それでいいのだ~
馬鹿道を習得するにあたって、「天才バカボンのパパ」は言わば師匠のようなものだ。
大抵のことは、バカボンのパパの行動によって無茶苦茶にされてしまうが、それでも結果は「それでいいのだ!」となんだかハッピーに終わる。
世の中は、いくら深く考えても「それで良くない」事だらけだ。
にも関わらず、全てのことを「それでいいのだ~!」で終わらせてしまうバカボンのパパは、殆どの良くないことも受け留めた上で、自分なりに馬鹿なことを正直に行い、結果がどうあれ、「それでいいのだ~!」で終わらせてしまうある種の超人だ。
反対なのか賛成なのか言ってるうちにわからなくなる「反対の賛成」「賛成の反対」も奥が深く、現代の「ありよりのあり」「なしよりのなし」に通じるところがある?ともいえる。
赤塚不二夫先生の「天才バカボン」はバカ田大学出身の筋金入りのバカだが、じつは考えていないようで考えており、考えているようで、なにも考えていないシュールで謎の人物なのだ。
少なくとも息子のバカボンは、純粋な愛され馬鹿っぽく、ハジメちゃんは天才坊やで、ママは美人でバカボンのパパとなぜ結婚したのか?以外はまともだ。
バカボンのパパは、もともとハジメちゃんを凌ぐ天才だったのが、アクシデントにより頭の中の重要な部品が壊れて(原作、アニメ1作目、アニメ2作目で状況は異なる)それから今のようなバカボンのパパになってしまったとされている。
それでは良くないけど、それでいい?
それでいいけど、本当はそれでは良くない?
どちらにしても、それでいいのだ~!
「それでいいのだ~!」は、それでいいことと、それでは良くないことをどっちだろう?どうすればよいだろう?と思い悩むことから人間を解放する魔法の呪文のようなものなのだ。