「冬の旅」、そして言葉と音楽について。 | 小林沙羅オフィシャルブログ「小林沙羅のきまぐれ日記」Powered by Ameba

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ソプラノ歌手、小林沙羅のブログです。
出演する演奏会についての日記を中心に、忘れてしまいたくない大切な日々を綴っていきたいと思います。

1月31日、東京文化会館。
シューベルト「冬の旅」が一夜で2回演奏されました。

第一部は私と小原孝さんで松本隆さんの日本語訳のものを、
第二部は河野克典さんと三ツ石潤司さんが原語で、
それぞれ24曲全曲を演奏しました。

お客様は一夜で2回の冬の旅(1回75分ほど)を
聴かれたという事で、お疲れにならなかったかなぁ、
と、心配でしたが、補助椅子が出るほど満員の会場で、
多くの皆さんに最後まで聴いて頂けて、
たくさんのあたたかい拍手を頂けてありがたかったです。

こちらは終演後に
松本隆さんと小原孝さんと一緒に撮った写真です。

冬の旅



今回数日前に少し体調を崩してしまいまして、
一時期どうなる事かと思ったのですが、
本番には体調も治り、
精神的にも落ち着いていたので体の無駄な力みも抜けて、
いい状態で歌えたと思います。
どんな時も寄り添って支えて下さった小原さんのピアノ、
そして東京文化会館のスタッフの皆さんに、
本当に感謝しています。

松本隆さんの訳詩は、
聴いて下さった方々も何人も言ってらっしゃいましたが、

言葉が伝わりやすい。そして歌い手にとっても歌いやすい。
それは松本さんの訳が、単なる翻訳ではなく、
音楽の抑揚に沿った自然な流れを作っていて、
メロディーラインを崩さず、そして無理のない言葉が選ばれ、
紡がれているからだと思います。
松本さんの言語センス、そして音楽に対する感性は素晴らしいな、
やっぱり天才だ!!と改めて強く思いました。

演奏会が終わってみると、いろいろもっとああすれば良かった、
こんな表現もやってみたかった、もっともっと深めたかった、
と、思う所はありますが、それはいつもの事なので、
次に歌わせて頂ける日のために、
さらに解釈を深めていきたいと思います。

第二部は客席で聴かせて頂きました。
自分が歌ったと同じものを歌った直後に今度は同じ会場で、
別の方の演奏で聴かせて頂くなんて、
こんな機会はめったにないので、とても貴重な体験でした。
河野克典さんはベテラン中のベテラン。
「冬の旅」ももう何度も演奏されている演目で、
ドイツでも認められている円熟した演奏。
緩急の付け方や表現の幅など、本当に素晴らしく、
重苦しくなりすぎない生き生きとしたストーリー性のある演奏に、
とてもたくさんの事を学ばせて頂きました。
三ツ石さんのピアノも時に歌に寄り添い、時に強く主張し、
歌と対等な関係で音楽を生き生きと作り上げていく。
これぞリート!という世界でした。

こちらはバリトンの河野克典さんと。

冬の旅


ドイツリートを日本語で歌うなんて全く意味がない、
それにソプラノが「冬の旅」?変なの~
という意見はたくさんあったと思います。
私に直接おっしゃる方はいませんでしたが、
そう思われている方がたくさんいるだろうな、と、
特にドイツリートへの思い入れが強い方々はそう思われるだろうと。
そんな中で、私が「冬の旅」を歌っていいのだろうか。。
と思って悩んでいた時に、
評論家の池田さんが、タワーレコードのHPに
以下のような記事を書いて下さいました。
告知のための記事ですが、私はとても励まされました。

こちら→ http://tower.jp/article/series/2013/12/12/katsunorikono_sarakobayashi
のHPより抜粋

日本で「冬の旅」を愛聴、延々と蘊蓄を傾ける人の多くは高齢で、自らをインテリと自負する。「名演」の規定も知性派バリトン歌手の音源や実演に集中してテノールや若手、ましてや女声による解釈への評価は歴史的に低い。背景には西洋音楽を本格導入した文明開化期、音楽教育の指導者がドイツ系に偏り、聴き手にも「教養としての音楽」を求めた風潮の痕跡が横たわる。

