Mr.Gの歴代愛車記録『空冷ポルシェ911への道のり』 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

2017年も残すところあと1日となったが、今年最後の記事で、私が23歳でこのホンダのプレリュード1800XXに乗ってから30年間、今までの人生で乗り継いできて、子供の頃から憧れだった空冷ポルシェオーナーになるまで世話になった過去のクルマ遍歴を紹介したいと思う。

皆さん良いお年を〜!
 
※過去の写真がないため、掲載の過去の愛車写真は所有していた現物のものではない。
 
ちなみに、現在に至るまで私は新車というものを購入したことはない。
たぶん今後もディーラーで新車を買う経験はせずに旧車命で一生を終えるだろう。
 
1)1987~1990年 ホンダプレリュード1800XX(1986)
赤 5MT ガラスサンルーフ
 
大学を卒業して就職し、最初に購入したのがこの伝説的なホンダの名車プレリュードだ。
2年落ちのクルマで9000kmしか走っていないものを親から金を借りて180万円くらいで買った。
 
それまではカワサキZ400GPというバイクと共にバンカラな大学時代を過ごしてきたが、このスタイリッシュで当時の時流に乗ったホンダらしい作りのクルマのお陰で、バブル期真っ盛りの1980年代後半に20代前半だった私は4輪の快適さとすばらしさを十分味わせてもらうことができた。
 
当時はどこへ行くにも、何をするにも、クルマ、クルマで、クルマがなければ女の子からも相手にされない時代だったが、このホンダ・プレリュード1800XXのお陰で、バイクの不便さから解放され、クルマという乗り物の便利さと快適さというものを堪能した。
 
ちなみに今から34年前の1983年から1990年にかけて青春を共に謳歌した空冷のカワサキZ400GPという無骨なマシンは、今も夢に出てくるほど忘れることのできない最高のパートナーだった。
FXと同様、所有中に3回も盗まれるほどヤンキーに人気の車種だったが、根性で全て見つけ出した。
 
プレリュードというクルマは、当時ソアラ、カリーナEDと並んで流行だった「スペシャリティー・カー」の部類に属し、デートに最適な数々のエロいスペックゆえ、デートカーとも呼ばれた。
スタイリッシュなカッコと内装だけで、性能は125馬力と大したことないが、フロントにダブルウィッシュボーンサス搭載で速度反応型パワーステアリングのハンドリングはなかなか軽快だったが、フロントヘビーな重心バランスの関係かアンダーが出やすかったように思う。
 
2)1990~1991年 MAZDA 323 ブルー AT
 
 
カリフォルニア赴任直後に取り敢えず足が必要とのことで前任者から譲り受けたクルマ。
My first car in California・・・
特筆すべき思い出も印象もないが、日常の足として不自由はなかった。
カリフォルニアのドライバーズライセンスを取得したときの記念すべきクルマでもある。
ただ、アメリカのフリーウェイを走るクルマとしてはパワーも足回りも頼りない感じは否めない。
これを譲ってくれた前任者SMD氏がbumblebee(バンブルビー)というあだ名だったため、現地人からバンブルビーカーと呼ばれていた。
まさか、あれから20年以上の年月を経て、映画「トランスフォーマー」でロボットに変形するバンブルビーが出現するとは夢にも思わなかった。
色もこの写真と同じようなブルーで、歴代の愛車の中では「最も走らないクルマ」だった。
 
日本ではファミリアで親しまれたクルマだが、英語的にファミリアはクルマのネーミングとして相応しくなかったためか、米国ではMAZDA323と呼ばれた。
 
 
3)1991~1993年 フォルクスワーゲンカブリオレ(1990) 赤/白幌白内装オートマ
 
 
これもカリフォルニア赴任時代に先輩からUS1万ドルほどで譲り受けたもの。
まさしくこの写真と同じ、赤と白幌、白内装の素敵なクルマだった。
正直馬力は100hpもなく物足りなかったが、カルマンのボディーは剛性も高く、足回りもしっかりいていてフリーウェイでの高速走行は安定していた。
カリフォルニア赴任時代には、LAからサンフランシスコ、ヨセミテ、ベガスなど色々なところを共に旅した信頼性の高いクルマだった。
特に大きな故障もなく、帰任時にもすぐに買い主が見つかった。
程度の良いものがあれば今でも手に入れて側に置いておきたいと思えるラブリーなクルマだ。
 
