9月10日 №570

すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となります。」

創世記47章25節

上記のヨセフと民との関係は、神と私たちの関係を象徴的に表しています。愛は強制ではなく、自由な決断です。民が自ら進んで奴隷になることを申し出たのは、ヨセフの民に対する行動が「愛」だったからです。

 人は、真実な愛を受けると、自ら進んでその人に仕えたいと願います。イザヤは主イエスの十字架預言の中で、「それゆえ、わたしは、多くの人々を彼(イエス)に分け与える」(イザヤ53章12節)と記し、その理由を、「彼が自分のいのちを死に明け渡した」(同)からだと言いました。

 パウロも、主イエスが「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われた(ピリピ2章8節)」ので、自分から進んで「キリスト・イエスのしもべ」(ロマ1章1節)になりました。 

 主の奴隷の身分は、世界で一番、「安全な地位・栄光に満ちた地位・聖霊に1番助けていただける地位・主に1番愛される地位」です。

 友よ。この素晴らしい立場があなたに約束されています。だからパウロは、主の奴隷以外のものを「ふん土」(ピリピ3章8節・口語訳)とまで言いました。