備中高松城 | エーゲ海に憧れて…

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6/15、16と上のムスメと2人旅で岡山へとやって来ました。

 

岡山桃太郎空港からさほど離れていない場所に、歴史上の大事な史跡があります。備中高松城です。

 

この城の名前でピーンと来た人は歴史好きです!そう、本能寺の変を知って豊臣秀吉が大返しを行う前に水攻めをしていた城跡です。

 

この備中高松城の水攻めがターニングポイントになって秀吉は天下人へのステップを登り始めます。

 

水攻めって堤防を作ってから川を決壊させて兵糧攻めにする方法。12日で築堤して水攻めをしました。

 

備中高松城っていつかは行ってみたいって思ってたけど、まさか今回の岡山旅で叶うとは。

 

こんな平城みたいな感じだったのね。そりゃ水攻めにはちょうどいいかもしれない。三の丸跡から暑いけど歩きましょうか。

 

鳥のフンがかけられてますが、水攻め時の毛利家の布陣と秀吉方の布陣の図です。

 

宗治蓮と呼ばれる蓮がたくさん!城主だった清水宗治をしのんで今も花をつけるそうです。

 

ここで水攻めなんかしたら本当に洪水になって城内は大変だったろうね。

 

備中高松城の資料館の裏は水田でした。そろそろ水を張る時期なんですね!水田の風景と街が溶け込んでます。

 

資料館に入ると清水宗治公の資料がたくさん!城内の城兵の命と引き換えに水攻め中の水上で切腹したとされています。でも、これも日本風の美談よね。

 

備中高松城の水攻め関連の遺跡がこんなにも遺されています。

 

中国攻めが秀吉じゃなかったらまた時代が変わってたんだろうね。清水宗治を切腹させて毛利方に悟られないように和睦して中国大返しをやってのけて、山崎の戦いに挑むわけです。

 

わかりやすいパネルだね。歴史を勉強する人もこれを見たらいろいろと感じるところがあると思う。

 

毛利家のしたたかさも感じます。家を滅亡させないための努力?何て言うんだろう。それだけ戦国大名も家を残すために必死だったのよね。

 

毛利家の防衛ラインの境目七城なんてここに来る前には知らなかったよ。まだまだ行って見て感じる史跡も多いって事ですな。