妻だ。俺もドーンの為ならばと思い、ここまで来た。だから、俺達を祝福してくれたニックが、俺を裏切った事がどうしても信じられなかった。いや、信じたくなかったんだ。」
ミーシャは黙って聞いていた。
一緒に行動して数ヶ月になるが、初めてシェインの内面に触れた気がした。
「娘も立派に成長して、フランクフルトで働いている。再び一人になった今の俺にとっては、秘密結社だけが心の拠り所なんだ。これからブライアンとの闘いが待っている。だからこそ、心の蟠りを取りたかった。話を聞いてくれるだけで心が軽くなったよ。有難う、ミーシャ。」
シェインの顔は晴れ晴れとしていた。
=====
ブライアンが宿泊している高級ホテルに、ジュリアンは何でも屋の店主を連れてやって来た。
深夜でも、ブライアンの黒い瞳は冴えていた。
「事件当夜の映像は、偽造されたものなのか。お陰で、FBIの俺に対する信用が落ちたぞ。」
ブライアンの声のトーンから、怒りを抑えていることが分かった。
「許して下さい。俺も奴を信用し過ぎて、調べなかった責任があります。ほらっ、お前からも詫びを入れろ。」
ジュリアンに促されて、何でも屋の店主は頭を下げた。
「申し訳ありません。ニックとは長い付き合いなんです。彼の頼みをどうしても断れなくて・・・。」
「今頃になって、何言っているんだ。お前だって、浮気のアリバイ工作にニックを使っただろ!ニックと会っていたと嘘をついて、裏でこっそりと浮気相手と会っていたじゃないか。その見返りに、ニックに頼まれたお前は事件当夜の防犯カメラの映像を隠して、偽造したものをブライアンに提供したんだろ。」
ジュリアンの厳しい言葉に、何でも屋は「そうだ。」と弱々しく答えた。
チャイムが鳴った。
「コリンとデイビットが到着したな。」
ブライアンがドアを開けると、2人が入ってきた。
「事件当夜の映像が隠されていたんだって?!早く見せて!」
コリンも気が立っていた。
「話を聞くのが先だ。」
デイビットはコリンを落ち着かせた。
「済みません。急に夜中にお呼び立てしまって。」
ジュリアンは平身低頭して謝った。
「緊急事態だもの。気にしないでよ。所で、何でも屋の店主は?」
コリンは部屋の中を見渡した。
「お久しぶりです・・・。貴方がいらした時、正直に言えなくて申し訳ありません・・・。」
奥のソファに座っている何でも屋の店主の姿は、以前会った時とは違い、自信を失い、縮こまっていた。
「何が『正直に言えなくって』だ!お前がもっと早く言ってくれれば、事件はもっと早く解決に進んだんだぞ。」
ジュリアンは再び怒った。
「そうだよ。ニックがロボを連れて行方不明になる前に言ってくれれば良かったのに。」
コリンの言葉に、何でも屋の店主は驚きの声を上げた。
「行方不明?何時から?」
「昨日の午後からだよ。FBIが今朝、ニックに事情聴取する為にトレーラーハウスへ行ったらもぬけの殻だっだんだ。俺達も方々を探したけど、見付からなかった。」
コリンはムスッとしたまま答えた。
「ジュリアン、お前もニックの居所は知らないのか?」
何でも屋の店主の質問に、ジュリアンは首を横に振った。
「ニックの元恋人プリシラが、殺し屋のアルフレッド・ハンと付き合っていたんだ。」
「何て事だ。確か、奴は、イサオさんが病院で秘密結社に襲われた時に、現れた男だろ。そして、猛さんの若い頃の映像をインターネットに流した男でもあると聞いている。」
「そうだ。ニックとアルフレッドは、意外な所で接点があったんだ。プリシラは、彼らが一緒の所を見ていないし、紹介もしていない。だが、彼らとは同じダーツバーで会っているんだ。そこで、FBIはダーツバーを調べた。従業員の一人が、今年の初め頃に彼らが一緒の席で酒を呑んでいるところを目撃していた事が判明した。」
ジュリアンは、FBIがニックを探している経緯を説明した。
何でも屋の店主は驚いた表情のままだった。
「お前は、そこまで知らなかったのか。」
何でも屋の店主は『全く』とだけ答えた。
「じゃあ、小型拳銃の件は?ニックに頼まれて、小型拳銃用の弾を大量に買ったよね。」
コリンは睨み付けるように店主を見た。
店主はドキッとして、下を向いた。
