落合順平 作品集

落合順平 作品集

長編小説をお楽しみください。

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13作目の現代小説。今回は小編の集まりです。
幸作は、女房に逃げられた小さな居酒屋の店主。ここへ集まって来る
雑多な人たちを、断片的に描きます。

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (58)
 クマタカ

 


 『いい匂いがするなぁ・・・・』恭子の胸で、思わずたまが目を細める。
たまが嗅いでいるのは、イイデリンドウの花の匂いではない。
清子よりもはるかにふくよかな恭子の胸は、何とも言えないいい匂いが漂っている。
『たまらんのう・・・』たまが、ニタリと目をほそめる。

 

 ハクサンイチゲの純白のお花畑を縁どるように、イイデリンドウの紫の花が
咲き群れている。

 

 「へぇぇ・・・たいしたもんだ。
 お前にも、このイイデリンドウの清楚な香りが、わかるのかい。
 偉いねぇ、たまは」

 

 『いや。イイデリンドウの香りじゃねぇ。
 恭子の胸は清子の胸よりはるかにでっかくて、すこぶる居心地がいい。
 おまけに、ほんのり良い匂いが漂ってくる。
 これが成熟しかけている乙女の匂いというやつか・・・・
 なかなかに甘美で、官能的な匂いがするのう。いっひっひ」

 

 「突然に何を言い出すかと思えば、このドスケベ子猫!。
 たま。わたしは卑猥な子猫に、手加減など絶対にしませんよ。
 悪い子は、飯豊連峰に住んでいる猛禽類のイヌワシか、クマタカの餌にしてやるぞ。
 それとも山麓に住むツキノワグマか、カモシカの餌食になりたいか!
 遠慮はいらぬ。どちらでも良い。たまの好きな方を選ぶがいい。
 私は冗談はいわない。いつでも本気だぞ!」

 

 恭子の剣幕は、ほんものの様だ。
殺気を感じたたまが、急にしどろもどろの低姿勢にかわる。


 『待て待て恭子。悪気はない、話せば分かることだ。
 乱暴なことだけはしないでくれ。おいらは猛禽類も獣も、どちらも嫌いだ。
 まだこんな所で死にたくはない。
 謝る。謝るから、乱暴なことだけは考え直してくれ。
 まったくもって清子も恭子も、揃いも揃って気が短すぎる。
 怒った途端、予測不能の非常識な行動に出るから、困ったもんだ・・・』

 

 でも、やはり、お前の胸からは、何とも言えないいい匂いがすると、
たまがふたたび鼻面を恭子の胸に押しつける。
『仕方ない猫だなぁ、お前って子も』
あきらめ顔の恭子が、たまの頭をそっとなでる。

 

 飯豊連峰は山裾の雄大さにおいて、東北でも屈指の山容をほこる。
福島、山形、新潟の3県にまたがり、2000mをこえる山頂がいくつも連なる。
山脈はゆうに20キロを超える。
主峰の飯豊山は古くから、会津の人々から熱い信仰を集めてきた。

 

 

 稜線に起伏の少ない草原の道が、どこまでも続いていく。
標高からいけばこの一帯には、針葉樹の林帯が存在してもいいはずだ。
だがここの厳しい気候と地形が、そうした景観を許さない。

 飯豊連峰は、世界的に有数な豪雪地帯として知られている。
日本海から吹きつける豪雪のため、稜線の上では、樹木が一切育たない。
風が吹き付ける西側には、比較的緩やかな斜面が残っている。

 

 しかし。東側は景観が一転する。
深くえぐられた谷が、いくつも連続して現れる。
風に吹き飛ばされた雪が、東側の斜面に大量に降り積もるからだ。
大量に蓄積された雪が春には雪崩となり、東側の山肌を鋭く深く、削り取っていく。

 

 高山植物たちもまた同じことだ。
乾燥を好む花は、稜線の西斜面一帯に群生する。
いっぽう。湿地を好む花たちは急峻な東の斜面に根を下ろす。
飯豊連峰は痩せた稜線を境にして、長い時間をかけ、東西非対称の景観を
じわじわと形成してきた。