この受容形態が「冬の旅」を必要以上に「老人音楽」に奉ったのではないか? 青春とは傷つきやすく残酷ながら、リベンジのチャンスが無限にある。伝説のロックバンド、はっぴいえんどのドラマーから作詞家、小説家、音楽プロデューサーへと転身した松本隆が1990年代初頭に「冬の旅」を自らの日本語で再プロデュース、五郎部俊朗のテノールと岡田知子のピアノで録音(BMG=現ソニー)したCDを聴いた瞬間、若干の違和感を覚えつつも、「シューベルトの青春が甦った」かのような感触を抱いた。

今回、東京文化会館では「亜流」とされる日本語版を、さらに例外のソプラノに歌わせ、ドイツ語版は定番のバリトンで対比を際立たせる。ブレヒト流に言えば、受け手を敢えて未知のゾーンに置く「異化」の世界から、外国語でも馴染みのある「同化」へと、一晩で移動する野心的な企画である。小林沙羅は目下ウィーンで研さん中の新進、河野克典はかつてウィーン国立歌劇場の研修所で学んだ名歌手だ。ピアノもジャンルを越えて活躍する小原孝が日本語、ウィーン音楽大学の優秀な歌曲指導者だった三ツ石潤司がドイツ語と、万全の布陣。音楽と言葉という命題を考える上でも、意義ある催しといえる。」

シューベルトが「冬の旅」を作ったのは
私と同じぐらいの年頃です。
シューベルトは教養としての芸術歌曲を作ろう、
としたわけではなく、サロンで自分でピアノを弾いて歌って、
その頃の自分の心情を表す作品を、
友人達に聴いてもらっていました。
シューベルトはたった31歳で死んでしまいます。
死を予感するような、死にあこがれるような、
そんな「冬の旅」は死をテーマにしながらも、
若者らしいエネルギーを湛えているように感じます。

こうして遠い日本の地で、
200年以上経って自分の誕生日に、
その国の言葉に翻訳されて自分の作品が歌われている。
そして満員の会場での今回の演奏会の状況を見て、
シューベルトはどう感じるかなぁ、と想像しました。
僕はドイツ語で書いたんだからドイツ語で演奏してくれよ、
そうでないと意味がないんだよ。
そうでないと良さは伝わらないんだよ、
と、そう言うでしょうか?
私はきっとシューベルトは喜んでくれているに違いないと思います。
日本語で歌うとこんな感じになるんだね!と、
その響きの違いや雰囲気の違いも含めて、
楽しんで聴いてもらえたのではないかと思います。

「音楽と言葉」というのは私にとっても一生の課題です。
言語の持つ音楽性、
言語と密着して作られたメロディー、フレーズ、
そして、日本人として生まれた私たちが、
外国の作品を演奏するということ。
その中での限界や、逆に言葉の理解とは違う次元で
伝わる事、普遍的なもの。
母国語で歌う、又は聴く事によって心と密接につながる事、
逆にそれによって失われるもの。。。

考えは尽きません。
今回の演奏会の前にもたくさん考えましたが、
演奏会後もたくさん考えました。
そして今までよりも考え方が深まり、
まとまって来たようにおもいます。
こうでなければならない、と、狭い考え方をせず、
これからも考え続け、試行錯誤を続けて行きたいと思います。

まだまだ未熟ではありますが、
未熟だからこそまだまだ成長できる!
と、信じて!

最後に、もうひとつ。

今回私に力を与えてくれた強い味方に、

ジュエリーがあります。
アンティークジュエリーのREGARDさん
(ホテルニューオータニにお店があります。)
が今回の「冬の旅」の演奏会のために提供して下さいました。

REGARD HP→
http://www.regard-antiquejewellery.com/

REGARD Blog→
http://regard-antiquejewellery.blogspot.jp/


この、胸につけている三つのブローチとイヤリングが、
そのジュエリーです。

リガード


紺色のドレスに、まるで雪の結晶のように、
輝くブローチと、真珠のかわいらしいイヤリング。
1870~90年頃に作られたものとの事。
これまでどんな人がどんな思いでどんな時に
付けて来たのでしょう。
様々な人の様々なドラマを感じます。

リガード


時代を越えて、国を越えても変わらない価値。
アンティークジュエリーもクラシック音楽も、
そこに普遍的な美しさがあるから、
見る人、聴く人の心に、
時を越え、国を越えて、感動を与えるのでしょう。