2月19日 №367
 
ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。…彼らは、ますます彼を憎むようになった。

創世記37章5節

 若者たちは夢を見るものですが、その夢が、自分の願いなのか、主の霊が注がれた預言としての夢かを見分ける必要があります。ヨセフの夢は後者で、神の啓示でした。

 夢は深層心理の表れで、心の底に蓄えられたものといわれますが、ヨセフの夢の出所は二つありました。一つは、神からヨセフへの直接的啓示。次は、父ヤコブがヨセフを特別扱いしてまで語り教えた神の御心(使命)と家族の歴史(証し)。それらが重なった、神の「啓示としての夢」でした。

 神の啓示は、ある時突然、誰かに、というものでなく準備された魂に与えられるものです。しかし、啓示を得てそれで高慢になり、人々を軽視してはなりません。ヨセフは、若気の至り、が先に立ちました。神の御言葉は、剣(エペ6章17節)であり真珠ですから、だれ構わず語ればいい訳ではありません(マタ7章6節参照)。

 御言葉は、一刀両断に裁く刀にも、束縛の縄を切り、患部を取り除く愛のメスにもなります。神の御言葉を預かっている友よ。「主よ、あなたの御言葉を、自分にもあの人にも、いのちとしてください」と祈りましょう。