6月3日 №471

「この地の名産を入れ物に入れ、それを贈り物として、あの方のところへ下って行きなさい。」

創世記43章11節

 ヤコブの贈り物に、相手のご機嫌を取り、自分の願いを果たそうとする心が見えます。同じく、ささげものによって神に自分の願いをかなえてもらおうとする、私たちの信仰の姿勢を見ているようでもあります。

 しかし、世界の富を集めるエジプトでは、カナンから持っていく高価な物も、ありふれた物にすぎません。ヨセフの関心は、物ではなく「心」、行いではなく「信仰」、ささげることではなく「受け取る謙虚さ」です。

 「主は主の御声に聞き従うことほどに、…いけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(Ⅰサム15章22節)。

 ヨセフ(イエス)の願いは、彼ら(人間)からお土産をいただくことではありません。むしろ、彼ら全員が自分の元に来て、自分が与える祝福(食糧と守り・兄弟同士の和解)を受け取ってもらうことです。

 友よ。神が私たちに望んでいることは、神に自分をささげることでなく、神から自分(神の意思によって創られた、世界でたった一つの神の作品)を受け取ることです。