 
3)1991~1993 ポルシェ928(1979) 黒メタリック/茶内装 5MT
 
 
上記のVWカブリオレと並行してカリフォルニア赴任中に保有した思い出深いクルマ。
マイ・ファースト・ポルシェだったが、自分の中では空冷の911だけがポルシェだったので、カウントされていない。
レーシングパターンの5MTであったところがなかなか渋く、この時点で人生の中で初めての、最も排気量が大きく馬力のあるスポーツカーだった。
色々なトラブルに見舞われたが、中でもロスからサンフランシスコへの旅行中にギルロイというニンニクの産地で有名な場所で前輪のハブベアリングが焼き付いてバラバラになったため走行不能になったり、ヘッドライトのリトラクタブルジョイントが外れてラジエーターにガシガシ当たってラジエータに穴が空いたりとか、トラブルネタの宝庫だったが、真っ直ぐなアメリカのフリーウェイをつっばしるには最適な最高のV8らしいふけ上がり感とトルクを持つクルマだった。
今思い返せば、このクルマとの出会いが、その後のポルシェライフを決定づけたと言っても良いかも知れない。
色々と問題の多いクルマだったが、今まで乗っていたクルマとは一線を画するフィーリングが、もうポルシェにしか乗りたくないと思わせるのに十分な一体感とドライビングの快感を与えてくれた。
いつかは絶対に911に乗ると私が心に誓ったのは、このポルシェとしては当時戦略の失敗とされ、不人気だった928との出会いによるとすれば皮肉なものだ。
 
 
4)1993~1995年 BMW 525i (1991)E34 ダイヤモンドブラック 5MT
 
ドイツのデュッセルドルフに赴任し、BMWディーラーで当時30,000マルク(180万円程度)で購入した中古の91年式525i。
5シリーズなのにマニュアルミッション、このグレードなのに何故かエアコンの装備なし、パワーウインドウなしという驚きのスペック。
ドイツでエアコンが必要なほど暑いのは1ヵ月くらいなので実際にはエアコンは要らなかったが…。
この高速クルーザーは、頻繁にドイツとオランダを往復しなければならなかった当時、アウトバーンで大活躍してくれたが、時々ふらふらと追い越し車線に出てくる黄色いオランダナンバーのクルマ(さまよえるオランダ人)に何度か殺されかけた。
ドイツとオランダも頻繁に往復したが、スイスやベルリン、チェコのプラハにもこのクルマで旅をした。
BMWというメーカーの車作りのすばらしさを思い知らせてくれる、モーターのように回る素晴らしいエンジンと、高速での安定性、ステアリング性能、ブレーキ、どれをとっても不満の無いクルマであった。
自分の中でアウトバーンで出した最高速記録は、このクルマによるもので、おそらく260キロくらいだったと思うが、それは未だに越えられていない。
 
4)1994~1995年 BMW 323i E30 (1984) メタリックグリーン 5MT
この写真の色よりもグリーンがかったメタリックのボディで、駐在していた会社の先輩から譲り受けたものだったが、私が3代目の駐在オーナーで、その時点で20万キロ近く走っていたと思う。オイルがピストンの隙間から漏れて燃えていたのか、100KM走るごとにオイルを足していた。4代目のオーナーが30万キロ近くまで走ってエンジンをブローさせ廃車となったと聞いている。
4代目のオーナーに譲り渡すときに、私が残していったエンジンフードのショックがへたっていたため使っていた木のつっかえ棒と車内清掃用に放置していた履き古したパンツがその後同僚との笑いのネタになった。
ちょうど22年前、上の娘が当時の家内のおなかの中にいたときオランダからパリまで旅行中に、バッテリーが上がり、妊娠していることを知らない彼女ととともに立体駐車場内で押しがけをして動かしたというエピソードがある。流産していてもおかしくなかったのに無事に生まれてくれてのは幸運の一言に尽きる。
オランダのアムステルフェーンからナンスピートという北部の片田舎まで毎日片道100キロの通勤を支えてくれた思い出深いクルマであり、その区間のドアツードアの40分という記録はおそらく誰も破っていないだろう思われる。この記録を破るためには、高速道路上をほぼ平均200キロで走らなければならない。
2.3リッターのM20エンジンは140HPで最高速は200Km/hチョイだったと思う。
ちなみにドイツのアウトバーとは異なり、オランダの高速道路は速度制限(確か120Km/h)がある。
人生の中で一定期間の走行マイルが最も多かったクルマだ。
 
5)1995~現在 ポルシェ930(1986)
 
 
1995年、ついに念願の930を入手する。
オランダの北の果ての個人ポルシェコレクターから1995年に33,000ギルダー(およそ200万円)で購入。
その年に日本に持ち帰り、現在にいたる。
オランダから大阪への輸入には、船代、業者手数料、税金、車検改造費など、もろもろの合計で100万くらいかかったように思う。
購入当時の走行は8万キロ程度だったと思うが、エンジン、ミッション、クラッチなど全般的に程度のよいものでその後現在に至るまで大きなトラブルには見舞われていないが、ヨーロッパ車にありがちな錆に関しては近年になってボディーのレストアを余儀なくされたが、まだあと30年くらいは乗れそう。
殆どオリジナルの状態で維持しているが、最近ヘッドライトをイエローのベロフHID化した。
来年に向けて、ガス漏れの治らないエアコンの根本的な改善を目論んでいる。
現在走行距離は12万KM。
 
