10月27日 №617

「彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。」

創世記49章11節

 ユダへの預言は、救い主来臨とかかわります。シロの日は、救い主到来の喜びの日ですが、血の匂いが立ち込める日でもあります。事実、民衆に「ホサナ」の歓呼で迎えられた主イエスは、数日後に不当な裁きで十字架刑にされました。その血は「彼の打ち傷によって」私たちがいやされるためでした(イザヤ53章5節)。

 さらに、「その方(イエス)は血に染まった衣を着て」(黙19章13節)再び現れる「王の王、主の主」(同16節)なる再臨の神です。二千年前に来られた時に流された主の血は、人の罪の代価でしたが、再臨の主の衣を赤く染めるのは、罪人を裁く返り血と言ったら間違いでしょうか。否、裁きが必ずあるからこそ、その前に救いが語られているのです。 

 シロの日は、罪が赦される喜びの日(来臨・十字架)であり、罪が裁かれる恐れの日(再臨・裁き)です。2度目のシロの日(裁き)の前に、最初のシロの日(救い)を受け取っていなければなりません。

 友よ。より多くの人々が最初の赦しの血を受け取り、次の血を流すことがないように福音を伝えましょう。人の生死を決める日は、シロの日です。