落合順平 作品集 -4ページ目

落合順平 作品集

長編小説をお楽しみください。

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (28)
 半玉のつくり方

 

 風呂上がり。ホカホカの湯気を上げている清子が大きな鏡の前で、
浴衣の襟をはだけている。

 

 半玉は、お座敷でお酌や芸を見せる芸者さんの見習い。
半人前の、文字通り、『たまご』を指す。
関東では半玉と呼んでいるが、京都は舞妓と呼ぶ。
年齢的には、舞妓の方が年少になる。

 

 

 長い歴史を持つ京都では、13~4歳くらいからお座敷に出る。
未成年が酒席へ出ることが、京都市の条例で特別に許可されている。
かつては中学へ通いながら、デビューする舞妓もたくさんいた。
舞妓は見た目の「おぼこさ」が命。
関東の半玉という呼び方は、玉代(ぎょくだい)が半分だったことに由来している。
現在。そうした格差は是正されている。


 半玉でもとりあえず、芸事のひとつくらいは披露しなければならない。
踊りは「やっこさん」という、初歩的なものから身につける。
三味線や笛などは難度が高すぎる。
そのため、出番の少ない太鼓などから習得していく。
これらのことができてはじめて半玉として、見番に登録することができる。

 

 

 半玉と1本(一人前の芸妓)の違いは、服装にも現れる。
1本になると、特別な時以外は、普通の訪問着などを着用する。
帯はお太鼓と呼ばれる締め方。
髪は、日本髪の鬘(かつら)を使う場合もあるが、多くが夜会巻き
(鹿鳴館時代に流行した髪型・束髪の一種) と呼ばれる髪型が多くなる。
後髪の束をねじり上げ、髻をつくった形が基本。
揚げ巻き・花月巻きなどと呼ばれている、いわゆる、アップスタイルの髪型だ。

 

 これに対し、半玉は常に振り袖を着用する。
肩上げや腰上げも取ってある。全体的に、子供らしさが残っている。
襟を大きめに抜き、首筋を見せて着つけるの。
帯は「千鳥」という、コンパクトでかわいい結び方。
髪型は、桃割れのかつら(かつらではなく、自毛の子もいる)を使用する。
半玉でも、先輩格になると格好が少しばかり変わる。
髪型が結綿(ゆいわた)に変わり、かんざしも少し地味になる。

 

 結綿(ゆいわた)は、江戸時代後期に流行った未婚女性の代表的な髪形。
つぶし島田の髷の元結の上に、赤い鹿の子の手絡(てがら)を結びつける。
平打ち簪(かんざし)や、花簪(はなかんざし)に飾り櫛などを添えて
少女らしい華やかさを演出する。

 

 お化粧は、顔全体を白く塗る。背中や首筋も白くぬる。
目のふちに、赤い紅をさす。
上気した瞬間の女性の色気をあらわしたもので、若い子ほど妖艶さがひきたつ。
京都の舞子には、口紅に関しての決まり事がある。
出だしの舞子は下唇にだけ紅をさす。
1年ほど経過してから、上唇に紅をさすことがゆるされる。
関東の半玉に、そうした決まりごとはない。

 

 

 「おや?。少しばかり、濃すぎやしないかい?。
 透き通った綺麗な肌をしている年頃だ。
 そこまでベタベタお粉(おしろい)を塗らなくても、いいだろう?」

 

 ひょっこり顔を出した市が、清子の白塗りに不満をつけている。
『そんなことしたら、白塗りが斑(まだら)になってしまいます!』
小春は、白塗りの手をゆるめない。

 

 

 「そうだよね。
 下地をしっかり塗らないと、お化粧の乗りが悪くなるのは確かです。
 でもねぇ。透き通った半玉たちの肌を見るたんび、
 そんなに厚く塗らなくてもいいのに、と思うのはどう言う意味だろうねぇ。
 透き通る肌を、ここまで隠さなくてもいいのにと思うのは、
 やっぱり、年寄りのひがみかねぇ・・・・」

 

 市が清子の顔を覗き込んで、「もったいないねぇ」とため息をつく。
しかし。小春は白粉を塗る手を、ひとときも休めない。
やがて白一色の、清子の顔が完成していく。

 

 

 「平安時代の貴族たちは、顔を白く塗っていました。
 薄暗い住居の中で、めいめいの顔を引き立てることが目的です。
 芸妓や舞妓の白塗りのルーツをたどると、やはり同じことが言えます。
 昔のお座敷は、ろうそくをともしていました。
 かすかな光の中でも美しく見えるよう、白塗りしたのがはじまりです。
 そう教えてくれたのは、市奴お姐さんではありませんか。
 お粉は、陶器のように、完璧なまでに、真っ白になるまで塗りなさいって。
 そう教えていただいたことを、私はいまでも、
 鮮明に覚えております」

 

 

 「あら。そんなことを言ったかい?。
 そんな昔のことは、とっくに忘れちまった。
 あっ、あんた。ひとつ忘れているよ。隠し技の、ピンクの粉を忘れただろう。
 このまんまだと清子の顔は、ただの白塗りのお化けだ。
 白の奥にほのかな紅みがかくれていないと、ダメじゃないか。
 白粉のおしろいを施す前に、ピンクのお粉をささっとさりげなくつけておく。
 そうすると、下地の奥から、ほんのり紅が浮かび上がってくるんだ。
 ですが、今からじゃ遅すぎますか・・・
 後の祭りになるが、適当に、サラサラとピンクの粉をかけてやれば、
 なんとかなるかもしれないねぇ・・・」

 

 

 「あら。ホントウです。
 ずいぶん前のことですから、半玉を作る手順など、すっかり忘れておりました。
 いまから白塗りを落とすのは大変です。
 面倒ですからこのまま、ピンクのお粉を上からかけてしまいましょう。
 その上にもういちど、白塗りを重ねていけば、小々お化粧が厚くなりますが、
 なんとかなるでしょう」

 

 「おう。そらいい考えや。その手でええやろう。
 厚くなればお化粧が丈夫になる。きっと長持ちをするだろう。
 かまへん。かまへん。今日はそれでええことにしょう。
 明日から気をつければ、それでいいこっちゃ。あっはっは」

 

 『おいおい。経験豊かなお姐さんたちが、そんな大雑把なことでいいのかよ』


心配顔のたまが下から、清子の顔を見上げる。
『いいから、たま。心配しないで頂戴。経験豊かなプロにも失敗はあります』
気にしなくても大丈夫と、清子が目で笑い返す。

 

『そんなもんか。でもよう、大変だなぁ。上下関係の気遣いってやつは・・・・』
姐さんには絶対に服従なんだなと、たまがブツブツつぶやいている。


(29)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (27)
 他愛もない騒動

 

 『春奴母さんと豆奴姉さんが、帰っちまうのは一向に構わないが、
 なんでおいらのミイシャまで、一緒に帰るんだろう。
 とつぜん帰られたら、今夜から、おいらが寂しくなっちまうじゃないか』

 

 『いいじゃないの。あたしが居れば大丈夫でしょう。たまは』

 