 

 

 「へぇぇ。猛禽類のイヌワシや、クマタカが住んで居るの。ここには?」

 

 「居るよ。あたり前だ、清子。
 ここは東北地方がほこる大自然のど真ん中だ。
 イヌワシもクマタカも、翼を広げると2メートルを超える大型の鳥だ。
 翼を広げて空中から、大草原の中の獲物を探すのさ。
 雪渓が残っているこの草原の中には、わたしたちの目には見えないけれど、
 猛禽類の餌になる、たくさんの小動物たちが住んでいるんだ。
 愛嬌者のオコジョなんかが、有名だわね」

 

 「オコジョ?。」

 

 「猫の仲間で、体長が20cmくらいになるイタチ科の小動物。
 別名は、ヤマイタチ。行動はとにかく素早い。
 登山の途中で時々みかけるけど、ヒョイと人の前に現れたかと思うと、
 あっというまに消えてしまう、ひょうきんな奴さ。
 ほら。遠くでチチッ、チチッと鳴いているのが聞こえるだろう。
 あれがオコジョの声さ」

 

 『あっ、』清子が突然、大空を見上げる。
青空のはるか彼方に、悠々と翼を広げ、上昇気流に乗る鳥があらわれた。

 

 『イヌワシかしら、それともクマタカかしら・・・
 遠すぎて、よく分かりませんねぇ』

 

 額に手をかざした恭子が、目を細めたまま浮遊する姿をうかがう。
悠然と上空で旋回を繰り返していた大きな鳥が、ふと、1点に狙いを定める。
どうやら獲物を見つけたようだ。
角度を変えた大きな翼が、ひらりと動く。
つぎの瞬間。まるで落下ような角度で、下っていく。
大空を滑空した黒い塊が、地上スレスレまで一気に落ちていく。

 

 「狩りかしら。草原に向かって舞い降りていくもの・・・」

 

 風を切って舞い降りた影が、草原に向かって鋭い足を伸ばす。
2度3度と地上で羽ばたいたあと、上空へ向かってふたたび舞い上がっていく。
『獲ったのかしら・・・』『さぁ。遠すぎてよく見えなかったけど、獲ったのかなぁ』
2人の頭上にいつのまに現れたのか、もうひとつの大きな鳥が、
ぐるぐると旋回していく。

 

 『よかったわねぇ、たま。あんた、あんな大きな鳥の餌にされなくて』

 

 『冗談じゃねぇぞ。
 オイラは、山に、可憐な高山植物を見に来ただけだ。
 それにしても初めて見たが、でかい鳥だったなぁ。
 あんなのに狙われたら、オイラなんかひとたまりもねぇ。
 もう2度と出ないぞ。オイラ、せっかく入った、恭子の懐の中から!』


(59)へつづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (57)
 稜線の花園

 

 2日目。快晴の朝がやってきた。
いよいよ飯豊本山から大日岳への稜線歩きがはじまる。
この行程が今回の最大イベント。
雷雨の去った爽やかな朝の景色の中を、2人が歩きはじめる。

 

 飯豊連峰は日本海からわずか50kmしか離れていない。
そのため。世界でも有数の豪雪地帯になっている。
想像を絶するほど降り積もる雪が、飯豊連峰の特色ある地形を形つくる。
その証拠として真夏になっても、たくさんの雪渓が山肌に残る。

 

 

 飯豊山を過ぎるあたりから、尾根の稜線歩きがはじまる。
どこまでもなだらかに続いていく登山道と、稜線に沿ってひろがるお花畑が、
このあたりの醍醐味。
斜面のあちこちに、たくさんの高山植物が可憐な花を揺らしている。

 

 ゆるい稜線を一つ越えたとき。
真っ白の絨毯のひろがりが、2人の目に飛び込んできた。
ハクサンイチゲの大群落だ。
白山一華は、高山の湿り気のある草原に生えるキンポウゲ科の多年草。

