楠みちはるの『湾岸ミッドナイト』
今やチューニング全盛期の歴史を語る古典作品とも言える。
原作マンガも完読、アニメ版も以前に観ていたが、最近NETFLIXのお勧めで出てきたので26話を2日間で一気観した。(なんとアキオの声優は小栗旬がやっていたとは気付かなかったが良い感じで流石だと感じた。)
おそらく多くのクルマ好きに精神的な影響を与えたであろうこの作品だが、改めて観てこの作品に込められた狂気とロマンについて語らずにはおれない。
1990年に「ビッグコミックスピリッツ」で不定期連載が始まり(数回で打ちきり)、その後「ヤングジャンプ」で連載されてから既に30年以上経っているこの作品は、今では買えないようなプレ値の付いた懐かしいクルマたちが出てくる前世代のオヤジ達の物語に過ぎない。
主人公の朝倉アキオが乗るS30フェアレディZは、1975-1976頃に生産されたL28モデルなので、作品が連載され始めた1990年代ですら既に化石のようなクルマだ。
S30シリーズの誕生から50年以上が経った今、歴代モデルの造形をオマージュした意匠のボディに最高出力405psの3L V6ツインターボエンジンを搭載した8代目のZ(Z34)が3年前に発売されたが、残念ながら人気はイマイチのようで中古車の価格は下がっているようだ。
チューンしなくても吊しで400馬力オーバーの最新Zは、かつてS30に憧れていたジジイどものテイストには合わなかったに違いない。
残念な事に、厳格化する安全規制に対応しきれなくなった為、R35の生産が今年終了し、日産の看板商品であったGTRシリーズの歴史に幕を下ろした。
日産という自動車メーカーそのものが、昔とは異なる外資の経営であり、社長も外人で、かつてのような時代に合った魅力的なクルマを作り出すことができなくなって久しいなか、もしかするとNISSANというブランドの消滅もありうるような未曾有の経営危機に陥っている。
『湾岸MIDNIGHT』で躍動する、S30やS31/32のZ、R32/33の姿をみていると、古き良きNISSANに思いをはせ、切なさが湧き出てくる。
特に、S30Zと空冷ポルシェターボ(964ターボ)、GTR(R32/33)に対する作者の強い思い入れがあるに違いなく、楠みちはるの描くクルマ達は、実物よりもカッコよく躍動的に描かれている。
なぜこの作品が、狂気なのか?
改めてこの作品を観ると、出だしからその異様な設定に驚く。
高校生のアキオがスクラップ工場で出会ったそのS30のZは、前の持ち主から確実にスクラップにしてくれと頼まれていた「悪魔のZ」と呼ばれる乗り手を何人も殺してきたいわくつきのZだった。
しかし、アキオはそのZの虜になってしまう。
調べていくと、そのZをチューンしたのは、「地獄のチューナー」と呼ばれる北見淳だったことが判明する。
「悪魔」と「地獄」がいきなり出てくるクルマ漫画はそれだけで十分異常だ。
「悪魔のZ」はまるで、ニュータイプのアムロしか操縦できない無敵のガンダムRX78が後に「白い悪魔」と呼ばれるのに似ている。
作者がガンダムRX78をオマージュしたとは思えないが、アキオはまるでニュータイプのように機械であるZとの対話を試みる。
最初の数話観ただけでも、アキオとZの間で交わされる会話は相当ディープであり、まるで恋人同士のように機械のクルマとの対話を続ける姿はその後ずっと続く。
果たして、その単なる機械ではなく生き物のように身をよじるように走り、乗り手を選ぶミッドナイトブルーの「悪魔のZ」にアキオは選ばれし乗り手なのか?
