6月29日 ヨシュア記No59

主はヨシュアに言われた。「今日、私はあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ…る。

ヨシュア記5章9節

 民がヨルダン川を渡り宿営した所はギルガルと呼ばれました。それは、エジプトでの恥辱から完全に解放されたことの記念の地ともなりました。それでは、エジプトでの恥辱とは何でしょうか。
*神の民なのに、人の奴隷としてファラオに支配されたこと。
*神との関係で生きる羊飼いの人生から、この世に這いつくばって生きるレンガ作りの人生になったこと
*エジプトで死ぬ=土に帰るだけの者になったこと。モーセに導かれて、恥辱に閉じ込められたエジプトから荒れ野へと移されましたが、しかしそこにはまだエジプトが残っていて、民を誘惑しました。
*エジプトを慕う……神の国も、この世なるエジプトも。 *エジプトの食物を慕う……マナも、この世の食物も。
*金の子牛を慕う……主なる神も、エジプトの御利益神も。

 信仰の成長は、赤ちゃんから一気に大人に、とはなりません。必ず通らねばならない過程があります。霊的成長過程は省けませんが、速く通り過ぎることはできます。子供から大人になる時に必ず通る霊の過程の大事なポイントは、ヨルダン川を越す経験を何度も積むことです。

 友よ。あなたの信仰生活に、エジプトの恥辱を拭い去るギルガルはありますか。ギルガルは一度の経験ではなく、日々そこに戻り、また出発する所です。今日もギルガルに戻ってください。