 『駄目だ。おめえは俺のタイプじゃねぇ。
 だいいち、おっぱいも大きくないくせに、一人前の口をきくな。
 胸が大きく膨らんで、あそこに毛が生えて、お尻が大きく丸くなったやつのことを、
 一般的に大人の女と呼ぶんだ。
 お前さんはなにひとつ、そいつに該当していないだろう。
 まだ半人前のくせに、生意気な口をきくんじゃねぇ』

 


 『なんだと。もう一度、言ってごらん。この生意気な口は』
清子がたまのヒゲをつまみ、エイとばかりに思いっきり上へ引き上げてしまう。

『アッ、イタタ。この野郎。ヒゲを引っ張るのは反則だぁ。まいった。降参だ!』
バタバタ手足を振り回したたまが、大きな声で悲鳴を上げる。
『わかればよろしい』清子がたまをポンと放り出す。

 

 

 『あいたたた。まったく・・・やることが乱暴すぎるぜ、清子ときたら。
 猫の髭には、たくさんの神経が集中しているんだ。
 微妙な振動を敏感に感じとる、高性能のレーダーだぞ。
 そいつを、つまんで引っ張りあげるとは、乱暴するにもほどがある。
 お前はいったい、どういう神経をしているんだ!』

 

 解放されたたまが、清子を涙目で見上げる。

 

 『ふん。まだ子猫のくせに、生意気な口をあたしにきくからさ。
 寂しそうでかわいそうだから、だまって懐に入れてあげていたけど、
 そういう事なら、もう、面倒なんか絶対に見てあげません!』

 

 フン、とたまの目線を外した清子が、『好きにしなさい』と
そっぽを向いてしまう。

 

 

 『そう言うなよ清子。お前だって本当は、寂しいだろう?』

 

 『何言ってんのよ。あたしは、寂しくなんかないわ』

 

 『そうかぁ。じゃ余計な心配かぁ。
 お前くらいの年頃は、ホームシックにかかると聞いたぞ。
 おふくろさんが恋しくなって、メソメソ泣くそうだ。
 お前。本当に大丈夫か?
 寂しいのなら、今夜は、俺が慰めてやってもいいぞ』

 

 

 『あら。なかなか言ってくれるわねぇ。たま。
 じゃ聞くけど。どんなふうにして、あたしを慰めてくれるのさ。
 言ってごらんよ』

 

 『方法はいろいろ有る。
 そうだなぁ。まず、耳元で一晩中、愛の言葉を囁く。
 胸のふくらみを、おいらのザラザラした舌で一晩中、舐めてやる。
 両足のあいだに潜り込んで、一晩中、お前を温めてやる。
 この3つのうち、1つだけ選択しろ。
 なんなら、全部まとめてでもおいらは、一向にかまわないぜ』

 

 『この、ド変態子猫。
 あんたときたら妄想に、限度というものがありません。
 いい加減にしないと、見せしめのために、尻尾を掴んで振り回し、
 月の遥か彼方の世界まで、思いっきり、投げ飛ばしてあげようか』

 

 

 『あっ。待っ、待て。それだけはよせ。
 誰にでも愛想よく振っているだけの犬の尻尾と大違いで、猫のしっぽには、
 大きな役割がある。
 バランスをとるために欠かせないし、尻尾を強引に引っ張ると
 内蔵に障害を起こしたり、脊髄に損傷を起こして下肢(後ろ足)に障害が
 発生することもある。
 そ、それだけは、頼むからやめてくれ!』

 

 

 『うふふ。顔色が変わったね、たま。少しは反省したみたいだわね』

 

 

 『当たり前だろう。
 お前ってやつは、手加減の出来ない不器用な女だからな。
 本気でやられたら、月はおろか、火星か木星あたりまで投げ飛ばされちまう。
 ふん。いろいろあるが、今日のところはこれくらいで勘弁してやる。
 このあたりでとりあえず、停戦といこうぜ』

 

 『いいわよ。私はたまほど発情している訳ではないもの。うふふ』

 

 

 『ところでよぉ清子。あ、いや。今は市花(いちか)か。
 あっちで2人がさっきから、半玉を作るのが楽しみだとヒソヒソやっているぞ。
 半玉ってやつは、作りあげる代物なのか?』

 

 『どうなるのか、ウチにも、さっぱりわからん。
 今夜は6時にお座敷に入るので、その時間にあわせて作ってくれると言ってます。
 お風呂に入り、全身を丁寧に磨いておけと、念を押されました』

 

 『何時頃のことだ。それは?』

 

 

 『2時間前までに済ませておけって。あっ、もう4時を過ぎてるやないの。
 たまが余計なことばかりを言うから、すっかり出遅れている状態や。
 急いで風呂に入らんと、小春姐さんに本気でまた、
 どやされてしまいます!』

 

 『そらいかん。
 おいらが背中を流してやるから、急いで風呂へ入ろうぜ!』

 

 『たまとは、もう、入らん』

 

 『なんでや。この間までは一緒に入ったやないか。別に問題はないやろ』

 

 『ウチにも、都合というものがある』

 

 『都合?。ははぁ、
 さてはお前。あそこに、ようやく毛が生えてきたか?』

 

 『好かん!。また余計なことを言う、たま。おまえときたら!。
 私はこれからお風呂へ行くが、お前がこれから飛んでいくのは冥王星か
 それとも、宇宙の果ての海王星の方角か。どっちや!。
 どっちでもいいから、好きな方を選べ。
 私が渾身の力で放り投げてあげるから。覚悟しいや、たまっ!』

 

 『うわっ、かなわん。わ、わかった。
 やっぱり、口は災いの元や。堪忍、堪忍やでぇ。清子~
 ムキになるところを見ると、やっぱり、お前、あそこに毛が生えて・・・・』


 たまが次ぎの言葉を言う前に、清子の強烈な右ストレートが顔面に伸びてきた。
『へへん。すでに読んでおるわい。お前の攻撃など。当たるかい、そんなパンチ』
たまが軽くヒョイと身をひるがえす。
だがその瞬間。狙いすました清子の平手打ちが、反対方向から、
たまの横顔を的確に、バチーンと捉える。

 

 

 『未熟者め。お前の逃げ方は常にワンパーターンや。
 今日もウチの勝ちや。思い知ったか、この単細胞。うっふっふ』

 

 (28)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (26)
 お座敷遊び5箇条

 

 「さて。それでは私たちは安心して、これでお暇(いとま)などを
 いたしましょう」

 

 市の舞いを見届け、ねぎらいの言葉をかけた春奴が、清子の顔を振り返る。
『お暇、え?』突然のひとことに、清子が思わず自分の耳を疑う。

 

 「帰ってしまうのですか?。春奴母さんと、豆奴のお姉さんは?」

 

 「別に驚くにあたりません。最初から決まっていたことです。
 そばに小春がいて、市さんが付いていれば、清子にはそれだけで充分でしょう。
 時々様子を見に参ります。
 では市さん。この子のこと、よろしくお願いいたします」

 

 当たり前です、あたしは忙しいんだから。と春奴が笑う。

 

 

 「大丈夫。大船に乗ったつもりで会津に居なさい。
 すべて、春奴母さんから聞いております。
 知らないのは、ここに居る小春と、当の清子の2人だけです。
 東山温泉の、粋なお座敷の空気をたっぷり勉強させておきますので、
 お2人は、安心をして湯西川へお帰りください。
 それにしても、清子という本名のままお座敷に連れて行くのは
 格好がつきません。
 なにか良い芸名はないのですか、お母さん」