コリンは怒りをぶつけたつもりであったが、その視線の中に人心を混乱させる色気も含まれていた。
ブライアンはコリンの妖しい視線を初めて見た。
『恐ろしい一面を持ってる。裏社会で培われたものか。』
「落ち着け、コリン。」
デイビットはコリンの肩に手を遣ると、コリンは我に返った。
店主は小さな声で話した。
「はい。今年に入ってから、ニックに頼まれました。金も渡されて。私も同じ拳銃を持っていたから、少し分けて貰いました。」
「何に使うかは言ってなかった?」
「ただ買ってくれと言われただけです。私も仕事柄、理由を聞きませんでした。」
「小型拳銃を買った事については?」
「ニックは一度だけ店で小型拳銃を見せてくれました。ニックは昔から持っていたものだと言っていましたが、新品同然に綺麗でしたので、恐らく、私に弾の購入を頼む直前に、何処かで手に入れたのでしょう。」
「刑事が小型拳銃を買うのは、ごく普通の事だ。不審な事では無い。コリン達がいくら街中の銃器店を探し回っても、引っかからない訳だ。改めて、ニックが小型拳銃を買った経路を探さねばなるまい。先ずは、事件当夜の映像を見なければな。ジュリアンがジョーニーの居場所を突き止め、連絡を入れてくれた。事情を理解した彼女は、明日の朝早くに我々を迎え入れて、映像を入れてある金庫を渡しくれるそうだ。そこで映像を見ることも許可してくれた。勿論、向こうの家族と弁護士との立ち会いの元でな。」
ブライアンの言葉に、店主は落胆した。
「弁護士?」
「ジョーニーはまだ金庫の中身を疑っている。無理もない。さあ、出発までまだ時間がある。休むぞ。」
ブライアンは内線電話を掛け、ボーイに簡易ベッドを持ってくるように指示した。
明け方近くなり、寝室で仮眠を取っていたブライアンは目を覚ますと、シャワーを浴び、身支度を整えた。
リビングルームへ出ると、男達は簡易ベッドで横になっていた。
「早いな。俺も汗を流させて貰う。」
デイビットが小声でブライアンに声を掛けた。
ブライアンはコリンへ目をやった。
うつ伏せでぐっすり寝ていた。
「さっきと違って穏やかな表情だ。」
「これが本来のコリンの姿だ。イサオの事件が片付けば、二度とあんな目付きをしなくて済む。」
デイビットはコリンを優しく見詰めた。
「その通りだ。時間は掛かろうとも、何としてもイサオを撃った犯人と秘密結社を捕まえてみせる。」
その時であった。
ブライアンのiPhoneが振動した。
メールが入ったのだ。
ズボンのポケットからiPhoneを取り出し、メールをチェックした。
ブライアンが懇意にしていて、今日一緒にジョーニーの家へ行く予定のFBI捜査官からであった。
『上司が倒れた。追って連絡する。』
続き
時計の針が夜中を指した。
隠れ家に戻っていたミーシャは、小腹が減り、目を覚ましてしまった。
ベットから起き、部屋を出て台所へ行く途中、シェインの部屋から明かりが漏れているのに気が付いた。
夜中の静寂の為、酒瓶がグラスに微かに当たる音が廊下まで漏れた。
シェインは寝付くことが出来ず、酒を一人で呑んでいた。
あることが気になっていたミーシャだが、シェインの部屋には寄らずにそのまま台所へ行き、冷蔵庫から林檎を取り出し、囓った。
ふと目を窓を覗くと、プライベート・ビーチから小さな灯りが見えた。
目を凝らして見たらば、木製のベンチに座っていた山本がタバコを吸っている姿が浮かび上がってきた。
ミーシャは台所のドアを開け、外へ出ると、山本の方へ歩いた。
山本はミーシャが林檎を持っているのを見付けた。
「よう、ミーシャ。夜食を食べていたのか。俺は大仕事をすると、どうも精神が興奮しまって、寝付きが悪いんだ。その時は、こうやって星空を眺めているんだ。そうすると、気持ちが静まるんだ。」
「星空か。」
ミーシャは空を見上げた。
雲一つ無い空には、目映いばかりの星空が煌めいていた。
夜空をじっくりと眺めたのは、子供の時以来であった。
ふと、ミーシャは、山本が何時も吸っているマルボロでは無く、珍しい銘柄のタバコを吸っている事に気が付いた。
「どこかで嗅いだ臭いだ。」
