「自分らしく生きること」が大切だとよく言われるが、実は簡単ではない。
「自分らしく生きること」は、現世の自分が自分の頭で考えてやりたいように好きな生き方をすることではない。
以前のブログで書いたように、本当に自分らしい生き方とは自分の魂が望むことを実現しようと努力して生きることだと言えるかもしれない。
そうだとすると、自分らしく生きるためには自分の考えとはもしかしたら根本的に違うかもしれない「魂の声」ってやつに耳を傾けなければならない。
仮に魂の声や叫びが聞こえて奇跡的にそれが理解できたとしても、その魂の望んでいることが現実には必ずしも善であるとは限らず、現世の自分や自分の周りの人が望むことでもないかもしれない。
「自分らしく生きること」、「自分探しの旅」というのは、自分の魂に与えられたミッションをクリアすることであり、それは他人との関わりにおいて、必ずしも他人や他人の魂の役に立つこととは限らない。
人間はひとりでは生きていけない生物なので、魂の望むことが、他人との関わりを一切無視したものであった場合には、それを実現することは極めて孤独で困難な事となる。
「自分らしさ」というものの価値は、自分と自分の魂の間で交わされた契約のようなもので、他人には介入できないし、他人には価値のないものかもしれない。
人間社会で生きていくためには、「自分以外の人の役に立つ」何かに対して他人からは価値を見いだされる訳だから、「自分らしく生きること」と「他人のために生きること」は常に矛盾する。
宗教的には、「他人のために善を行う」ことによって、前世の魂の汚れが浄化されるという考え方もあるが、なんだか道徳観念普及の為に都合良く作られた話のようにも思えてしまう。
結局、人間は自分のために生きるのか?他人のために生きるのか?他人の役に立つ生き方が自分のために生きることに繋がるのか?魂が望むことは何なのか?分らないまま足掻いて死んでいくのだろう。
もしそういうことが明白に見えていて分っている人が居るとすると、逆に相当気持ち悪い。