6)1995~2010 トヨタ5代目カムリSV40 1800 (1994) シルバー AT
BMW 525iと323iの2台と引き替えに、入れ替わりで赴任してきた同期から譲り受けたのがこのカムリSV40であり、マイファーストトヨタでたぶんラストトヨタだ。
トヨタのクルマというものがどれほど経済的・実用的にしっかり作られているかを知るには十分なクルマだった。
オランダから持ち帰った空冷のポルシェ930がセカンドカーの位置づけで、カムリがメインだったため結構世話になった。
父親が脳梗塞で倒れたおそらく1996年頃に、深夜病院まで駆けつけるのに阪和道で200キロ近くまで出した記憶がある。もちろんリミッターが効いた。
子供たちが小さいときに子乗せ椅子を装着して移動手段としても活躍し、上の子はクルマに乗っているときはあまり泣かなかった。
思い出の多いカムリだったが、残念ながら2010年に交差点で一方通行を逆走してきたトラックに左前方をぶつけられそのまま廃車に…。
むりやりシャコタンにしていたため、乗り心地は最悪だったが、なかなか思い出深いクルマだ。
 
7)2010~2015年 アウディー80 B4 2.0 (1994) レッド 4AT
 
 
バブル期の90年代には、女子大生のカローラと呼ばれたとか呼ばれないとか。
この時代のクワトロはなかなか魅力だが、これは普通のFFであまり走るクルマではなかった。
カムリが廃車になったとき、ポルシェ屋のオヤジがちょうど下取りしたものがあり10万円程度で譲り受けたものだが、その後5年間は日常の足として大活躍してくれた。
パワステの液漏れ、エアコン効かなくなると同時にパワーウインドウ動かなくなるという理不尽なことがあったが、よく走ってくれた。
プレリュードXX、VWカブリオレに次いで3台目の赤いクルマ。
 
8)2015~2015 ポルシェ ボクスター986S 3.2 (2002) シルバー 6速MT
このサイズと重量で3.2リッターの水冷エンジンを積むこのボクスターSは、初めて乗った水冷のポルシェだが、その速さには正直驚いた。
6MTだったこともあり、しばらく楽しませてもらったが、そのそも上中氏によるボディーのフルカーボン化の材料として170万ほどで仕入れたものなので、今は上中氏の工房でまだ加工中である。
一体いつ完成するのやら。
そのままの状態で持っていてもよかったかも?と思わせるほどエンジンはあたりの良いものだった。
※現在の姿(まだ完成にはほど遠い)
 
 
9)2015~現在 ポルシェ993(1994) レッド ティプトロ
 
 
ここに来てまた赤いクルマ。これが4台目。
結局のところ、なぜか赤いクルマに縁があるようだ。
赤のアウディー80に乗って5年経ち色々トラブルに見舞われ始めた頃、偶然出くわした出物。
内装が特注のブルーレザーというが珍しい。
MTではなくティプトロであるところが残念だが、さすがに最後の空冷だけあって、その完成度はすばらいい。
大きな外品のウイングが付いていたが、ダックテールに交換。
足回り、吸気、特注マフラー、ロム交換、ヘッドライトHDI化など色々いじって楽しんでいる。
 
10)2016~現在 アルファロメオ159 2.2 (2006) レッド 6MT
 
993を手に入れてから1年後、また赤いクルマに出会うことになる。これが5台目の赤。
設計事務所を経営していた知り合いが中古で手に入れて大切にしていたものだが、就職することになり、その会社で社用車が支給されるようになったため引き取り手を探していた。
ポルシェ乗りとしては、馬や牛でないにしてもまさかイタ車に乗ることになろうとは夢にも思っていなかったが、乗ってみるとなかなか悪くない。
この159というモデルは、GMとの共同開発によるGM/フィアットプラットフォームであるためか、実は不人気車種のようで、市場での中古車価格は100万円台前半でまあまあ程度の良いものが手に入る。
4ドアのセダンは日本で社用車として一台必要だったのでまぁちょうど良かった。
実はこの159に出会う前に、ポルシェラインで生産された92年式メルセデスベンツ500Eの話があったのだが、ブローカーにクルマを持ち逃げされ一度も乗ることもなく幻の500Eとなってしまいった。
もし、手に入っていたらそれが人生最初で最後のメルセデスになる予定だったが、おそらくもうベンツに乗ることはなさそうだ。
直4の2.2L 6MT FF、185hpと、あまり速いクルマではないが、MTなのでなかなか楽しい。
友人が2代目のオーナーでわたしが3代目だが、初代のオーナーが-いい感じにボディーをカスタマイズしている。
足回りに関しては、アイバッハのローダウンサスと純正のショックが組み合わされていたので、KONIのショックに交換して挙動はずいぶんよくなった。
自分の中ではさすがジウジアーロと言わしめる「最も美しいセダン」。
ベージュレザーの内装も高級感があり、美しい曲線で構成されたボディーは何とも言えずイタリアンだ。
 
【おまけ】
カワサキ ニンジャ GPz900R
1)カスタム1100改 2014年~現在
 
2)オリジナルGPz900R 2015年~現在