 

 

 「予定は有るのですが、ここでいま、披露するわけにはまいりません。
 市。内緒です。ちょっと、こちらへいらっしゃい」

 

 春奴が市を手招きする。
『耳を』と誘われた市が、春奴母さんの膝へ色っぽく手を置く。
上半身をあずけるような形で、身体を傾ける。
手招きされるまま、すっと小耳を春奴の口元へ運んでいく。
『所作がいちいち、癪にさわるほど色っぽいですねぇ、この女狐ときたら』
と春奴が、軽く睨む。
『最近は少し太めですので、狐ではなく、女狸になりました』と市が切り返す。

 

 

 (大きな声では言えないのには、実は、ワケがあります。
 引退する予定の半年後、この子に私の名前、春奴を譲ろうと決めております)

 

 (え!。あんた、引退すんの・・・・
 ということは、この子はあんたの2代目として、春奴を名乗るわけかいな。
 そらまた、えらい入れ込みぶりやなぁ)

 

 (そういうことです。あんじょう頼みます。みんなにはまだ内緒のはなしですから)

 

 (当たり前や。そない重大な話を、こんなところで暴露できるかいな。
 ウチには普通の子にしか見えへんけど、母さんには、一体何が見えたんですか?)

 

 (オーバーに言えば、無限の可能性や。うふふ・・・・
 けど、今んところは、そんなもん誰にも見えへん。
 この子の座った姿をよう見てみい。
 ピシッと座った時、女が持っているすべての清楚さと艶やかさがある。
 淑女と女の魔性の両方を、最初から持っているんだよ。この子は。
 まるであんたの再来みたいだ。
 この子はねぇ。芸妓になるために生まれてきた子だよ・・・)

 

 

 春奴が、怪訝そうに見つめている小春と豆奴の視線に気が付く。
市も「いまの話。絶対に、気づかれたらあきません」と小声でささやく。

 

 「あら、そうですなぁ。
 そら、披露はできませんわなぁ・・・・芸名がついていないのでは。
 はい。承知いたしました。
 では清子には、市さんの一文字を上げて、ここにいる1ヶ月のあいだ、
 市花、ということでいかがでしょう」

 

 「あのう。なにゆえに本名では、いけないのでしょうか?」

 

 「お座敷には、すべからく心得というものがあります。
 芸妓は決して本名を名乗りません。
 お客様もほとんどの場合において、「お兄さん」とお呼びします。
 壮年のお客様は「おとうさん」。
 またお座敷の全員が「おにいさん」ばかりでは、会話が成立しません。
 佐藤さんは「さーさん」。高橋さんを「たーさん」。
 少人数のお座敷が多かった頃に生まれた、お座敷の作法です。
 お客様のプライバシーを守る為、このような呼び方をするようになりました。
 お隣のお座敷や廊下に会話が漏れても、話をしているのが誰なのか、
 特定出来ないよう、芸妓たちが配慮したものです。
 芸妓たちが、お客様の名前を覚えられないからではありません」

 

 流暢に説明する市の言葉を引き取り、春奴がその後を説明する。

 

 

 「お前はこれから、ここでひと月を過ごすことになる。
 立ち去る前に、お前に、お座敷遊び心得の5箇条を教えておきましょう。
 芸妓は芸を磨きます。
 お座敷の心得を磨くことも大切なことです。
 すべてのお客様が、お座敷での過ごし方を心得ているわけではありません。
 そうしたお客様たちにくつろぎを与え、楽しんでもらうため、
 芸妓は場の空気を常に整え、お客に、お座敷の心得をそれとなく教えます。
 自分の芸を育てるように、お客様も育てていかなければなりません」

 「お客様を、育てるのですか・・・」奥が深いのですねと、清子の目が丸くなる。

 「1つ目は 踊りや小唄が始まったら、黙って聞くことを教えます。
 芸を売るのが芸者の仕事です。
 芸を見ることは、お客さまの側の礼儀です。
 2つ目は 芸者衆を「お姐さん』と呼ぶことです。
 たとえ、50歳であっても”おばさん”などと呼んではいけません。
 100歳でも”お婆ちゃん”とは呼びません。
 現役でいる限り、お姐さんと呼びつづけます。それが芸者です。
 3つ目。お座敷遊びには、綺麗な靴と新しい靴下をはいてお見えになることです。
 お座敷に上がる時、身を清め、新しい紺色の靴下を履くのが通の心得です。
 同じように芸妓もまた、身を清めてから、お座敷に臨みます。
 4つ目。お座敷ゲームは、羞恥心を捨てて楽しむことです。
 芸者からお座敷ゲームに誘われたら、童心に帰り”ノリの良さ”で勝負しましょう。
 花柳界は、そこで起きたことについて、決して他言いたしません。
 ゆえに、たまには、心から羽目を外してもらいたいものです。
 5つ目は 粋な旦那衆を目指してもらいます。
 芸者衆の三味線に合わせて、色っぽい小唄のひとつやふたつ、
 歌えるような旦那衆になってほしいものです。
 お座敷というものは、芸妓を育てますが、粋のわかるお客様も育てます。
 そのへんの繁華街や飲み屋街などと、一線を画しているのです。
 花柳界が、いまもこうして存続しているのは、こうした気風と歴史があるからに
 他なりません」

 

(27)へ、つづく

 

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (25)
 なりませぬ節

 


 「会津の風土は、雪が創ったと言われています。
 会津の人々は1年の4分の1を、雪の中で過ごします。
 毎日、絶え間なく降りそそぎ、積り続ける雪との、厳しい戦いが続きます。
 盆地ゆえに、春が訪れるまで、他の地域と交流できません。
 隔絶された環境が、長い時間をかけて、会津の風土を育てました。
 どうにもならない自然との闘いが、いつまでも続いていくのです。
 そうしたことが、ちょっとした自然の変化にも感動する、会津の気質を育てました。
 しかし。遊んでばかりいては生きられません。
 1人でも生きられません。
 人々が助けあわねば、生きていけない場所なのです。
 そうした環境が他の地方の人から、なかなか理解できない会津の
 頑固者たちを大勢、育てあげました。
 古くから伝わる言葉で、会津の土地柄を話す時よく引き合いに
 出される言葉があります。
 『会津の三泣き』というものです。

 

 1 移り住む人は閉鎖的で頑固さから、よそ者扱いされて泣く。
 2 しばらくすると心の優しさと、底知れぬ人情に触れて泣く。
 3 最後に会津を去る時には、別れがつらく、離れがたくて泣く。

 

 ある新聞社の記者が、これを自分になぞらえました。

 

 1.辺鄙な土地に行かなければならないことで泣いたが、
 2.赴任してみると、徐々に会津の人たちの温かい人情に触れ、
   うれし泣きをし、
 3.数年後に会津から転勤で去る時には、去りがたくて泣いた。
   と、記事に書いたそうです。

 

 

 湯西川からやって来た小春も、慣れない土地でずいぶん泣きました。
 日陰に落ちてしまった種のようなものです。
 でも持ち前の明るさと、精一杯の頑張りで立派に会津の地に根を張りました。
 いまでは見事な、大輪の花を咲かせています。
 清子ちゃん。
 あなたのお姉さん芸妓の小春は、そうした年月を経て会津に根付いたのです。
 あら。そんなことを長々と話しているあいだに、小春がやって来たようです。
 小春はもう、東山温泉に欠かすことのできない、鳴り物の第一人者です」

