
戦後80年ということで、世界では色々なイベントが行われているが、今日9月3日は中国の対日戦勝戦記念日にあたり、北京で大規模な軍事パレードが行われている。
「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年」を記念した軍事パレードで、ロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記を含む20カ国以上の首脳らが出席している。
もちろん、当時の敵国であり敗戦国である日本の首脳は出席していないが、その為か日本国内での報道は少ない。
米トランプ大統領や欧米諸国の首脳も参加していないようだが、鳩山元首相は中国の招待で参加しているらしい。
「平和の国」日本の隣国である中国は、今や米ロと肩を並べる巨大な軍事国家であることは間違いなく、この映像を見て脅威を感じない日本人はいないだろう。
いま、日本における問題は、太平洋戦争を実際に経験した世代が、終戦から80年経ったといことは、その殆どが亡くなられているか、生きていたとしても100歳超えの高齢でその記憶すら薄れているということだろう。
私は昭和39年(1964年)生まれで、私の父は昭和3年(1928年)生まれだが、父は既に他界している。
母は昭和5年(1930年)生まれで存命ではあるが、現在95歳で記憶はほぼ無い。
1941年の開戦当時、父は13歳、母は11歳の学生だったことになるが、まあ戦勝経験第1世代にギリギリ入る。
私は、戦後19年経って生まれた戦争経験者の子供、つまり戦争経験第2世代であり、20代後半の私の子供たちは戦争経験第3世代ということになる。
太平洋戦争に参加して生き残ったひとや戦争には行っていないが生き残った戦争経験世代は、いまや死に絶えようとしているので、その話しを直接戦争経験者から聞いて、次の世代に正しく伝える義務があるのは今や戦後生まれの戦争経験第2世代しかいない。
ただ、振り返ってみると、自分の身内からあまり戦争の話しを聞かされた事がないことに気付く。
全く無かった訳では無いが、聞かされた話しの多くは、当時の全体主義に流されていた日本の社会体制や、疎開中に食べ物がなくて大変だった話など、戦後生まれで戦争など二度と起らないと思っている第2世代には、単なる過去の話としてしか響かない内容だった気がする。
太平洋戦争について実際に生き残った人から聞いた話しでいちばん印象に残っているのは、インパール作戦から生き残って帰ってきたというおじさんから聞いた戦地での生々しい話しだ。
大岡昇平の小説「野火」を2015年に塚本晋也監督・主演で映画化されたものを観てそのおじさんの話しを思い出した。
この作品は、大西洋戦争末期のフィリピンのレイテ島における8万人もの参加兵士の殆どが戦死した悲惨な戦場で飢餓の末に人肉食に手を染める狂気の世界を描いているが、その映像はまさにおじさんから聞いた話しと一致する。
今から10年前の2015年、終戦から70年経って映画化されたこの「野火」は1959年に市川崑監督によって映画化されていたが、そのリメイク版というよりも、塚本晋也監督が原作から感じたものを新たに最新の映像で作り上げたものらしい。
映画「野火 Fires on the Plain」オフィシャルサイト 塚本晋也監督作品
小説そのものはフィクションということになっているが、当時の凄惨さを究極のリアリティーで表現しており、私にはこの作品を劇場で観る勇気はない。
当時大牟田に住んでいたその親戚のおじさんは、何の用事だったか、おばさんと共に当時私が住んでいた富山に遊びに来ており、そのとき私は中学2年だったと思うが、夜お酒が入って戦時中の話しをし始めた。
「白骨街道」から生きて帰ってきただけのことはあり、なかなか豪傑なおじさんだったが、インパールでの出来事を聞いたのはそれが最初で最後だった。
子供の私が、怖がらないような話し方だったと思うが、内容は相当グロかったように思う。
やはり、いちばん衝撃的だったのは、「多くの兵士が人肉を食っていた」という話しだ。
おじさん自身は、「俺は食っていない」と言っていたが、真偽は今となっては判らない。
断片的な記憶では、多くの兵士は最終的に飢えて死んだ兵士の肉を食ったが、死肉を食った奴はだいたい死んだとか、「野火」でも出てきたように人間の肉は筋肉の薄切りを干し肉にして食っていたとか、もうすぐ死にそうな奴にはハエがたかってきて生きている内に卵を産み付けて蛆がわくとか。
食えるものはとにかく何でも食って凌いだらしいが、巨大なサソリやムカデなどは普通にエビみたいな感じだったと言っていた。
また、白鳥の肉がこの世のものとは思えないくらい美味かったそうだ。
あと、本人がしたかどうかは不明だが、無謀な突撃や玉砕を命じる上官を後ろから兵士がどさくさに紛れて撃ち殺すことはよくあったと言っていた。
それも当然の事ながら名誉の戦死として取り扱われたに違いない。
その時は怖かったので、あまり突っ込んで聞くことができなかったが、もっと詳しく聞いておくべきだったと少し後悔している。
その後はおじさんと会うことも無くおじさんもおばさんもこの世を去ってしまったので、話を聞くチャンスは失われた。
なぜ、どのようにしてそのおじさんは、その地獄から生きて帰って来ることができたのだろう?