「これか?愛煙家のスワンスン夫人からの貰い物さ。ダラムという銘柄だ。旨いが高いタバコだから、たまにしか吸わないんだ。夫人は面白い人だろ。暑いのが好きという理由で、夏期休暇を過ごす場所に真夏のマイアミを選ぶんだからね。セレブは、イタリアのコモ湖やスイスのサンモリッツ湖畔の様な避暑地へ行くのにさ。」
「男選びもな。スワンスン夫人は、俺達の正体を薄々知っているんじゃ無いか?いくらシューティングゲームの仲間と嘘付いても、何回も接すれば普通の人間とは違うと察するだろう。」
「それは心配しなくて平気さ。夫人は大らかな人だ。例え俺達の正体がばれても、決して通報したりしない。」
「どうして分かる?」
「夫人に聞けば詳しく教えてくれるけど、夫人が子供の頃に親父さんが50年代の赤狩りに遭って、一家共々アメリカを追放された過去があるんだ。それ以来、政府とFBIを嫌っている。」
「それなら、心配はいらないな。お前は多くの事を知っているな。シェインが重宝する訳だ。なあ、シェインの事は知っているか?」
「元刑事で、薬剤師をしている位だ。それ以上の事は知らない。知る気も無い。『好奇心は猫を殺す(Curiosity killed the cat)』という英語の諺がある様に、無闇に首を突っ込んだら、命が幾つあっても足りないよ。程々が肝要さ。」
「それもそうだが、ドーンとかいう女性の事がどうしても気になって。」
山本がミーシャに目配せをした。
ミーシャの背後から、シェインがやって来たのだ。
「お前達ここにいたのか。話がある。俺の部屋へ来い。」
先程まで飲酒していたため顔は赤くなっていたが、足取りはしっかりしていた。
ミーシャ達がシェインの部屋へ行くと、既にエドワードが待っていた。
「深夜遅くに悪いが、さっきジョーニーから連絡が入った。何でも屋がジュリアンに事件当夜の映像の事を密告した。奴が彼女に接触したんだ。」
シェインが、ミーシャ、エドワード、そして山本に報告した。
「ジョーニーを生かして正解だったな。あの女は何かと役に立つね。」
山本が言った。
シェインは肯いた。
「思わぬ収穫だった。今後も利用させて貰う。遅かれ、早かれ、映像の事はジュリアンに漏らす計画だった。何でも屋の店主が、あっさり吐くとはな。離婚通知されたのが余程応えたのか。」
「映像は?」
ミーシャが問うた。
「俺達が見た後は、ジョーニーが又金庫にしまった。彼女はジュリアンに、『亭主が金庫の暗証番号を勝手に変えてしまい、色々と試したが開けることは出来なかった。金庫の中身は知らない。』との話を信じ込ませている。ジュリアンは彼女に金庫を見せてくれと頼んだが、彼女は断った。『もしかして、浮気現場の証拠が隠されているんじゃないか』と言って。」
「芝居の上手い女だ。」
山本はからっと笑った。
シェインも釣られて笑った。
「ジュリアンはまんまと騙され、正直にイサオが撃たれた事件当夜の映像が金庫の中に保管されていると旦那からの証言を得たから、金庫を引き渡して欲しいと言った。そこで、ジョーニーは明日の朝早くに金庫を渡すことに承諾した事にした。場所は、ジョーニーが借りている家だ。ジュリアンが、ブライアンやFBI捜査官達を引き連れてやって来るそうだ。」
「明日から大きく動くな。ニックに逮捕状が出るか。」
ミーシャは顎に手をやった。
「まだそこまではいかないだろう。映像にはイサオを撃った瞬間は写っていない。最重要参考人として、FBIは追う筈だ。」
「では、この前の打ち合わせ通り、ブライアン達がニックに目を奪われている隙に、俺達はブライアンとニンジャの家族を倒すのだな。」
エドワードは確認した。
「そうだ。殺し屋達に心してかかるように伝えてくれ。」
3人は、大きく頷いて部屋を出ようとした。
「ミーシャ、ちょっと話がある。夫人の事だ。」
シェインは、ミーシャを呼び止めた。
山本とエドワードが部屋を出て、部屋のドアが閉まった後、ミーシャは口を開いた。
「夫人の事か?彼女とは割り切った関係だ。俺が彼女から離れても問題は起きない。それに、彼女はFBIが嫌いだから、足を引っ張られることも無い。」
「それは山本から話を聞いている。二人に悟れられないように、『夫人の事で話がある』と言ったまでだ。ミーシャ、ドーンの事が気になるんだろ。」
ミーシャはハッとした。