 


 『遅くなりました』と、小春が障子の向こうから声をかける。
『什の掟 (じゅうのおきて)の披露が好評で、少々、時間が伸びてしまいました。』
笑顔の小春が、三味線を携えて障子から現れる。

 

 会津藩の男子は、10歳になると藩校の「日新館」に入る。
入学前の6歳から9歳までの子供たちは各自の家に集まり、心構えを勉強する。
その際に学ぶのが、「什の掟」。
「やっていけない事は理屈ではなく、してはいけない」と教わる。

 

   一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
   二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
   三、虚言をいふ事はなりませぬ
   四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
   五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
   六、戸外で物を食べてはなりませぬ
   七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

 

 ならぬことは ならぬものですと『什の掟』は締めくくる。
これを元に東山芸妓が『なりませぬ節』として、歌詞を現代風にアレンジした。
さらに踊りを添えて、お座敷で披露する。
軽快なテンポの伴奏に乗り、会津人気質の「什の掟」を歌い上げる。
東山温泉という独特の場所柄もあり、多少の色っぽさが歌詞に
つけ加わえられてある。

 

 

 もちろん正調の『ならぬ節』も当然、披露される。
場所柄ゆえ、場と空気の中で、歌詞も舞いも即興的な変化を遂げていく。
民謡というものは、もともとそういうものだ。
即興の掛け合いの歌詞といい、カラリカラリと下駄を踏み鳴らしながら
一晩中踊り抜くという熱い気風は、会津に根付いた風習だ。

 

 「小春も、こちらに来てからいっそう艶に磨きがかかりました」

 

 舞の支度が整った市が、しなやかな姿勢をとったままうふふと笑う。
竿の調子をとっている小春が、『あら。なんのお話でしょう?』と
流し眼を見せる。
『だから。お前のその、とっても色っぽい眼差しのことですょ』と市がやり返す。
舞扇を手にした市が、所定の位置で正座する。

 

 「会津といえば、什の掟の『なりませぬ節』。
 小春も応援に駆けつけてくれましたので、まずは舞をおひとつ、披露いたします。
 本日はどうしたわけか、舞にきわめて目の肥えたお客さまばかりが揃っております。
 市もいつになく、気合などが入っておりまする。
 いえいえ、みなさまの前で本日舞が踊れるなど、冷や汗をかくどころか、
 実に、身に余る光栄です」

 

 

 シャンと、調子調べの1の糸が鳴る。
調律を終えた小春が姿勢を正して、伴奏の体勢につく。
手元に舞扇を置き、丁寧に一礼を見せた市が、2の糸が鳴るのを合図に
ツッと立ち上がる。早くも舞の世界に入りこむ。

 

 (あ・・・表情が、一瞬にして艶やかに変わりました!)

 

 空気が漂と変る中。先程までにこやかに微笑んでいた市が、
一瞬にして、妖艶な芸妓の横顔に変わる。
(う、美しい・・・)ゴクリと清子が、唾を飲み込む。
清子の瞳がおおきく見開かれる中、市の、女以上の舞がはじまる。
物腰といい、所作といい、動くたびに頭の先から足の指先まで、市から
凄まじいばかりの女の色香が、次から次へ、こぼれて落ちてくる。


(26)へ、つづく 

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (24)
 市の身の上

 

 

 市の出身は会津高原。
会津高原は、会津の南西部にある会津高原たかつえスキー場の周辺を
観光開発するために名付けられた、通称の地域名。
そのため。一般的に定義されている高原のイメージとは、大きく異なる。
 
 1960年の晩秋のこと。高原の中にある1軒の農家、小沢家で、
半年前に家出した1人息子の市左衛門の帰郷祝いが、盛大に開催された。

 本人の帰郷に先立ち、トラックが数台やってきた。
本人の荷物とテレビ、電気洗濯機などの最新式の家庭電化製品や、
桐たんすにぎっしり詰まった豪華な女物の衣装が、相次いで運び込まれた。
その様子を見た隣人や招待客たちは「市坊は東京のお大尽さまの娘を嫁にもらった」
と、互いに噂しあった。

 

 

 やがて宴がたけなわになる。
ステレオから流れてくる三味線の音に合わせて、1人のあでやかな芸者が、
顔を隠して一同の前に登場する。
扇を片手に、艶やかな舞いを披露する。
人々がよくよく凝視してみると、舞っているのは、今夜の主賓のはずの市坊。
「なんと。おらが村の市坊が、いきなり、女になった!」
衝撃はたちまち、一夜のうちに、麓の街にまでひろがっていく。

 

 

 市坊は子供の頃から、か弱かった。
女の子とばかり遊んでいた市ちゃんは、中学を卒業後、地元の土産物店に勤めた。
仕事の合間に、三味線や日本舞踊を習うという、女っぽい青年そのものだった。
青年団の集団作業でも、力の弱い市ちゃんは、まったく能率が上がらない。
「女以下じゃ」と、男たちから馬鹿にされてきた。
春のある日。そんな生活に嫌気を覚えた市ちゃんは、なけなしの
5000円を持って、村から姿をくらました。
 
 そして数日後のこと。
お金を使い果たし、上野駅の待合室で途方にくれていた市ちゃんに、
通りかかったお姉さんが声をかけた。
この日。久しぶりに深川を訪ねた春奴だ。
途方に暮れたまま、どんよりしていた市ちゃんの様子を見るにみかねて、
春奴が声をかけた。
用事を済ませた春奴が、鬼怒川へ戻る途中のことだ。

 

 「なに、くよくよしてんのさ。あんた。
 その辺で、ご飯でも食べよう。
 人間。お腹がすいていると元気が出ないものさ。
 おや、なんだい。女と思ったら、あんた男かい。こりゃまた驚いたねぇ・・・」

 

 

 身の上話を聞いた春奴が、思いがけないことを切り出す。
「あんた、いっそのこと、芸者に化けてみないかい」
春奴は市ちゃんの女性的傾向を、すでに一瞬にして見抜いていた。

 

 2人が着いた先は、栃木県最大の観光地として脚光を浴びている鬼怒川温泉。
身なりを女に変えた市ちゃんは、検番(芸者の管理組合)の試験をすんなり合格してしまう。
推薦した春奴が名付け親になる。
「きぬ奴」の名前で晴れて、芸者としてデビューする。
立ち会った置屋の女将たちは、市ちゃんが男であることを見破っていた。
しかし。見事なまでの市ちゃんの女っぷりに「これは行ける」と確信をもっていた。
市ちゃんに、女になりきるための秘訣を、事細かに指導していく。

 

 

 市ちゃんの秘密は、何人かの女将以外に、漏れることはなかった。
春奴が都会から連れてきた新進の芸妓としても、さっそうと温泉街をのしあるく。
若くて美人なうえ、三味線と日舞が上手なきぬ奴は、たちまち人気者になる。
鬼怒川温泉の売れっ奴芸妓としてのしあがっていく。
 