単に運が良かったからだとは思えない。
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である故水木しげる氏も、『水木しげるのラバウル戦記』や『総員玉砕せよ!』で南方戦線での体験を綴っているが、水木しげる先生の「生きる」ことへの執着が如何に凄かったのかを知ることができる。それこそが、「死」が賞賛される軍の中での一番の抵抗だったにちがいない。
親戚のおじさんが、生きてきた戦後は、おじさんが戦争で経験した地獄と比較すればパラダイスのような世界だったかもしれないが、生き残った自分の人生が背負っていた業のようなようなものは決して軽くはなかっただろう。
地獄のような南方戦場や、特に死ぬことが決められていた特攻作戦から生き残った人たちのことを家族は喜んだだろうが、世間の風当たりはきつかったに違いない。
おそらく、インパール作戦やレイテ島などから生きて帰った人たちが見た地獄は、できれば夢であって欲しい二度と思い出したくもない抹消したい記憶だったのだろう。
「野火」を観た流れで、当時東京都知事をやっていた石原慎太郎氏が総指揮・脚本を手がけた2007年公開の『俺は、君のためにこそ死ににいく』という富屋食堂の鳥濱トメさんと特攻隊員の交流を描いた作品と、戦後60年を記念して2005年に公開された『男たちの大和』も観たが、総括すると太平洋戦争末期に日本を襲った集団的カオスが、最終的には国体の維持という目的のために多くの若い命を生け贄にし、その狂気を止めるという名目で広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えたという悲劇的な歴史が理解できる。
「彼らが命を賭けて守ろうとした日本の未来に、私たちは生きている」
このようなやや特攻を美化したようなメッセージは、「永遠の0」においても感じられるが、多くの命を犠牲にして守ろうとしたものは一体何だったのか?
そして、米軍が人類史上初の核兵器の使用までして、完膚なきまでに叩き潰さなければならなかったものは何だったのだろう?
日本という国のイデオロギー?武士道?それは彼ら西洋人にとって狂気以外のなにものでもなかったに違いない。
太平洋戦争における戦局のターニングポイントだったとされる「ミッドウェイ海戦」を米軍側から描いた作品『ミッドウェイ』を観れば、日本軍によるパールハーバーの奇襲攻撃の衝撃に始まり、もし米軍が「ミッドウェイ」での勝利を得なかった場合には日本軍によって米国本土が攻撃されるかもしれないというあちら側の恐怖と危機感がどれほど大きかったがよく理解できる。
戦争というものは、一兵士にとってみれば、立場が変われば同じような境遇であり、それぞれ命がけで"守るべきもの"の為に戦っていたに違いない。
そこで失われた命の価値も、生き残った人の命の価値も変わりはなく、その時に振りかざされていた正義がどちら側にあったかなど、もはやどうでも良いのかもしれない。
世界最大の戦艦「大和」は、最後の最後に3,332名の乗組員を乗せ沖縄への特攻を行い、3,056名が戦死、生き残ったのは僅か276名とされる。
これは世界の歴史に残る規模の命をいちどに奪った特攻作戦だったと思われるが、この大和の犠牲者は統計上は特攻隊の死者に含まれていないようだ。
『男たちの大和』では、その乗組員の多くが、まだ10代の若者だったことが分かる。
その中で、奇しくも生き延びでしまった人たちの心に刻まれた、後ろめたさやトラウマがその後の人生において戦争について語ることを遠ざけてしまったのかもしれない。
作中で大和の生き残りである神尾を演じた仲代達矢さんがその抱き続けてきた苦しみをよく表現している。
20年前に他界している私の父は、昭和3年(1928年)生まれだったので、終戦を迎えた1945年には17歳だった。
神風特攻隊や、戦艦大和の最後の特攻に参加していたかもしれない年齢だ。
あと1年戦争が長引いていたら、父も生きておらず私もこの世には存在しなかったかもしれない。
