運とカネと努力と才能のポートフォリオ | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

人生において成功したり幸せを掴むために必要な事は何ですか?という若人の問いに対し、

「一生懸命生きて与えられた命を全うすること」・・・みたいな格好いいことを言いたいところだが、現実の人生を50年以上生きてきた私の経験から言えることは、人生は人それぞれだが、決してそんな簡単に語れるようなものではない。

 

人間がより良くなろうとして、それなりに努力することは間違いなく尊い。

 

たとえそれが無謀と思われるようなものであっても、何か目標に向かってがむしゃらに努力をし続けるひとは魅力的でもある。

 

しかし、あの天才的フィギュアスケータである羽生弓弦でさえ、北京オリンピックではショートで穴にはまったり、未踏の4Aにチャレンジした結果メダルを逃し、「報われない努力ってあるんですね・・・。」と語ったように、努力は報われる保証のないものだ。

 

努力とは元本保証のない長期積立投資のようなもので、それが実り報われる保証のない努力を、それでも延々と続けなければ、努力しない人が目標を達成できる可能性はほぼ無い。

 

つまり、人間はその(報われる保証のない)努力を諦めた時点でゲームオーバーだと言える。

 

とは言え、最近では「努力の人」とか「スポ根」とかはあまり流行(はやり)ではない気がする。

 

それは才能(能力)のない人間が無駄に足掻く(あがく)ことが、カッコよくないからかもしれない。

 

才能のある人間が、さらなる高みを目指して、不屈の精神で努力してそれを成し遂げるならともかく、「こいつはどう考えてもダメだろう」と思われるような人間が、「いくら努力しておそらく手に入らないであろうもの」をガツガツ求め続ける姿は決して美しいとは言えない。

 

努力のレバレッジが効く子供や若い世代の人たちが、自分の才能(能力)を過小評価して、本来ならばできるはずの努力をセーブしてしまうのは残念な事だが、我々昭和世代の人間と比べると社会がそういう風潮になっているので仕方ないのかもしれない。

 

そしてそのような夢のない現在を作ってしまったのは、高度経済成長期やバブルを経験した我々親(もしくは親の親)世代なのだから、我々にも何らかの責任はあるだろう。

 

自分自身の子供に対しては、殆どの親が無限の才能や可能性を期待しているに違いないが、子供たちは「親ガチャ」という言葉が流行るほど、生まれながらにしてその与えられているものの不平等さを生々しく感じて生きている。

 

それは、主にお金や才能(遺伝子)といったもので、確かに生まれてくる子供は親を選ぶことはできない。

 

そういった自分の与えられたものを理解して育ってきた、「持たない子供たち」に対して親が努力を強要することは拷問に等しいかもしれない。

 

そもそも努力というものは、才能という未知数の要素無しでは語ることができない。

 

自分の才能を正しく理解して、効率の良い努力をすることが成功への近道であり、そのことによって努力の運用効率は上がり、目標の達成率は上がる。

 

つまり、努力とは才能の開花確率を高めてくれる要素であり、いくら才能があっても全く努力しない人間は、その才能を眠らせたまま腐らせてしまうかもしれない。

 

闇雲な努力の強要は、子供たちの精神を蝕んでしまうかもしれず、身の丈に合った合理的な努力をすることが今の社会では生き延びる為の無難な選択とも言える。

 

才能があってかつ、惜しまぬ努力を続けていても、運に見放されることもある。

 

また、才能にも運にも恵まれていて、努力もしたくても、カネがないために良い努力環境や有名なコーチや時間が手に入らず成功できないケースもある。

 

子供はカネを稼ぐことができないので、それは親ガチャ的な話になってしまい、それも結果的には生まれ持った運と言えるかもしれない。

 

お金が無いから好きなことができないとか、お金が無いから進学を諦めるとか、お金が無いからお金のかかるスポーツはできないとか、残念ながらお金が無ければ何も始まらない。

 

結局、お金に余裕のある家庭に生まれた子供は、生まれながらにして才能や努力を上回るアドバンテージを手にしていることになる。

 

しかし、生まれながらにして与えられた運やカネや才能は、往々にして努力を蝕む。

 

最初から持っているものが多いほど、人間はハングリーにはなれず、なかなか血のにじむような努力などできない。

 

その結果、折角のアドバンテージが無駄になる。

 

運とカネと努力と才能という4つの要素は、成功するためには全てが必ずセットで必要なポートフォリオだが、それを手にする順番(タイミング)その4つの要素のバランスが重要であり、それは人によってどの順番でどの要素をどれくらい手にするべきかは異なる。

 

運やカネは総量が決まっていて、無限ではない。

 

努力は続ける限り上限はない。

 

才能は、未知数だ。

 

そう考えると、年齢が若ければ、運とカネに頼らず、自分の未知数の才能を信じて努力を人よりも多く長く続けることが成功の秘訣と言えるかもしれない。

 

努力は運を呼び寄せるという説もあるし、努力することで、カネも増やせるかもしれない。

 

そして努力は才能の開花確率も上げてくれる。

 

“報われる保証のない”「努力」というヤツはなんだかんだ言って万能なのだ。

 

問題は、才能に見合わない、もしくは才能とベクトルの合わない努力を続けた時に、どこまで病まずに自分の才能を信じ、努力を続けることができるかだ。

 

多くの人は、20代30代で心が折れてしまう。

 

自分の才能を自分で見切ってしまうからだ。

 

或いは、頑張りすぎて疲れてしまう場合もある。

 

それは努力のウエイトバランスが偏っているからかもしれない。

 

20歳くらいまで死ぬほど努力して、ダメなら諦めるというひともいるかもしれないが、それでは諦めてからの人生が長すぎてもったいない。

 

最初から50歳まで頑張ろうとか60歳まで頑張ろうとか、死ぬまで頑張ろうとかロングランを決めていれば、何十年でも続けられる一定量の努力を眈々と続けることもできるかもしれない。

 

また、一定量の努力に必要なモチベーションやエネルギーは時や年齢によって異なる筈なので、同じ努力を続けることにより、積立投資と同様に努力のドルコスト平均法が働くかもしれない。

 

大事なことは、努力を止めないことだ。

 

努力の停止・減額は、残りの人生を実りの少ないものにしてしまう恐れがある。

 

結局、いくつになっても、(努力を)諦めた時点でゲームオーバーなのだ。