 

 日本を代表する高山植物のひとつ。
高山に登れば、必ず見ることのできる花だ。
草丈15cmの花茎の先端に、花径3cm程の白い花を、3~5個つける。
花期は7~8月。花言葉は「幸せを招く花」。
アルプスで雪解けを待って咲きはじめるのが、このハクサンイチゲ。

 

 

 「上品で、清楚なお花です。
 でも、思っていた以上に大きなお花です。図鑑と本物とでは大違いです。
 たま。真っ白のハクサンイチゲは、見るからに美人さんですねぇ」

 

 「このお花畑が見たくって、麓からたっぷりの時間をかけて、みんな
 飯豊連峰に足を運んでくるのさ。
 縦走や日帰りの登山ではなく、2泊、3泊と連泊しながらあちこちへ足を伸ばすんだ。
 そうしてこの山のお花畑を満喫していく。
 そんな風に山歩きが楽しめるのは、たぶん、ここだけだ。
 のんびり雲の上の散策を楽しむ、それがこの山、飯豊山の醍醐味なのさ」

 

 『さすがだねぇ。恭子の言うことには、いちいち説得力がある。
 それに比べると白い花を、ただ上品で清楚ですねぇなどと褒める清子は、
 どうもイマイチだ。
 おまえ。ボキャブラリーが不足し過ぎているぞ』

 

 

 『へぇぇ。じゃあ、たまなら、白い花を、いったいどんな風に褒めるのさ。
 言ってごらん。あたしが評価してあげるから』

 

 

 『楚々としたたたずまい。凛とした風情、なんてのもいいな。
 なんだか女性の白いうなじを連想させる。
 白いもち肌なんてのもいいな。男心をそそるものがあるぜ。
 そういえばお前。なぜ大根が真っ白なのか知っているか?」

 

 「とつぜん何を言うのさ。大根が白いのはあたりまえでしょ」

 

 「だから素人は困る。
 むかしのことだ。人参とごぼうと大根は、まったく同じ色をしていたんだ。
 ある日。人参とごぼうと大根がお風呂に入ることになった。
 「いちば~ん」。あわてん坊の人参が確かめもせず、一番先に風呂へ飛び込んだ。
 そしたら、お風呂が熱いこと、熱いこと。
 それでも人参は、真っ赤な顔で我慢しながら、熱い風呂にはいった。
 だから人参の色は、いまのような真っ赤になったんだ。
 次に入ったのがゴボウだ。「熱いお湯だなぁ~」。
 ごぼうは熱いのが嫌いなので、体も洗わず風呂から出てきた。
 それでゴボウは、黒い色をしているのさ。
 で、最後に入ったのが、大根だ』

 

 『ちょうどいい、湯加減だ。
 大根は最後に入ったので、熱いお風呂もちょうどいい温度になっていた。
 気持ちの良いお風呂だったので、きれいに体をあらい、おかげで真っ白になった。
 それで大根の体は今でも真っ白だと言いたいんだろう、お前は』

 

 『何だよ。知ってんじゃねぇか。
 清子っ。お前なぁ・・・・人の楽しみを途中で奪い取るんじゃねぇ。
 接客のプロになるというのに、人の話の腰を折るのは最低だ。
 それよりよ。ハクサンイチゲの周りで点々と咲いている、あの紫の花はなんだ?。
 なかなか風情があって、いい花じゃないか』

 

 

 『イイデリンドウ(飯豊リンドウ)と言うんだ。たま』恭子が近づいてくる。
近くで見せてあげるからおいでと、清子の懐からたまを抱き上げる。

 

 飯豊山にしか咲かないという飯豊リンドウは、ミヤマリンドウからの変種。
茎の部分が長く、地面をひくく這う。
途中から5cmから12cmほど、茎先が立ち上がる。
茎の上部に直径が20mm~30mmの薄紫色の花を、1個から4個ほど咲かせる。


