平家から阿波へと続く | *Sarahサラむすひ*

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神社、お寺、教会など宗派の垣根を越え聖地を巡礼をしています
自然と歌と音楽をこよなく愛する自由人
あらゆるものと繋ぐパイプとしてのお役をさせていただいています

こんばんは。


 

息子の宝毛が!



 

2センチ以上、スクスクと

伸びていたのですが

中々予約が取れなかった美容院で

うっかり顔剃りをされてしまい

当の本人、私が指摘するまで

すっかり忘れていたと・・・



 

息子より私の方が凹みました…チーン



Sarahサラです。



 


その後、白というより金色の毛に

変化していたので

毎日確認しては

キャッキャッ楽しませて

もらってましたー爆笑


 

 

毛根は残っているハズなので

また生えてくる可能性はあるのですが

白い毛とは限りませんよねぇ。



 

とりあえず、生えてる内に

宝くじは買いました!(笑)


 

 

とはいえ、スクラッチ一枚ですがニヤニヤ

 


その前に一枚だけ購入していた

ワンピースのスクラッチを削ってみましたら

千円の当たり!びっくりキラキラ


宝毛効果かしら?

 

 

 

 

さて、最後の更新から随分

間が空いてしまいました。



 


6月は通常モードになったので

一週間が経つのが早すぎて・・・

私の器量ではブログに注ぎ込む

余力が残っていませんでしたチーンチーン


 

 

三線教室も通い始めてから

早くも一ヶ月が経過しようとしております。




6月に入って急激に新しい

生徒さんが増えたようです!




教室の日はいつも空が賑やかで

ダイナミックな筋雲もよく出ており

つい見惚れてしまいます照れ



と、教室のカーテンが

筋雲の柄に替わっておりました(笑)

 

 

てか、筋雲のカーテンって…滝汗


沖縄特有かな?


 

筋雲って言われなければ

皆目、見当がつきませんでしたが(笑)



 


平均して週一回ほど家で練習する時間も

儘ならないのですが

見学の日も含めて4回教室に通いましたお願い



ようやく音階と記号が一致してきて

たどたどしくはありますが

 


「涙そうそう」や「島人の宝」も



譜面を見ながら弾けるようになりました!



 

もう嬉しくて嬉しくて

私の心が喜んでいます照れラブラブ




そして沖縄慰霊の日を

三線教室で迎えたことも

私の中では意味を成していたと思いますキラキラ




月桃という沖縄慰霊の歌を

教えていただきました。



教室の前には鉢植えの月桃が置かれていて

もうすぐ花が咲きそうですニコニコ


 


次回は三線持って

沖縄へ行くのが待ち遠しいですお願いキラキラ

 




さて、長州の続きを!

といきたいところなのですが

待っておられる方

本当に申し訳ございませんショボーン





何やら先に平家の方を

先に先にと促されているような氣がして

続々とお誘いがかかるので

(私が勝手にそう思い込んでるだけかもしれませんが)

先にこちらを記させて下さい🙏



今月は珍しく毎週末お休みだったので

今週を除いて全ての週末に出かけておりましたが。




終わってみると、ここもそうだったの?!

ってところまで平氏絡みで

空海さんや滝も合わせて

行く先々で四葉がサインとして

目に入ってきていました。


 


赤間神宮で安徳天皇御陵で

手を合わせて間もなく

仲間のKさんに広島駅周辺の

うなぎ屋さんに誘われました。



 

お天氣は雨が降りそうで微妙でしたが

私はこの日、安徳天皇が上陸したとされる

江田島に渡ろうと計画していました。




鰻をご馳走になった後

そこにKさんも一緒に同行することになり

私の運転する車で呉へと向かいます。



 

戦艦大和のふるさと

呉の工場の前を通り抜け

音戸大橋を渡りました。




江田島に上陸するのは何年ぶり?!

というほど、随分昔になるけれど

結婚して間もなく

旦那さんの会社の仲間にBBQを誘われて

以来の記憶でしかないので

おそらく23年ぶり?


 

しかし、息子は年少〜小6までの間

毎年の様にサッカーの合宿で

年に二度は通った江田島アセアセ


 

 

当時は江田島がエリート海軍兵学校の

町だったなんて知る由もなかった滝汗

 



しかし、今思えば、私に霊能力者の

鑑定師さんを紹介してくれたのは

江田島出身のママ友だったりするし
何かと江田島とは縁があるらしい。

 



早瀬大橋を渡って

江田島に上陸し

最初に目に飛び込んできたのは



 

「安徳天皇ゆかりの地・大君」




 

大君というのは地名は

天皇を敬うという語から来ているようです。

 

 

琉球の聞得大君(きこえおおきみ)の大君も

「君」はカミという意なので

神の最高位ということらしい。

 


 

ここで、世にも珍しい街中の自販機で

あごだしを売る「だし道楽」さんを見つけました。

 

 

高速道路のSAでも売っているので

何氣にお土産で買ってましたが

江田島の二反田醤油さんから

出ている商品だったんですね~びっくり


 