禅問答のように、アキオの中で繰り返しそして終わり無くその問答は続く。
本当にアキオのようにクルマと恋愛し会話をし続ける人間が居たら間違いなく病院送りになる。
それだけでも狂気なる設定だが、特に「地獄のチューナー」北見の放っている狂気感は半端ではない。
北見のチューンしたエンジンは、人間の速さに対する欲望を満たし、結果として多くの命を奪ってきた。
そして、今は「北見サイクル」という自転車屋のオヤジをやっている。
北見のチューニング哲学は、概念的でわかりにくいところもあるが、別に人を死なせるために過激なチューンをしているわけではなく、まるで悪魔が人間の望むものをその命と引き換えに渡すように、乗り手の望む狂気の速さを提供し、その結果乗り手が死んでいくだけだ。
どんなクルマも公道を走る以上すべて凶器であり、乗り手にはその責任が生じる・・・という正論も説く。
北見は、バケモノのようなエンジンを作り出す天才でもあり、自分の作品が何人ひとを死なせようが、その作品が最速であり続けることに酔っている狂人でもある。
結果として、北見からは客も家族も離れていき、細々と自転車操業の自転車屋を営むこととなった。
流石に自転車のチューンで人は死なない。
北見を知るかつてチューナーたちもなかなかの変人揃いだが、北見ほどの狂気は持ち合わせていない割とまともな人達だ。
れいなの32Rをいじっている山本が一番まともというか良識的な感じがするが、狂人の北見からすればつまらんやつにに成り下がったと言われる。
外科医であり、湾岸のブラックバード(964ターボ改)のオーナーである島達也は、その知性レベルに反して根っこはスピードと、悪魔のZに魅せられた狂人であり、北見とは狂人同士として意気投合している。
しかし、島の眉毛は濃すぎて気になる。
島は、自分ではクルマを単なる機械としてしか見ていないと言い続けていたが、Zと走るうちに心境の変化が生まれ、ヤレたボディーのせいでトルクが逃げて行くブラックバードのアクセルを踏み切れなくなる。
そこでヤル気にさせるマフラーを制作してもらうため北見の昔の知り合いである稲田製作所のシゲさんのところに行く「大阪ミッドナイト」のエピソードもなかなか好きだ。
狂人北見が板金坊主と呼ぶ、鉄とアルミの天才ボディーワーカー高木優一の存在も、地味だが個人的には好きなキャラクターだ。
かつてはたたき上げの職人として一線で働いていた高木は、「ボディーショップSUNDAY」のやり手社長として今は一線を退いていたが、北見に頼まれてアキオがクラッシュしたZのボディーを自ら治すことでかつての情熱を取り戻す。
高木も多分に漏れずボディ製作と強化に関しては素材の特性を知り尽くした天才であり、かつバケモノの級にパワーアップされたエンジンや足回りをしっかり受け止める、強くてしなやかなボディーを作ることができる北見曰くは高木にしかできないボディーの声を聞ける狂人のひとりといえる。
最終的には島のブラックバードのボディーをパイプ溶接によるモノコック化とカーボン化までやってしまう。
旧世代の恐竜のようなL28チューンの「悪魔のZ」を中心に、ブラックバードこと空冷の964ポルシェターボ、日産のR32、R33などRに魅せられたチューナー達、テスタロッサ、80スープラ、ランエボV、ロータリーのFCなど、それぞれの乗り手やチューナーが、「悪魔のZ」の狂気に引き寄せられてその理論では解せない謎のスピードに挑んでいく。
スピードに取り憑かれた乗り手も、チューナーも、家族や恋人や仕事やお金など全て犠牲にして、最後には命も賭けて「悪魔のZ」に引き寄せられていく。
公道で時速300kmオーバーのレースに挑むスピードに取り憑かれたアウトローな狂人達のストーリーは、どう考えても今の時代にはそぐわない。
1990年以降に生まれた今の若い人達が観れば、理解不能で面白くも何もないマンガなのかもしれない。
今なら、カネさえ出せばノーマルで300kmオーバーの500馬力以上のクルマも手に入るし、それらは全て電子制御によって運転の技術さえ拒否しているが、たとえそれを手に入れて公道を暴走する行為はただの犯罪に過ぎない。
そして、この先10年20年後には、EVや自動運転が主流になることだろう。
そんな時代になれば、『湾岸MIDNIGHT』のような、機械である自動車と対話をしながらその性能を追求したり、運転の技術によってスピードに挑戦していた時代は夢か幻のような世界に思えるかもしれない。
それでも、「地獄のチューナー」北見が言っていたように、公道を走るクルマが全て人を殺すかもしれない凶器であることには変わりなく、その責任が運転者に帰着する事に変わりは無いだろう。
しげの秀一の『頭文字D』やその続編である『MFゴースト』が圧倒的にドライバー目線であるのに対し、『湾岸MIDNIGHT』は、クルマそのものが主人公であり、そのクルマを愛する乗り手や、限界に挑むチューナー達の情熱にフォーカスされている点がマニアックであり、本当のクルマ好きにはたまらない。
本作で登場する「悪魔のZ」は、論理では割れきれない悪魔のように速く、乗り手を選ぶ魔物として描かれているが、もしかすると、それは「理解できないとてつもなく早いクルマ」の幻として描かれているのかもしれない。
クルマの魅力は、速さだけではないが、機械としてそれを取り扱うメカニックやチューナーにとって、もしそのようなクルマとそれを乗りこなす乗り手が存在したなら、その魅力に取り憑かれてその謎に挑み、技術の限界にチャレンジしようとする姿には、果てしのないロマンを感じる。
機械であるクルマとの対話という課題についても、言語で対話することによってお互いを理解しうる人間同士ですらそれが成り立たずすれ違ってしまうのに、言語を超越した機械とのコミュニケーションという人と機械の関係がどうあるべきかということを問うような深い部分もある。
主人公のアキオにとって大事なのは「悪魔のZ」とそれに関わる人たちだけであり、それ以外の人間関係も学校もどうでも良い存在となっている。
アキオをいつもZに語りかけ、そしてその声を聞こうとしている。
そして、悪魔のZを駆り、走り続ける。
その幻のような手の届かない魅力は、周りの人々を磁石のように引き寄せ、共鳴してそれを支えたり後を追いかけたりする。
その幻とも言える「悪魔のZ」に選ばれたアキオは、作り手である北見や高木達の夢と情熱の代行人であり、悪魔のZが走り続ける限りそのロマンは消え去ることがない。





