 原種のミヤマリンドウは、沢筋などの少し湿り気のある場所に自生している。
イイデリンドウは、やや乾いた岩礫地や、小低木の群落の中に自生する。
飯豊山神社から、飯豊本山を経て、御西岳へ至る稜線上でよく見ることができる。
特に烏帽子岳から北股岳、門内岳、地神北峰にかけた稜線の新潟県側斜面の
乾いた場所で、一面の群生を見ることができる。


(58)へつづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (56)
 銀河のど真ん中

 

 「用意がいいねぇ。本かつお節に削り器まで持参してくるとは本格的だ。
 恐れ入ったねぇ。
 やっぱり三毛猫のオスは、待遇が違う」

 

 かつお節を削るいい香りが、山小屋の中に充満していく。
匂いに誘われて、ヒゲの管理人が顔を出した。
「大事にされているんだな、おまえ。たいしたもんだ」たまの顔を覗き込む。
『折角ですから、管理人さんにも、おすそ分けです』
清子がさらに大量のかつお節を削る。

 

 「これは嬉しい限りだ。天から恵みのようなおすそ分けだ。
 じゃあみんなの分の、味噌汁を作ろう。
 ありがとうよ、お嬢ちゃん。また、後で遊びに来るからな!」

 

 トントンと階段を下りかけた管理人が途中で、立ち止まる。

 

 

 「そうだ。表の雲行きが怪しくなってきた。
 よかったねぇ、お嬢さんたち。
 この先の一ノ王子でテントを張らなくてさぁ。
 ここは雷の通り道だ。
 雷なんかちっとも珍しいことじゃないがお2人さんも、ヘソを取られないよう、
 せいぜい気をつけてくれよ。じゃあな、またあとで」

 「一の王子って?」
 
 「ここから150mほど上にある、稜線上のテント場さ。
 登ってくる途中で発達した積乱雲を見たけど、やっぱり、雷さんの襲来か。
 初夜からいきなり雷の洗礼を受けるとは、清子もついているねぇ。
 さては山の神に好かれたのかな?。もしかして。うっふふ」

 

 「雷さまですか!。
 恭子お姉さんは、怖くないのですか?」

 

 「山の雷は怖いさ、誰だって。
 頭の上だけじゃないんだよ。足元や、四方八方でガラガラ鳴るんだもの。
 テントの中にいたんじゃ、生きた心地なんかしないわ。
 もっとも山小屋の中に居ても、それは同じことだけどねぇ」

 

 

 恭子の説明が終わらないうち、山小屋の窓をいきなり閃光が走る。
『あっ、』清子が窓の外へ目をやった瞬間。
バリバリという激しい音が、空気を切り裂く。
続けてドッカ~ンという落雷の大音響が、2人の耳を直撃する。
『きゃ~ぁ』悲鳴を上げた清子が、恭子の胸へ飛び込む。
夏用の寝袋を広げた恭子が、清子を抱きとめながら、素早く頭から被る。

 

 やがて大粒の雨が、屋根を激しく叩きはじめる。
恭子の懐で清子が、ウッ~声を上げてとうめいたとき、すでに山小屋は
全方位を雷雲に取り囲まれている。
上から下から、右から左から、ゴロゴロゴロ~ピカッ!ドッカ~ン!!
ピカッ!ドッカン!ドッカン!。またゴロゴロ~ピカッ~・・・
鼓膜の保護のため、耳に両手を当てて恭子の胸の中で背中を丸めていた清子が、
少し離れたところできょとんとしているたまに、ようやく気がつく。

 

 

 『何してんの、たま。おへそを取られてしまいますよ!』

 

 手を伸ばした清子が、かき寄せるようにたまを手元へ抱き寄せる。
雷はいっこうにとまらない。
激しい雨と猛烈な稲妻はこの後、1時間あまりにわたりドカン、ドカンと
2人の周りで山の洗礼を轟かせる。

 

 

