「組織における共通の理念とか、カリスマ性のあるリーダーシップとかが既に幻想と化している」という1年前の考察を振り返ってみる。
その時に感じたことはますます現実的になってきており、大小を問わず、世界に存在する組織というものの有り様は混沌としてきている。
それこそ、エヴァンゲリオンのゼーレのシナリオではないが人類補完計画でもなければ、ヒトは次のステージに進めないのかもしれない。
エヴァの世界でもヒトでは無くなってしまう人間の未来は、ガンダムにおけるニュータイプのコンセプトでも既にヒトではない形のない魂のようなもののエネルギーがモビルスーツを起動し続けるという訳の分からないことになってきている。
「劇場版ガンダムNT」を見た後に、もう一度Zガンダムと逆襲のシャアを観て改めて理解できた。
人々の価値観や理念の多様化に従い、組織の中での個々の人間同士の思考のボーダレス化は徐々になし崩し的に進んでいるのかもしれないが、所詮我々がヒトの形を持った生き物である限りATフィールドは存在し続ける。
もしくは、高度に進化したニュータイプのような指導者が、全てのひとの理念を吸い上げて共有できたとしても、Zガンダムの主人公であるカミーユ・ビダンのように精神崩壊してしまうかもしれない。
もしくはシャアが最終的に望んだように、コロニー落としによって恐怖政治で地球の引力に縛られたオールドタイプ(宇宙で覚醒したニュータイプに対して)を支配することになるのか?
共通の理念という妄想や、誰もが共感できる理想といったものが幻想化してしまった今、何もせずにただ状況に流されていく我々を待ち構えているのは最終的に一部のエリートが大衆に押しつける恐怖政治なのかもしれない。
また、個々の人間が個別に接すればそれなりに人間としてなにがしかの良心を持っているのに比べて、国や会社、何らかの組織や集団になってしまったときの総体としての人類の良心や理性の極端な欠如は相変わらず目に余るものがある。
「人間は個が見えない見えない集団化したときに凶暴化する。」ということはネット社会が進んだ事によって既に明らかになっている。
人間の理念や理想というものは、人間の人間らしい良心にそもそも根ざしていなければならないと思われるが、残念な事に集団化すると全く良心のかけらも無い凶暴な野獣集団となってしまう。
そんな中で、ヒトとヒトとがこれから先もちゃんと繋がっていける組織というのは、もはや組織ですら無いのかもしれないが、大衆の求めるものをエサに、英雄の名の下に恐怖政治を推進するリーダーにだけはなりたくないものだ。