誹謗中傷とか、揶揄とかいわゆる攻撃性の輩に対しての究極、

 

 あなたもこの立場になったらわかるわよ!

 

 というところで、私自身も色々な立場を経験して、管理職となった立場では、

 

 あ~~こういうことね。こういう役割と仕事の整合性は最終的には人柄による

 

 良い循環になり、その立場と存在で成り立つのね~という事がわかり、

 

 半ば向上心強めの私は、事情という事が降りかかり、なくなく退く場面が多く

 

 「もったいない」と別れの言葉を頂き、「私もそう思います!」と返し、

 

 フォローする制度が整っていない中の、先駆者だったなと・・。

 

 モグラのように叩かれない程度で、ぴょこぴょこ社会という名の渦に

 

 出没して、邁進できるのも新しい初老の生き抜き方・・だなと。

 

 いずれ貴方たちも、これを前提に自分だったらどうするかって事を

 

 経験値やら価値観やら色々な事を踏まえての決断は、命の期限と照らし合わせ

 

 どう活用するのか・・という1つの判断材料にする価値はあるのか・・と、

 

 書きなぐりながら思うところでRw,

 実父との論破合戦は、父VS娘という構図の中ですが

 まぁ、父からの報告について、私が肯定すればよかったのか?!というくらい、

 私自身は否定はせず、今はこうであり、こうなんだからこうなんだよ・・を

 否定したな!と言い出す。そして・・・。

 

 「お前は知ったかぶりだ!」と、切り捨てようとするところに思い出す過去の記憶。

 

 同級生に指摘された言葉で傷ついた記憶があり、知っているという無知からの学びを否定されたのは

 

 私だよ!と思うし、言語化して置いてに伝えられなかった不足感も感じるところ。

 

 へき地と呼ぶほどのド田舎育ちの環境は、助け合いとかそこになじむことが必須であり、

 

 そんな中でも心の中では、この馴れ合いとか湾曲された噂話にウンザリ環境で、

 

 狭い中でのコミニティなんだな~とちょっとでも反すると、押さえつけられそこに住する方が得策だという事を押し付けられ、大人になって結局は周りの評価と世間体を優先に置いた思想から来たのだ・・。と、客観的思考を持ち合わせ、技法を用いても通用しなく・・。

 

 私の心外だったわ・・と、「なによ、否定されたなんて!」と言い返しましたね。

 

 これが一歩進むと、被害妄想のような症状が生み出されるのはどっちなんだろう。

 

 実体験を父が思うより経験しているしな~。

 

 その中での私の意見を言っているだけであって、今時の小娘扱いをここでも感じる

 

 所詮・・・という年代ギャップの八〇五◎世代w。

 

 話術を磨くことが課題であろう・・・。はぁああああと息を深くw。

 

 

 

 「役割⇒存在」「集団⇒個人」「尊敬⇒尊重」「歴史⇒物語」「劇場⇒主人公」「嘘⇒本音」

「保険⇒投資」「恩⇒感謝」「比喩⇒揶揄」「助言⇒応援」「代弁⇒刺客」「良心⇒悪戯」「偽善⇒嘘」

 エトセトラ・・・。

生まれてから死までの過程の中で見聞と選択と想い出作りを指針にした結果でR.(昭和平成令和)

 

 

 私的に思うキーワードの変化。今のところ思いつくところを書き留める。

 2極化という言葉に、「振り切ればいいのか?!」という位極端な思想や思考が散見され、

 過度な演出であろうな~という事も、この年になってわかるところも洗脳と言うか影響

 受けてしまう事もあるであろう、ようやくこの世代になると先輩方が口々に言う「人間」が

 最大の恐怖。といういかに不快から始まりおかしいなと言う違和感、裏切りとかいろいろ経験した

 がゆえの発露だったのであろう。

 だからペットとか推しとかカルチャーとか趣味へと転身するのだなと

 人生後半舞台の自分への依存ではなく他者との付き合い方の居場所と存在意義の形はそれぞれ

 だよな~と、相変わらず抽象的な言葉で綴っているよな~w。紡いでいかなきゃならんのにねw。

 テヘッ。