 山の雷は突然終わりを告げる。
ある瞬間から急に静かになり、雷雨が遠ざかっていく気配がやって来る。
それが2人に、手に取るように伝わってくる。
ふいの静寂がやってきた。
雨があがった瞬間。雷はまるで駆け足でもするかのように山小屋から、
あっという間に遠ざかっていく。
あれほど騒がしかった窓の外が、満天の星空に変わっていく。

 

 

 「お~い。無事かい、お2人さん。
 無事でいるなら、山小屋の外へ出ておいで。
 雷さんの置き土産は、降るように輝く、満天の天体ショーの始まりだ。
 凄いぜぇ。銀河の星が一斉に、おれたちの頭の上で勢揃いしている。
 こんなすごい星空を見るのは久しぶりだ。
 早く出てこい、今夜の星空は最高だ!」

 

 

 「たま。表で、星空が最高ですって。見に行こうよ!」

 

 

 たまを抱えた清子が、元気いっぱい立ち上がる。
『うふふ。さっきまでわたしの懐で泣いていたカラスが、もう笑っている。
現金だねぇ。清子は』
寝袋を被ったせいですっかり汗をかいている恭子が、指先で濡れた前髪をかきあげる。
『おまえだけだ。騒がずに、ぼんやりしていたのは、ねぇ、たまや』
うふふと恭子がたまに、笑いかける。


(57)へつづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (55)
 三国の山小屋

 

 

 「おっ、珍しいねぇ。美人が2人も登場するとは、今日はいい日だ。
 三国の山は初めてかい。2人のお譲ちゃんたち」

 

 山荘の前でひげの管理人が早くから2人の到着を待ち構えていた。
薪割の手はさっきから、ずっと止まったままだ。
そのためせっかくかいた汗も乾きはじめ、寒ささえ感じている。
久しぶりに聞く山での人の声に、たまも清子の胸ポケットから眠たそうな顔を出す。

 

 

 「こいつは驚いたねぇ。
 美人2人だけかと思いきゃ、なんと子猫のおまけまでついているとは。
 へぇぇ、なんとよく、見れば三毛猫じゃないか。こいつはさらに珍しい。
 で、どうするんだ、あんたたち。
 テントを設営するのなら、もう一つ先の山小屋まで足を伸ばすようだ。
 だが泊まるだけなら、ここも上も同じことだ。
 今日の宿泊予定は、あんたたちを入れても7人。
 ここには40~50人が泊まれるから、今日だけはのんびり眠れるぞ。
 んん・・・・どうした、姉ちゃん。
 そんな顔して。何か気になるものでも見つけたか?」

 

 

 不思議そうな顏で建物を見上げている清子に、管理人が気づく。
東北では無人の山小舎が多い。
登山客が多くなる夏場に限り、管理人が雇われる。
ほとんどが役所からの委託を受けたものだ。
だから山小舎のオーナはいない。ほとんどが役所からの委託を受けた管理人たちだ。

 

 これらの山小舎は、冬場になっても閉鎖されることはない。
避難小屋としていつでも利用することができる。しかし管理人は不在になる。
屈指の豪雪地帯に変わるこのあたりでは、積雪が3mから5mに達する。
2階建ての三国小屋ですら屋根まですっぽり、雪に覆われることがあるという。

 

 

 清子が見つめているのは、入口のドア付近に取り付けられている
太い角材でつくられた、屋根まで届く巨大な梯子。
2階と思われる部分に、1階と同じ大きさのドアがある。
『ということは、はしごを上がれば、2階から山荘へ入ることができるのかしら・・・』
清子がポツリとつぶやく。

 

 

 「その通りだよ。お姉ちゃん。
 このあたりは、東北でも指折りの豪雪地帯だ。
 山が好きな連中は真冬であろうがおかまいなしに、このあたりまで登って来る。
 もちろん。素人じゃない。
 アルプスやエベレストの、遠征前のトレーニングにやってくるんだ。
 夏は高山植物や、天空の花園を楽しみに来る一般人たちの憩いの空間になる。
 しかし冬になるとここは、一転して気象の荒い地に変わる。
 ときには吹雪が吹き荒れる。
 そういうときための設備が、あの頑丈な梯子だ。
 2mも積もれば、1階のドアは雪にふさがれてしまう。
 そういう場合。梯子を登り2階のあのドアから山荘の内部へはいるのさ。
 それだけじゃないぜ。
 普段は使わないが、万一の時にそなえて、2階の屋根からの入口もある。
 だが、コイツの使い道はそれだけじゃない。
 理由が知りたかったらまずはこの梯子を、自分の足で登ってみることだな」

