あれ~なんで「蜂」に遭遇する事、1日で2回。季節的にまだ先だと思ったのに。

 

 冒険と称しての実家訪問の道のりは、片道250円(バス)+680円(汽車)+徒歩20分

 

 という距離感で孤独死を恐れるあまり、固定電話+携帯電話がつながらないとなると、

 

 不安で仕方ないが、このご時世高齢の方はきちんと策をとっているのも事実で、

 

 する番電話だと積極的に吹き込むスタンスも、反応(折り返し)がなければ、

 

 何かあったんじゃないか?!と、ぁ・・・また前置き。(前説だな)

 

  バス乗車中で、気づかなかったが「蜂」を発見。私が座っている窓周りをウロチョロ。

 

 あーーーーーーーーーーーヤバイナと、席移動。

 

 降りるところまで、ジ――――っと観察姿勢。外に出たいのね~でもその窓はあかないのよね~

 

 と思いつつ、どうぞおとなしくしていてください。移動したならば乗客はパニックになってしまいます。

 

 心の中で祈りながら、結局はそこで鎮座していた「蜂」

 

 そして、汽車に乗り、道中の窓から眺める景色は、田舎なのに車で山菜取りをしているのであろう

 

 けれど、突っ込み多ぃ場面が見受けられ、事故や事件に繋がらないからまだいいのか・・。

 

 と、結局実家についたら主はおらず、すぐに戻る時間もタイミングが良かった。

 

 自宅について、ちょっと回覧板を回すお隣に言っている隙にきた「蜂」

 

 ブーーーンと音が聞こえ、どこだ?!と思い目視したところ、バスの中で見た蜂と同じだった。

 

 すぐに追い出したが、2回も蜂に巡り合うなんて・・。

 

 

 「好きベース」に相反して「嫌いじゃない」という言葉を発しながらも、維持してきた

 

 生活力は、昭和の時代からの払拭という、平成時代の子どもたちへの願いは、

 

 「自己肯定感」とか「承認欲求」を受け止める「親」の立場と「個人」の立場は違うなと

 

 感じるという、感覚ベースの視点は根本的なところからの「そもそも論」が勃発し、

 

 机上の空論の世界観の中に、運よく携わった者からして、あ~~経験と実践と言葉の

 

 操り方は、時代と共に価値観としての変化をどう受け止め、継承とするならば変化は

 

 否めないところを、スルーする方と自分の課題じゃないとスライドさせる方と、それを

 

 受け止める側は・・・という世代になった自分は、退く選択もあるのだよな~と

 

 集団的圧力からの解放は、静かだった・・。からこその後世の行くヘヲ見守る時間と

 

 共有できる部分は、有難いんだけれど、言語統制の部分で、日本語が・・・・・・。

 ちょっと上の方から申すものとして「質の低下」が揶揄として表現されていることに対しての

 

 違和感は否めない。ずっとそうなんだよな~~。そう、きっと私たち世代の前後が発している

 

 「質」の部分は、人口比率にたいしての考察不足というか、プロとかアマチュア部分での

 

 論争なのかな?という位、今では個人主義になり、集団的秩序崩壊もあり、結局は

 

 奴隷なのか支配なのかの開示が浮いてくるのはいいのだけれど、浅いのか深いのか・・という

 

 深い専門家は不快であり、浅い振りを舞う愉快という2極は、選択肢が多い分・・

 

 迷うよな~というところに共感する、自分事に置き換えた時に、年齢は重ねても幼稚という

 

 こども心は、忘れていない。

  人生の先輩の申し出に「逢瀬浸かりました」と、せっせと動く中でわかった事があり、

 

 継承する部分と、別な方法でいかないと継承はできません!と言う事の間で、一旦退くという

 

 選択をしたのは、余りにも歴史が深いプレッシャーかもぉ~という位、残念ながら継承は

 

 厳しい局面だよなという、若い方へのアプロ―チは宣伝不足や今の作業効率化への対応は

 

 高齢者部隊では、ボケたのか?という位ミス多発中。

 

  思い切って指摘するよねw。すごいミス発見!は、私たち世代からすると勘弁してよ~と

 

 初歩的確認不足は、事務局というここの人材が役割を全うしていない?!と、

 

 担う若者がいないとか言い訳しているけれど、頑張りすぎた高齢の方々のプライド問題じゃね?

 

 と、ほどほどラインで引退すればよかったのに・・。という。

 

 ふと、ずっと携わり4年も名前と顔を認知されず、5年目に色々内情を知らされたり、

 

 明かされたりする「信頼」は、今更遅いんじゃ!という中で、任期満了の時点で果たした理由で

 

 退く。

 

  がっ、クレームと言う名の指摘をさせていただきました。