 ところがその年の8月。はやくも事件が起こる。
某銀行の慰安旅行で、鬼怒川温泉にやって来た50がらみの好色の部長が、
心の底から、きぬ奴に惚れこんでしまう。
週末に必ず通ってくるというほどの、熱の入れようになる。

 

 

 やがて。お定まりの身請けがはじまる。
きぬ奴を囲った男は、彼女が欲しがる家電製品や着物を、次々に買い与える。
しかしきぬ奴は「結婚するまでは」と、決して肌を許そうとしない。
とは言え、男の執着を避け続けるのには限界がある。

 

 そもそも男なのだから、部長を受け入れることなど絶対に出来ない。
思い詰めたきね奴を、春奴母さんが助ける。
男と別れ、貢がせた道具や衣装を持って故郷に帰ることを市にすすめる。
『あとのことは、私がなんとでもいたしますから』と見送られ、
市が、故郷へ戻ることになる。

 

 

 「20歳の時の市さんは、女が見ても嫉妬を覚えたくらいの
 美しさをもっていました。
 でもねぇ。苦労しました、その後の処理には。
 あのスケベな部長さんには、さんざん手こずりました。
 ようやく諦めさせて、ほっとした半年後。市さんは会津の街中で、
 あらためて芸妓の旗揚げをしました。
 でもね。そのおかげで、あたしもここにいる小春もその後のピンチを、
 切り抜けることになるのです。
 助けたり、助けられたり、やっぱりあたしたちは、長年の戦友です。
 本当に面白かったねぇあの頃は。ねぇ、きぬ奴。うふふ・・・・」


(25)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (23)
 街場の芸者

 

 

 会津若松市に東山温泉とは別に、街場の芸者衆が居た。
しかし。時代とともに、数がめっきり減って来た。
いま芸者として待機しているのは、実質的に、たった1人きりという状態。
それが春奴お母さんのかつての戦友、市奴その人。

 

 街場の中にも、置屋があった。
粋なお姉さんたちが着飾って待機している。
声が掛かるたび、市内の料亭やお座敷へ、艶やかな姿で足を運ぶ。
街の中に普通に待機している芸者衆のことを、街場の芸者という。
こうした芸者衆の姿は、会津が誇る貴重な文化財と言っても過言ではない。

 

 

 街場の芸者も減っているが、温泉地の芸者も例外ではない。
昭和30年代のなかば。只見川における電源の開発事業が盛んだった頃、
東山温泉に、200名を超える芸者衆が居た。
夜毎大いに盛り上がり、まるで小原庄助さんのような男たちが、
どんちゃん騒ぎを繰り返していた。
そんな芸者衆も徐々に姿を消し、今ではもう20名あまりしか残っていない。

 

 近年。商工会議所を中心に、芸者衆を残そうと『守る会』が組織された。
昼のお座敷や、女性だけの食事会などに、芸者さんが来て踊ってくれる
割烹のプランなどを編み出した。
あの手この手を尽くし、何とか存続を図っていこうと活動している。

 

 

 芸者の衰退には、いろいろな理由が絡み合っている。
時代が変り、芸者衆にお金を使うという気風が失われたことがそのひとつ。
景気が悪くなり、芸事に魅力を感じない人も増えてきた。
魅力的な芸者さん(スター)が出てこないことにも、原因がある。

 

 どうあれ衰退傾向に、歯止めはかからない。
「芸者」という文化を後世に残していくのは、簡単なことではないだろう。
正月や祝いの宴から、芸者衆の華やかな踊りが消えていくのは、やはり
どこかに寂しいものがある。

 

 生き残れるだろうかこの先を、会津の芸者衆は・・・
顔をあわせた途端。戦友の市さんと春奴お母さんのあいだで何故か
そんな暗い会話が始まってしまう。
『お母さん。せっかくのお座敷ですから・・・』豆奴が、あわてて春奴の袖を引く。
春奴母さんがようやく、しんみりし過ぎている空気に気がつく。

 

 

 「そうや。春奴母さんと、くだらない愚痴話に興じている場合やおまへん。
 悲運の白虎隊と、会津磐梯山の東山温泉へ、ようこそ起こしやす。
 この子かいな。
 あんたが育てる、20年ぶりの新弟子っちうのは」

 

 いきなり市さんが、正面から清子を見据える。
年の頃なら50歳前後。衰えの様子が窺えるものの、外観といい物腰といい、
凛とした風情が、市奴から漂っている。

 

 (こちらはたしか、市左衛門さんと名乗るお母さんの戦友のはず・・・・
 でもこうしてまじかに拝見すると、どこからどう見ても年季の入ったお姐さんです。
 ということは、やはり、男性名を持った女性ということになるのかしら?)

 

 

 じっと市さんに見つめられている清子が、対応に戸惑っている。
頭の中が、猛烈な勢いで混乱しているからだ。

 

 

 「おや。よく見るとどことなく、小春の若い頃によく似ているわねぇ。この子。
 なんだい。あたしを見て、面食らっているのかい?
 疑っているような目つきだねぇ。
 まるで鳩が豆鉄砲を食らったような目をしているよ。
 あたしを、男か女か、戸惑っている様子だねぇ。
 ははは。それなら心配はない。あたしゃ女じゃない、正真正銘の男だよ。
 なんだい春奴母さんは、事情を説明しておいてくれなかったのかい。
 それはまた、ずいぶん気の毒なことをしました。可哀想に」


 しかしこうして見るかぎり、目の前に座っている市奴の姿はどこから
どう見ても、品良く年を老いてきた、芸妓にしか見えない。
市の口元が、優しくニコリと微笑んだ瞬間、『えっ!あたし以上に色っぽい!』
と思わず清子が身震いを覚えている。
市奴の美しい唇が、妖艶に動きはじめた。

 

 

 「話すと長くなります。
 とりあえず、道筋を整理いたしましょう。
 あたしが芸妓になる時、大変お世話になった恩人、それが春奴母さんです。
 後を追って湯西川へやってきた豆奴とは、同期の桜です。
 小春は、あたしが春奴姉さんからお預かりした、子飼いの芸妓です。
 ではまず、あたしが何故、春奴母さんと戦友なのかという話からいたしましょう。
 いまから20数年前にさかのぼります。
 あたしを男と知りながら、共犯者になったからです。
 戦友というより、当時の鬼怒川の花柳界を見事にあざむいた首謀者と、
 共犯者という間柄になるのでしょうか?。
 うふふ」


 (24)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (22) 
 会津若松の玄如節

 

 玄如節(げんじょぶし)は、福島県会津地方に伝わる民謡。
名称は「げんじょ見たさに朝水汲めば、姿かくしの霧が降る」という歌詞に
由来している。
げんじょという美しい僧侶を村の娘たちが慕って歌ったと言われている。
逆に、げんじょという美しい村娘に、若者達が恋して歌った
という説もある。

 

 

 玄如節の最大の特徴は、歌い手が交代で一節ごとに「掛け合う」 。
歌うとき、歌詞のあいだにハヤシの句が入る。
そしてこのおハヤシは、歌の合間に何度も繰り返されていく。

 

 

 ハー玄如見たさに 朝水汲めばヨー    男性 A
 サーサー     ヨイヤショーエ    女性 ハヤシ句
 姿かくしの    霧がふるヨー     男性 B
 ハー       霧がふるヨー     女性 B′
 姿かくしの    霧がふるヨー     男性 B
 サーサー     ヨイヤショーエ    女性 ハヤシ句