だが、父は戦場には行っておらず、海軍経理学校で終戦を迎えたと聞いている。
ただ、同世代の多くが特攻で命を落としていることを考えると、父の心にも生き延びた自分に対する後ろめたさというのがあったのかもしれない。
ただ、今となってはそのような本音も聞くことはもうできない。
今上映中の映画『雪風YUKIKAZE』は、まだ観ていないが戦艦大和の生き残りを救出した事でも知られる奇跡の不沈駆逐艦「雪風」を題材にした作品であり、戦後80年にして命の大切さ、生き残ることの大切さを訴えた作品のようだ。
駆逐艦「雪風」は、真珠湾奇襲攻撃による日米開戦以降、すべての戦いを生き抜き、どの戦場でも海に投げだされた多くの仲間たちを救い、必ず共に還ってきたことから、“幸運艦”と呼ばれている。
このような太平洋戦争を題材とした作品において、「生き残ることの大切さ」を訴えると、日本の未来のため?に命を投げ出して特攻などで死んでいった人たちを軽んじるかのような印象はあるかもしれないが、実際には亡くなった命も生き延びた命もどちらも大切なものには違いない。
ただ、生き残ったひとがその死んでいった人たちの思いを背負って、戦後の日本を支えてきたことは事実であり、いまを生きる自分たちは過去の戦争を生き残った先祖の末裔である。
『俺は、君のためにこそ死にに行く』というちょっとダイレクトすぎて抵抗のある題名の作品では、「靖国で会おう」といって特攻隊員が飛び立っていくが、死んで英霊となって靖国神社で会えるわけもなく、死なずに生き残ったからといって会えなくて悔しいと思う必要もないだろう。
ただ、その生死を分かつ戦場にいた人にしか分からない、言葉にすらできない感情というものは生き残った人がようやく天寿を全うするその時まで消えないのかもしれない。
そして、多くの生き残った戦争体験者はその感情を墓場まで持っていくのだろう。
自分は、戦争というものに日本が巻き込まれることは二度とないと信じて今まで生きてきた。
その何の根拠もない、「日本は二度と戦争をしない」という思い込みがあったから、過去の戦争の話を聞いてもそれに意味を感じることもあまりなかったし、戦争を経験して生き残った戦争経験者もあまりその生々しい体験語ろうとしなかった為に、その記憶は失われつつあるのかもしれない。
いまこの時も世界で起っている戦争も、これから起るかもしれない戦争も、死に絶えつつある戦争経験者の記憶にあるものとは別次元のものには違いない。
テクノロジーの進化が、兵器も進化させ、戦争の形態も変化し続けている。
今や、自爆型ドローンが人間の代わりに特攻をする時代だ。
核兵器のような大量破壊兵器が使用されれば、広島や長崎のように万人単位の命が一瞬で消える。
兵器によって物理的に命を奪ったり殺し合ったりしなくても、相手国の経済を封鎖したり破壊することにって敵国民を間接的に死に追いやることも今や可能かもしれない。
それでも、ひととひとが殺し合って結果として人が死ぬという戦争の本質的な部分は変わらず、戦争の大義名分はイデオロギーや宗教の相違や、それぞれが正義だと信じる正義の暴走に他ならない。
国家レベルの正義の暴走を止めることは、民主主義であっても国民には難しい。
戦争が何故起るのかを国民が理解することは今も昔も困難であり、起ってしまうとそれから逃げることはできなくなる。
いかなる形で手段であっても、戦争が起らない未来を作ることが最も重要だが、戦争を知らない私たちや私たちの子孫が果たして、戦争が起らない未来のために命をかけることができるのかは疑わしい。
つまり、残念ながらこの先、日本が戦争に巻き込まれないとは言い切れない。
どのような未来が待ち受けていようが、全ての人類にとって大切な事は生き残ることであり、どのような形の戦争であっても、戦争によって命が奪われることを美化することは避けなければならない。
生きてこそ、生きることとの大切さを後世に伝えることができ、たとえ戦争を知らない世代であっても、その小さな積み重ねが戦争の危機を少しでも遠ざけてくれるに違いない。