「馬鹿道」とは、AI(人工知能)が人類の活動の大半をコントロールするかもしれない来るべき30年後の未来において、人間らしく人間の尊厳を持って、よりよく生きるため、また失われつつある人間の価値を見いだすためのひとつのバカげた考察である。
無神経は奴のことを馬鹿という場合があるが、馬鹿道における馬鹿は無神経であってはならない。
自分の事に関しては馬鹿で良いのだが、相手に対しては敬意を表し、できる限り気を遣うべきだ。
無神経な奴というのは、基本的に自分中心で、他人のことを気にかけない。
普通に馬鹿が進行すると、周りに対して無神経な奴になりやすい。
しかし、それでは本当の馬鹿というかただの馬鹿に過ぎない。
自分のことに究極的に無神経になれる本物の馬鹿は、ある意味自己犠牲の塊である。
他人のことを思いやる気持ちがあれば、自分を犠牲にしてでも周りを守ろうとするパワーが社会にもたらす貢献度は計り知れない。
自己中ではない馬鹿の典型的な例は、「ワンピース」の主人公モンキー・D・ルフィかもしれない。
仲間のためにあれほど自分を犠牲にできる馬鹿はいない。
「自己犠牲によって愛する仲間を守る」というところに、馬鹿道における美学があると言えるかもしれない。
前回語らせてもらった、恋愛におけるカサブランカのリックのような自己犠牲による無償の愛にも通じるものがある。