「聞いていたのか。」
「風下にいたから、話が聞こえてきたんだ。ミーシャ、君は依頼人でもあるし、同志でもある。だから、君だけに話す。10年前、病気を知らずに移した事に責任を感じてドーンは、俺の元から去って、遠くの街へと流れて行った。ニックは俺の為に、ドーンを探し出してくれ、彼女を説得してくれた。ここまでは、知っているな。それから、彼女は俺の元へ戻って来てくれた。嬉しかったよ。今でもその時の事を思い出すと、胸が熱くなる。」
シェインは言葉を詰まらせた。
「そして俺達は結婚した。ニックが立ち会ってくれた。それからの俺は、表では薬剤師として働き、裏では秘密結社の一員として活動した。麻薬売人の元愛人であったドーンを妻にした事で、秘密結社の連中は苦い顔をした。俺は必死に秘密結社の為に尽くした。初めはニックしか味方がいなかったが、徐々に信頼も回復して、理解してくれる同志も増えていった。リーダーのルドルフもその一人だ。しかし、前リーダーのウェルバーは、最後まで彼女の事を認めなかった。」
「最後まで?」
「ああ、2年前にドーンが病死した時も、冷淡な態度だった。」
ミーシャに衝撃が走った。
「ドーンは、秘密結社の存在について薄々知っていたと思う。死ぬまでその事を口にすること無く、俺を支えてくれたし、前の女房の所へ去った娘と俺との絆を再び結んでくれたりもした。本当に最高の妻だ。俺もドーンの為ならばと思い、ここまで来た。だから、俺達を祝福してくれたニックが、俺を裏切った事がどうしても信じられなかった。いや、信じたくなかったんだ。」
ミーシャは黙って聞いていた。
一緒に行動して数ヶ月になるが、初めてシェインの内面に触れた気がした。
「娘も立派に成長して、フランクフルトで働いている。再び一人になった今の俺にとっては、秘密結社だけが心の拠り所なんだ。これからブライアンとの闘いが待っている。だからこそ、心の蟠りを取りたかった。話を聞いてくれるだけで心が軽くなったよ。有難う、ミーシャ。」
シェインの顔は晴れ晴れとしていた。
=====
ブライアンが宿泊している高級ホテルに、ジュリアンは何でも屋の店主を連れてやって来た。
深夜でも、ブライアンの黒い瞳は冴えていた。
「事件当夜の映像は、偽造されたものなのか。お陰で、FBIの俺に対する信用が落ちたぞ。」
ブライアンの声のトーンから、怒りを抑えていることが分かった。
「許して下さい。俺も奴を信用し過ぎて、調べなかった責任があります。ほらっ、お前からも詫びを入れろ。」
ジュリアンに促されて、何でも屋の店主は頭を下げた。
「申し訳ありません。ニックとは長い付き合いなんです。彼の頼みをどうしても断れなくて・・・。」
「今頃になって、何言っているんだ。お前だって、浮気のアリバイ工作にニックを使っただろ!ニックと会っていたと嘘をついて、裏でこっそりと浮気相手と会っていたじゃないか。その見返りに、ニックに頼まれたお前は事件当夜の防犯カメラの映像を隠して、偽造したものをブライアンに提供したんだろ。」
ジュリアンの厳しい言葉に、何でも屋は「そうだ。」と弱々しく答えた。
チャイムが鳴った。
「コリンとデイビットが到着したな。」
ブライアンがドアを開けると、2人が入ってきた。
「事件当夜の映像が隠されていたんだって?!早く見せて!」
コリンも気が立っていた。
「話を聞くのが先だ。」
デイビットはコリンを落ち着かせた。
「済みません。急に夜中にお呼び立てしまって。」
ジュリアンは平身低頭して謝った。
「緊急事態だもの。気にしないでよ。所で、何でも屋の店主は?」
コリンは部屋の中を見渡した。
「お久しぶりです・・・。貴方がいらした時、正直に言えなくて申し訳ありません・・・。」
奥のソファに座っている何でも屋の店主の姿は、以前会った時とは違い、自信を失い、縮こまっていた。
「何が『正直に言えなくって』だ!お前がもっと早く言ってくれれば、事件はもっと早く解決に進んだんだぞ。」
ジュリアンは再び怒った。
「そうだよ。ニックがロボを連れて行方不明になる前に言ってくれれば良かったのに。」
コリンの言葉に、何でも屋の店主は驚きの声を上げた。
「行方不明?何時から?」