 

 

 玄如節のもう一つの大きな特徴は、歌詞が固定していないことだ。
そのつどに即興で歌詞が作られ、旋律に乗せて歌われる。
すべてが即興の場合もあるが、繰り返しみんなによって歌われてきた歌詞がある。
それらがストックされ、蓄積されている。
膨大なストックの中から、臨機応変に歌詞を選び、使う場合が多い。
一般的な民謡とは異なり、歌詞の順番が決っていない。

 

 

 昭和の初期。玄如節について、こんな記録が残っている。

 

 

 『若い頃こくぞう様で、玄如節の歌と踊りを見たことがある。
柳津にお篭りにいった時のことで、七日堂の裸祭りのときにお篭りした。
9月30日にも行った。玄如節をやっているのを 見たことがある。
ほっかぶりしたり、尻をまくったりして踊っていた。
戦後にも見た。 老人達が玄如節を歌い踊っているのを、
若者だったころ一人で見ていた。
栗や柿などが 振舞われると、それを歌詞に歌い込んで
「栗づくし」や「柿づくし」をした。
かなり長く続いた。60才に近い人が集まっていた。
間でみんなが休んでいるときに、長持ち歌などの民謡を歌わせてもらった。
自分では玄如節はしなかったが、柳津のお堂にある回廊 のようなところで
マイクを立てて、民謡を歌った。
聞く人たちは下に座ったり立ったり して見ていた。
本来玄如節は、特定の寺院や神社の行事に結びついたものではなく、
人が集まれば興がのって、どこでもおこなったものらしい』

 

 

 エンヤー会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が エーマタなり下がる
の歌いだしで始まる『会津磐梯山』は、福島県を代表する民謡。
明治の初め。新潟県西蒲原郡や五箇浜地方から、会津に出稼ぎに来ていた
職人たちの唄と、会津古来の「玄如節(げんじょぶし)」が混交して、
創作の歌詞が付け加えられ、今日の原型が完成した。

 

 

 昭和9年。この曲に、日本ビクターの長田幹彦が作詞した。
売れっ子芸者歌手の小唄勝太郎に歌わせて、大ヒットした経緯がある。
しかし。昔から伝わってきた地元の「会津磐梯山」とは、大きく異なっていた。
あまりにも異なるため、会津民謡会は『郷土芸術を冒涜するもの』と同社に
猛抗議した。
そんな過去のいきさつも残っている。
地元が認める『正調会津磐梯山』は、会津盆踊り唄として、全162番まで
歌詞のある、たいへん長い民謡だ。

 

 

 「2番目の歌詞で登場するのが、

 

 ”(エンヤー)東山から日にちの便り(コリャ) 
 行かざなるまい(エーマタ)顔見せに”

 

 と歌われる東山温泉。
 東山芸妓の始まりは、明治の初期。
 昭和30年代の最盛期には、なんと200名以上の芸妓がいたそうです。
 新選組の土方歳三や伊藤博文、与謝野晶子などに愛された温泉です。
 大小の滝を経ながら流れる湯川の渓流に沿い、20軒余りの旅館とホテルがあります。
 小原庄助が、朝からお湯を浴びていたのも、この東山温泉です。
 小春がここへ引っ越してくることで、2人は最初の危機を脱しました。
 その手引きをしてくれたのが、いまでは会津の街場にたったでひとり残っている、
 あたしの戦友の、芸妓の市さん。
 ほら。車の中で説明した、古い知り合いさ。
 その市さんと連絡が取れたそうです。
 その前に、これから東山のお座敷へ行きましょう。
 いつもはお座敷を務める立場ですが、本日はお客です。
 これ豆奴。お前さん、何を念入りに、お粉(おしろい)なんか塗っているんだい。
 言ったじゃないか。今日は、3人ともお客の立場だって」

 

 

 たまも清子も、あわてて豆奴を振り返る。
見れば、片肌を顕にした豆奴が鏡に向かって、一心不乱にお座敷用の
お化粧の真っ最中だ。

 

 

 「あら。そうでしたっけ、お母さん。
 お座敷と聞いただけでもう、手が、勝手にいつものように動いてしまいました。
 いやですねぇ。化粧する必要なんて、これっぽっちも無いというのに。
 だめですねぇ。本気で女を磨き始めてしまいました・・・
 これが職業病というものでしょうか。嫌になりますねぇ、我ながら。
 うっふっふ」

 

(23)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (21)
 清子とたまの、独り言

 

 

 「どちらが先に惚れたかは、定かでありません。
 でもいつのまにか、小春と喜多方の小原庄助さんが、切っても切れない
 恋仲になってしまったのさ」

 

 

 ミイシャの頭を撫でながら豆奴が、小春と喜多方で生まれた小原庄助の
馴れ初めについて、語り始める。
喜多方で生まれた小原庄助は、由緒ある酒蔵の跡取り息子。
喜多方は蔵とラーメーンで有名な町。ふるい町並みに12の酒蔵が立ち並んでいる。
3万7000人しか住んでいない街に、この数は、驚異的だ。
全国的に見ても、特筆すべき数と言われている。


 それには、確かな理由が有る。
町の地下を流れていく、飯豊山系の豊かな伏流水が重要な役割をはたしている。
澄んだこの水が、酒造りと、美味しいラーメンの麺を生む。
「五百万石」や「京の華」。「華吹雪」など、酒造に適した米が盛んに作られる。
これらの地元米をつかい、長年にわたる酒造りがおこなわれてきた。


 「喜多方の小原庄助さんの酒蔵には、200年余りの歴史があります。
 当主は代々、弥右衛門を名乗ります。
 当人で9代目。
 2000石の生産規模は、地酒のメーカーとして大手の部類に入ります。
 (1石はお米150kg相当。体積にして約180リットル)
 喜多方の小原庄助と、売り出し中の小春がたまたま、湯西川で行き会います。
 財力と面立ちに恵まれた若旦那と、小粋で女盛りの小春が恋に落ちるのに、
 それほど時間はかかりませんでした。
 愛し合うようになったものの、その後の2人に、厄介ばかりがつきまといます」

 

 

 「誰かが2人の仲を邪魔したのですか?
 それとも、庄助さんと小春姐さんは、道ならぬ恋をしたのですか?」

 

 

 「清子はもう、道ならぬ恋、などという言葉をしっているのですか。
 そうではありません。
 いくら自由な恋愛が許される時代とは言え、名門で大手酒蔵の御曹司と、
 売り出し中の芸妓の恋愛では、失うものが多すぎます」

 

 「失うものが多すぎると、男と女の仲は、うまくいかなくなるのですか?」

 

 

 「清子もそのうち恋をする。
 いちどだけじゃないよ。生きていれば、2度も3度も火傷しそうな恋をする。
 それが女の性(さが)さ。
 泣くのはたいてい女。いつの世でも、たいていはそういう結果になる。
 惚れるのはいいが、訳ありの男を好きになると、大抵は身を滅ぼす結果を招く。
 危険だとは分かっていても、女は、そんな男をすきになる。
 そう思うだろうミイシャ、メスのお前も。うふふ」


 ミイシャの柔らかな毛並みに顔を押し付けて、豆奴がうふふ笑う。
豆奴の白粉の匂いに、たまがすかさず反応する。

 