 

下調べで見つけた

早瀬大橋の袂付近の


「平家口碑」


を探しに向かうと


そこは整備された広場で

芝生には南国の椰子の木や

蘇鉄が生えたスポットとなっていました。



 

安徳天皇と三種の神器を奉じた

平宗盛率いる軍勢は源義経の急追を逃れ

軍船を連ねて長門国壇浦に向かう途次

当地(多海ー大美)に上陸した
 

当地の豪族秀栄は快く一行を迎えた。

宗盛は大いに喜び、地名を「大君」と

改めるように命じた。
それ以来、全国的にも珍しい地名が生まれた。

そのほかにも王迫、匿宮山、御立山など

往古を偲ぶ地名が現存している。





 

 

ここで、碑のそばにシロツメクサが咲いていたので四葉あるかなあ~♪


って探し始めた途端

またしても四葉が目に飛び込んできました・・・クローバーびっくり



 

しかもてんとう虫までいるではありませんか!てんとうむし

 

 





もう何年もてんとう虫を見たことがなかったので

車のフロントガラスに

てんとう虫が止まったのも

予兆だったのではと

思わずにはいられませんでした。





 

 

四葉のクローバーは3本見つけて

採取しましたが

車内で弱ってしまったので

可哀想なことをしたなあって思いました。

 

 

続いて、向かったのは大泊。





 

安徳天皇ご一行が壇ノ浦へ向かう途中

来航した汐待ちをするべく立ち寄ったところ。


 

そして、安徳天皇が唐船から

飛び降りて上陸したとされる小島。

 

 

蹴り小島(きりこじま)

 



 

私はここに行く前に

漫画仕立てのストーリーを

見つけたので思いを馳せていました。








 

そんな思いからか、この浜に降りると

一頭の蝶々が私に知らせるかの如く

砂浜に止まって羽を休めていました。





近寄っても逃げようともしません。

 



平家の家紋は揚羽蝶だけに

その蝶は幼い安徳天皇の御魂を

乗せた蝶々に感じられ

しばらくその浜で時間を過ごしました。

 

 

 


この地を離れて僅か二日後

安徳天皇は壇ノ浦の海に入水し

崩御されました。


伝説上ではそうなっていますが、私は密かに

逃げ延びたのではないかと思っております。



 

そのことを知った大君の住人は

大泊の山中から海に向かって

一列に並ぶ巨岩が壇ノ浦に沈む

平氏に見えたことから羅漢石と名付け

平家を偲んで手を合わせたそうです。



羅漢石に向かおうとしたのですが

氣づいた時には方角が逆だったため

陀峰山という一角の天狗岩が

氣になって足を進めました。



途中、大君胡子神社の前を通りました。



 

昔は波止の先端にあったらしく

漁船の守り神にあったに違いありません。

 


天狗岩へ行く道は少し狭く

私の大きな車で離合できるか心配でしたが

幸い離合する車もなく

駐車するスペースも十分にありました。


 

降りてみてびっくりびっくりハッ

天狗岩までは大きな一枚岩が広がり

眼下に広がる瀬戸内海は絶景でしたイエローハート




何でもサントリーのビールのCM撮影で

元SMAPの稲垣吾郎さんや香取慎吾さんが

来られたそうです。




↓天狗岩の天辺に登りました。











 

奇岩や巨石がとても神秘的な

雰囲氣を醸し出していて

なんだろう?

宮島の弥山と繋がってるような

錯覚を覚えました。


 

眼下には羅漢石もあることから

きっとこちらから慰霊の祈りを

捧げることで良かったのかもしれない。


 

 

江田島は元々、能美島の3町が

合併したことによって

一つの江田島市になったのですが

数百年前に陸続きになったので

一つの島であり

瀬戸内海でも4番目に大きな島であります。


 

車で走行するにもかなり広いです。


 

来た道を通って帰るのはさすがに遠いので

Kさんの提案で江田島町の切串港から

車を船に乗せて

宇品港まで帰ることにしました。


 

かなり時間短縮です!


 

江田島町には旧海軍兵学校があり

映画やドラマのロケ地にもなったそうです。



見学もできるようですね。

 

門の前を往復し、門の前で方向転換し

時間もないので引き返しました。



不審者と思われたかもしれません滝汗



 

途中、氣になったのが

軍艦、榛名・出雲戦没者留魂碑。



 

昭和20年

江田島沖に停泊中

アメリカ艦載機に空襲を受けて

多くの死者を出したとあり

手を合わさせていただきました。




その横に火薬事故で

殉職した方々のお名前も。



 

 

敷地内に咲く白い花がたわわに

成っていたのが印象的でした。



 

 

この数日後、勤務中にラジオから流れる

三原の白竜湖…を耳にした私は



何となく行かなくては…と感じて

世羅町と合わせて

備後地方に足を延ばします。


 

湖とダム。

ここでも平家の伝説が残っていました。

 

 


つづきます。