3月4日 №380

彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。

創世記37章31節

 ヨセフを売り飛ばした兄たちは、弟が獣に殺されたように偽装工作をして罪を隠ぺいしました。しかし、そうすればするほど、「悪者は自分の咎に捕らえられ、自分の罪のなわにつながれる」(箴5章22節)ことになります。

 イスラエルはエリコを倒した後、小さな町アイで敗北しました。神はその原因を、部族、氏族、家族の順に捜し出し、アカンの罪に行き着きました(ヨシ記7章)。アカンをアコルの谷で殺した後、やっと勝利を得ました。罪が処断されてこそいのちが回復します。「教会は許し合う所で罪を指摘する所ではない」、と思うのは違います。教会は、裁く所ではありませんが、罪が明らかにされ、主の十字架で取り除かれる所です。ヨセフの兄たちのように、互いに罪を隠し無いものにするなら、教会から聖霊の火は消えてしまいます。

 「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい」(ルカ17章3節)との厳しい戒めは、教会にいのちを満たすためです。

 友よ。互いに戒め合い、主に罪を背負っていただくことが愛することです。互いに裁いてはなりません。裁きは主の十字架で終わっています。