この本は、この10年間くらい私が伝えたかったことをほぼ明確に著している。
不動産神話、会社神話、円神話、国家神話という、今まで多くの日本人を支配してきた4つの神話がすでに崩壊しているということ。
神話の世界で生きてきた我々日本人が、神話を奪われた世界での人生設計はどうあるべきか?
「日本人」=「Japanese」というのは、かつては神話に支えられたブランドであったが、神話の崩壊した今、日本人であるというリスクを背負っているのだと認識しなければならない。
神話の世界に生きてきた我々日本人は、橘氏いわく「伽藍の世界」に生きている民族であり、その「伽藍の呪縛」こそが、もっとも危険な存在でありリスクである。
「伽藍からバザールへ」
伽藍(がらん)とは、もともと寺院などにある「僧侶が集まり修行する清浄な場所」を指すが、ここで橘氏が意図しているのは、学校や会社など「外界と遮断された閉鎖社会」の事であり、そこでは肉体的にも精神的にも制約を受けている状態を指している。
バザールとは、もとはイスラム文化圏特有の市場(いちば)をさすことばだが、ヨーロッパに移って、種々の品を扱う店、百貨店、商店街と意味が広がった。
ここでバザールの意味するところは、閉鎖社会である「伽藍の世界」に対して、外界との境界線のない開けた空間で色々な人たちが自由に生活したりビジネスを提供する環境という意味である。
そして、その境界線のないバザールの世界では、出入りが自由であり、評価の高い人だけが生き残ることができる。
レストラン予約サイトやネットオークションの世界をイメージすると分りやすい。
そこでは、できるだけ目立ってたくさんの良い評価を獲得するゲーム = ポジティブゲームが展開されるのに対し、
閉鎖環境である「伽藍の世界」では、たった1度の失敗が、その世界からこれから先も抜け出せないとすれば、回復不能な致命的なダメージとなる。
たとえば、学校で不覚にもうんこを漏らしてしまった奴が、卒業までずっとうんこ野郎扱いされたり、何らかのヘマや奇行によっていじめられるような世界が伽藍の世界だ。
そんな伽藍の世界に生きるわれわれ日本人の多くは、
誰もが目立たずに、できるだけ失敗をしないように気をつけるゲーム = ネガティブゲームを余儀なくされている。
日本にはこのネガティブゲームに習熟したネガティブゲームのプロがたくさんいるので、そこでおなじゲームで戦うことは戦略的に不利である。
特に、政治や経済を未だに司っている団塊の世代のエリートたちは、生え抜きのネガティブゲームにおける強者たちである。
これからを担っていく若い世代の人たちが、このネガティブゲームが展開され続ける「伽藍の世界」に居ては未来はない。
「伽藍を捨ててバザールの世界に向かうこと」は、失敗を恐れずに自分の才能を多方面に遺憾なく発揮し、「人的資本のリスクを分散する」ということになる。
読む時間のないひとはyoutubeの「本要約ちゃんねる」動画でも観て下さい。