「昨日の午後からだよ。FBIが今朝、ニックに事情聴取する為にトレーラーハウスへ行ったらもぬけの殻だっだんだ。俺達も方々を探したけど、見付からなかった。」
コリンはムスッとしたまま答えた。
「ジュリアン、お前もニックの居所は知らないのか?」
何でも屋の店主の質問に、ジュリアンは首を横に振った。
「ニックの元恋人プリシラが、殺し屋のアルフレッド・ハンと付き合っていたんだ。」
「何て事だ。確か、奴は、イサオさんが病院で秘密結社に襲われた時に、現れた男だろ。そして、猛さんの若い頃の映像をインターネットに流した男でもあると聞いている。」
「そうだ。ニックとアルフレッドは、意外な所で接点があったんだ。プリシラは、彼らが一緒の所を見ていないし、紹介もしていない。だが、彼らとは同じダーツバーで会っているんだ。そこで、FBIはダーツバーを調べた。従業員の一人が、今年の初め頃に彼らが一緒の席で酒を呑んでいるところを目撃していた事が判明した。」
ジュリアンは、FBIがニックを探している経緯を説明した。
何でも屋の店主は驚いた表情のままだった。
「お前は、そこまで知らなかったのか。」
何でも屋の店主は『全く』とだけ答えた。
「じゃあ、小型拳銃の件は?ニックに頼まれて、小型拳銃用の弾を大量に買ったよね。」
コリンは睨み付けるように店主を見た。
店主はドキッとして、下を向いた。
コリンは怒りをぶつけたつもりであったが、その視線の中に人心を混乱させる色気も含まれていた。
ブライアンはコリンの妖しい視線を初めて見た。
『恐ろしい一面を持ってる。裏社会で培われたものか。』
「落ち着け、コリン。」
デイビットはコリンの肩に手を遣ると、コリンは我に返った。
店主は小さな声で話した。
「はい。今年に入ってから、ニックに頼まれました。金も渡されて。私も同じ拳銃を持っていたから、少し分けて貰いました。」
「何に使うかは言ってなかった?」
「ただ買ってくれと言われただけです。私も仕事柄、理由を聞きませんでした。」
「小型拳銃を買った事については?」
「ニックは一度だけ店で小型拳銃を見せてくれました。ニックは昔から持っていたものだと言っていましたが、新品同然に綺麗でしたので、恐らく、私に弾の購入を頼む直前に、何処かで手に入れたのでしょう。」
「刑事が小型拳銃を買うのは、ごく普通の事だ。不審な事では無い。コリン達がいくら街中の銃器店を探し回っても、引っかからない訳だ。改めて、ニックが小型拳銃を買った経路を探さねばなるまい。先ずは、事件当夜の映像を見なければな。ジュリアンがジョーニーの居場所を突き止め、連絡を入れてくれた。事情を理解した彼女は、明日の朝早くに我々を迎え入れて、映像を入れてある金庫を渡しくれるそうだ。そこで映像を見ることも許可してくれた。勿論、向こうの家族と弁護士との立ち会いの元でな。」
ブライアンの言葉に、店主は落胆した。
「弁護士?」
「ジョーニーはまだ金庫の中身を疑っている。無理もない。さあ、出発までまだ時間がある。休むぞ。」
ブライアンは内線電話を掛け、ボーイに簡易ベッドを持ってくるように指示した。
明け方近くなり、寝室で仮眠を取っていたブライアンは目を覚ますと、シャワーを浴び、身支度を整えた。
リビングルームへ出ると、男達は簡易ベッドで横になっていた。
「早いな。俺も汗を流させて貰う。」
デイビットが小声でブライアンに声を掛けた。
ブライアンはコリンへ目をやった。
うつ伏せでぐっすり寝ていた。
「さっきと違って穏やかな表情だ。」
「これが本来のコリンの姿だ。イサオの事件が片付けば、二度とあんな目付きをしなくて済む。」
デイビットはコリンを優しく見詰めた。
「その通りだ。時間は掛かろうとも、何としてもイサオを撃った犯人と秘密結社を捕まえてみせる。」
その時であった。
ブライアンのiPhoneが振動した。
メールが入ったのだ。
ズボンのポケットからiPhoneを取り出し、メールをチェックした。
ブライアンが懇意にしていて、今日一緒にジョーニーの家へ行く予定のFBI捜査官からであった。
『上司が倒れた。追って連絡する。』
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