 

 『いいにおいだぜ、白粉の匂いは・・・
 ところでよぉ。一概に、女がひどい目にあうとは限らないぜ。
 最近は美魔女なんていう生き物や、妙齢の悪女どもが増えてきた。
 女は油断できない生き物だ。
 ミイシャだって、そのうちにどうなるか、わかったもんじゃねぇ』

 


 おいらは絶対の騙されないぜと、清子の懐でたまがせせら笑いを見せる。
そんなたまの頭へ、コツンとひとつ清子がげんこつを見舞う。

 


 『痛てえなぁ。何すんだよ、清子。
 あれ・・・・お前。俺の言っていることがわかんのかよ?』

 


 『うふふ。お前が考えていることくらい、だいたい察しはつきます。
 お前も呑気だねぇ。
 周りを見て、おまえが置かれている状況を確認してご覧。
 春奴お母さんに豆奴姉さん。あたしとミイシャ。
 ほら。見渡すかぎり、全員が女です。
 余計なことを口にすると、全員を敵に回してしまいます。
 黙ってらっしゃいな、この口は。
 お口はチャック。手はお膝』

 

 

 お行儀よくしてくださいね・・・・と、清子がたまに笑いかける。


 『なんだよ清子。つれねぇ事を言うなよ。
 お前くらいは、孤独な俺の味方をしろってんだ。
 そんなことを言うと、もう、懐へ入って遊んでなんかやらないぞ』


 『いいわよ。もう、懐へ潜り込んで来なくても。
 だいいちお前ったら、すっかり大きくなってきたから、重いのよ。
 お前の重さのせいで、大事なあたしの胸が潰れてしまったら、
 お嫁に行けなくなるじゃないの』


 『嫁に行くのか。清子は』


 『もらってくれるのなら、いつでも行くわよ,お嫁に』


 『もらわれて行くのか、嫁ってのは。
 自分の意思では決められねぇんじゃ。人間てのも、見かけ以上に不便だな。
 好きなら好きで、本能のまま行動すればいいだろう。
 それが自然というものだ。
 やりたいから女のところへやりに行く。それだけが真実だ』


 『あんたって子は、本能を剥き出しにし過ぎ。
 しつこく迫りすぎるから、ミイシャに、いつも嫌われるのよ。
 女の子は繊細で、壊れやすい生き物なの。
 もうすこし女性の心理を勉強しておかないと、最後にきっと、嫌われます』


 『へん。大きなお世話だ。
 下手な鉄砲だって、数を打つから、たまには当たるんだ。
 今に見ていろ。ミイシャのハートも身体も全部、俺のものにしてやるから』

 『お前は考え方が、いたってシンプルで、ホントに気楽だわねぇ』


 『おう。シンプル・イズ・ベスト。これこそがおいらの生き方だ。
 男の道は、惚れた女にひたすら、脇目もふらずにまっしぐら。
 止めるんじゃねえぞ、清子。
 ミイシャ一筋においらは、熱い情熱をそそぐ!』


 『誰も止めやしません。
 やんちゃな子猫の恋なんかに、誰が興味があるもんですか。ふんっ』


 たまの恋よりも、もっと肝心なことが有ります。
小春姐さんと、喜多方の小原庄助さんのその後がどうなったかです、と、
清子がたまの頭を撫でながら小さな声でそっと、つぶやく。


(22)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (20) 
 小原庄助のモデル

 

 

 「へぇぇ・・・小原庄助さんは、実在していたのですか!」


 磐梯山を見上げていた清子が、豆奴を振り返る。
深い眠りの中に居たたまも、豆奴の懐で目をさます。
『清子の胸の匂いもいいが、たまには年増の胸もいいもんだ。
なんでぇ、何かと思えば呑んべェの話かよ。そんなもの、おいらはまったく興味ねぇぞ』
フニャァと大きな欠伸をする。
(最初から、お前さまは仲間に入っておりませぬ。いいから黙って寝ておいで。
この、やんちゃ坊主)
うふふと清子が、たまの黒い鼻先をツンツンとつつく。


 「全国に知られている会津磐梯山の元歌は、玄如節(げんじょぶし)。
 玄如というのは、天寧寺のお坊さんのことです。
 玄如は会津でも評判の美男子。
 水をくみに寺から山すそまで降りてきた玄如を、一目見ようと女性達が集まる。
 でも霧が濃くなり、玄如の姿を隠してしまいます。
 昭和10年。小唄勝太郎がレコードを出します。
 このとき。「おはら庄助さん なんで身上つぶした・・・」のおはやしがつきました。
 それが全国的に広まり、有名な民謡になりました。
 有名人でありながら、実体がよく分からない不思議な人物、
 それが会津の小原庄助さんです」

 

 「実態はわからないのですか・・・ふぅ~ん。
 では、歌の中で作られた架空の人物なのですか、小原庄助さんという人物は?」

 

 

 「何人か、モデルの言い伝えがあります。
 最初に登場する庄助さんは、唄の中の飲みっぷりががぴったりの人。
 江戸時代。ご城下にあった「丸正」という屋号の商人が材木で大儲けします。
 東山温泉で連夜、豪遊をしています。
 『小判釣り』というお座敷の遊びをしたと言うから、豪快です。
 唄の文句のように、身上をつぶすほど遊んだらしいのですが、
 それで身上をつぶしたかどうかは、記録に残っていません」

 

 「身上を潰さなかったのなら、小原庄助ではありませんねぇ。うふふ」
 
 「その次の庄助さんの先祖は、会津藩の藩祖といわれる保科正之公とともに、
 信州の高遠から会津にやってきたお人です。
 この方が会津へ赴任したのは、1643年のこと。
 それから200年あまりの時が下り、幕末に小原庄助なる人物が登場します。
 苗字帯刀を許された郷頭という身分で、戊辰戦役の際、西軍と壮絶な戦いを繰りひろげます。
 勇猛果敢に戦った末、戦死したと伝わっています。
 お墓は会津若松市内の秀安寺に、残っています。
 まさに同名の、小原庄助さんそのものです。
 ですが果たしてこの人物が、唄の中の庄助さんかどうかは、
 いまだに解明されていません」

 

 

 「あら。同名の方が居たのですか。でもそのお方とは違うようですねぇ。
 大酒のみでもないし、朝からお風呂に入っていませんねぇ・・・」

 

 

 「もうひとり、庄助さんがいます。会津漆器の塗り師で、久五郎なる人物。
 彼はめっぽう酒が強かったようで、晩年、会津から少し離れた白河の友人宅で
 客死したと言われています。
 その方のお墓は、白河市の皇徳寺に、今も残されています。
 墓石のカタチは猪口と徳利。戒名は『米汁呑了信士』。
 庄助さんのイメージに、ぴったりでしょう。
 時世の句が、『朝によし昼なおよし晩によし飯前飯後その間もよし』
 と結局、何時呑んでも酒は旨いと詠っています。
 お墓の石を削って飲むと、下戸でも酒が飲めるようになったと
 いう言い伝えがあるほどの、大酒豪です」

 

 

 「あら。さすがは酒豪のお国。
 3人目がいちばん、小原庄助さんに近いかしら。
 でも久五郎さんでは、お名前が違います・・・
 結局、どなたが小原庄助さんなのか、決め手に欠けますねぇ」


 「諸説がありどれが本物か、決め手はありません。
 でもね。どの庄助さんが本物であれ、庶民のなかに人物のイメージが
 歌を通して出来あがっているのは事実。
 こよなく酒を愛し、おおらかに人を愛し、誰からも好かれる好人物、
 それが歌に出てくる小原庄助さんです。
 身上をつぶしたからといって、暗いイメージは全くありません。
 人を信じてやまない愛すべき飲兵衛、それが会津の小原庄助さんなのです。
 良い水、良い米、良い技、そして酒を愛する良い飲み手がいて、
 初めて良いお酒が生まれるのです。
 美味しい酒を育てる飲み手側の代表が、まさに会津の小原庄助さん。
 会津の酒がいまこうして脈々と在るのも、やはり小原庄助さんがいたからこそ。
 そしてその心意気は、いまもこうして会津の地に息づいています」

 「そうだよねぇ。未来があったというのに
 あえて、好き好んで身上をつぶしたのは、小春の方だものねぇ」


 春奴母さんが、2人の背後でポツリとつぶやく。
『粋な歌さ、磐梯山は。まるで、小春の人生そのものなんだ』
と笑って見せる。


 「会津地方で歌い継いでいる正調の会津磐梯山は、162番まである、
 とても長い唄です。
 あいだにときどきに都都逸(どどいつ)なども織り込まれている。
 粋で艶っぽくて、セクシーだよ。

 

 ♪ 色で泣かされ 味でも泣かせ 
     罪なものじゃよ エーまた唐辛子 

 なんてのもあるし、そうかと思えば、

 

 ♪ 浅い川なら 腰までまくり
     深くなるほど エーまた帯を解く 
 ♪ 俺と行かぬか あの山越えて
     落ち葉布団で エーまた寝てみたい

 なんて一節もある。


 いまでは忘れられてしまった若い男女の出会いの場が、
 地方の盆踊りの中に、まだ有った頃の歌さ。
 とはいえ清子にまだ、男女のことは全然わからないと思いますがねぇ・・・・」


 春奴母さんと豆奴姉さんが、顔を見合わせて笑いはじめる。
『そうだよなぁ。オイラも、難しすぎてよくはわからねぇもの・・・』
と、たまも、小首をかしげている


(21)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (19)
 会津磐梯山は、女?

 

 「小春姉さんは、なぜ、東山温泉に籍をおいているのですか?」


 ミイシャは清子の暖かい膝の上が大のお気に入り。
ウトウトしているミイシャの背中を優しく撫でつけながら、
清子が、春奴に問いかける。
『よくぞ聞いて下さりました』と、春奴ではなく、たまをしっかり抱きしめている
豆奴が横から、すかさず割り込んでくる。


 「小春ちゃんは、春奴母さんが湯西川に来てから、まず最初に育てた、
 目に入れても痛くない1番弟子。
 立って良し(踊って)、奏でて良し(伴奏)の、両方に秀でています。
 ゆくゆくは、春奴お母さんの立派な後継者になると、周りのみんなも、
 熱い気持ちで期待をしておりました。
 ですが、うまくいかないものです。
 そんな小雪に、ある日、突然、魔が差しました」


 「なんですか。魔がさすって?」

 

 「こころに魔が差すのです。
 心の隙間に、突然、思いもよらない悪い考えが起きることです。
 『悪魔が囁やく』とか、『つい誘惑に負けた』なども同じ意味です。
 突然の運命的な出会いが、小春を狂わせたの。
 当の本人はそんな風には思っていないでしょうが、結果として、
 誰が見てもそうなったの」


 「というと小春姉さんは魔がさして、人の道を踏み外してしまったのですか?」


 「その反対。まるっきり逆の立場なの。
 道を踏み外したのは、造り酒屋の若旦那。
 道楽が好きで、ノンベェの造り酒屋の跡取り息子を好きになってしまった
 小春が、世話を焼き始めたのが事のはじまり。
 もう一度酒蔵の仕事につかせるため、いろいろと陰で骨をおったのさ。
 子細を教えてあげるから、こっちへおいで。清子」


 たまを抱いた豆奴がガラス戸を開けて、ベランダへ出ていく。
後について清子もベランダへ出る。
銀色に輝く水面の上に、会津の象徴でもある磐梯山が、悠々とそびえている。
磐梯山は、猪苗代湖の北にそびえる活火山。

 
 「会津といえば、猪苗代湖と、活火山の磐梯山。
 民謡の会津磐梯山は、このあたり一帯を歌ったものといわれています。
 
 ♪小原庄助さん、なんで身上つぶした?
  朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、
   あ~もっともだぁ、もっともだぁ♪
 という合いの手の入る、全国的に有名な歌さ。
 知っているだろうお前も?。それくらいは」

 
 「(エンヤー)会津磐梯山は宝の(コリャ)山よ。
 笹に黄金が(エーマタ)なりさがる・・・という、歌でしょう。
 知っています私も。それくらいなら」


 「もともとは、会津地方に伝わってきたふるい盆踊り歌。
 全国発売されたものには、30番までの歌詞がついている。
 磐梯山は女のことで、全国的に知られているこちらの歌詞とは別に、
 地元では別バージョンの盆踊り歌が、真夏になるといまでも歌われる。


 ・会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなりさがる。
 ・何故に磐梯はあの様に若い 湖水鏡で化粧する
 ・北は磐梯 南は湖水 中に浮き立つ翁島
 ・主は笛吹く私は踊る 櫓太鼓の上と下

 

  - おはら庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
    朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした
    ハアもっともだもっともだ

 

 ・踊り踊らば姿(しな)良く踊れ 姿(しな)のよい子を嫁にとる
 ・会津磐梯山に振袖着せて奈良の大仏婿にとる
 ・笛や太鼓につい浮かされて いつか踊りの輪に入る
 ・桐と漆器で知られていたが たても自慢の蔵のまち(喜多方のこと)

 

  - おはら庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
    朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上(しんしょう)潰した
    ハアもっともだ もっともだ

 

 ・会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなりさがる
 ・お湯の熱塩 子宝授く 夏は河原でカジカなく
 ・嫁にきてから手ほどきされて 主(ぬし)と2人で盆おどり
 ・あの娘(こ)粋だよ紅帯しめて 姿(しな)に見とれて夜もふける

 

  - おはら庄助さんなんで身上(しんしょう)潰した
    朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上(しんしょう)潰した
    ハアもっともだもっともだ

 

 ・会津磐梯山はふるさと踊り 今年は早めに里帰り
 ・櫓太鼓の音さえ聞けば 今日の疲れもどこへやら
 ・踊り見にきて踊りを覚え くにの土産に持ち帰る
 ・おらが会津の自慢のものは おはら庄助さんの盆踊り

 

  - おはら庄助さん何で身上(しんしょう)潰した
    朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上(しんしょう)潰した
    ハアもっともだもっともだ

 

 「どうだい。福島の女たちは、とっても色っぽいだろう。
 でもね。それ以上に湯西川温泉出身の小春は、もっと艶のある生き方をした。
 女の一生をかけてね。
 喜多方市の造り酒屋・小原庄助さんを、精一杯、親身になって支え続けた」

 

(20)へ、つづく

 

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