 


 促された清子が、梯子を天空に向かって登りはじめる。
黙って見つめていた恭子も、リュックサックを地面に放り出す。
風雪にささくれた木材の感触をしっかり確かめながら、2人がゆっくり
2階の屋根までたどり着く。
最初に頂点へ着いた清子が、ひらりと2階の屋根に降り立つ。

 

 「ほう・・・見かけによらず、身の軽い子たちだ。
 どれ。わしも、久々に登ってみるかな」

 

 

 後から屋根まで登ってきたヒゲの管理人が、ヒョイと清子の細い腰を捕まえる。
『え?』驚ろいた顔を見せる清子を、そのまま肩まで担ぎ上げる。
管理人がスタスタと屋根の斜面を歩き、一番の高みまで登っていく。

 

 「どうだ、お譲ちゃん。
 あんたたちが、6~7時間かけて歩いてきた下界が、一望に見えるだろう。
 俺より高い位置にいるお前さんは、オレも見たことのない絶景が見えるはずだ。
 そこからの気分はどうだ。お嬢ちゃん」

 

 「すごく素敵。もう最高です!。生まれて初めて見るすごい景色です。
 清子はもう山登りが、病みつきになってしまいそうです!」

 

 清子の声が、山小舎の空へ響いていく。
ガスが晴れてきた。山容をあらわにしてきた三国山の雪渓が残る山肌へ、
こだまを呼びながら、清子の歓声が響き渡っていく。


(56)へつづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (54)
 夏まで残る雪渓

 


 潅木の道をようやく抜ける。
地蔵山からやってきた道と合流すると、三国岳へむかう尾根を伝う道に出る。
このあたりから、所々、足元が崩れた痩せ尾根になっている。
霧がすこしづつ濃くなってくる。


 滑らないよう注意しながら、恭子と清子が痩せた尾根の道をすすんでいく。
およそ30分。急峻な三国岳の上り口へ到着する。

 

 

 「清子。ここから先が、今日一番の難所だよ。
 剣が峰という岩場がある。鎖を頼りによじ登っていく険しいところだ。
 でもね。雨で濡れていなければ、さほど難しい場所じゃない。
 ほら。遠くにたくさんの雪渓が見えるだろう。
 あれはね、夏の中頃まで残るんだ。
 ここの岩場を越えると避難小屋がある。そこまで行けば一休みができる。
 ガスがかかってきたけど、天候が崩れる心配はないだろう。
 一休みしてから、岩場を登ろう。
 それまでたまを懐から出して、休憩させてやるといい」

 

 

 『お前も一休みをしたほうがいいそうです』
清子が胸のポケットからたまをつまみ出そうとする。
しかしたまは、『寒すぎるから嫌だ』とばかり、目を見開いたまま
ポケットの中で首を横に振る。
雲の切れ間から、下界の様子がよく見える。
このあたりで標高は、すでに1500mを超えている。

 

 

 『なんだい・・・寒いのかい?、お前』清子がたまを覗き込む。
たまがフルフルとヒゲを小刻みに震わせている。
寒さより、立ち込めている湿気を含んだガスを嫌っているようだ。
よく見ると口の周りをしきりに舐め回している。

 

 

 猫が顔や耳の後ろなどを洗うと、雨が降る可能性が高くなる。
『猫が顔を洗うと雨が降る』と昔から言われている。
猫は極端に湿気嫌う。
顔に着いた湿気のベタベタを、手で懸命に取り除く。
猫がいつも以上に顔を擦っていたら、低気圧が接近している証拠になる。
曇り空なら、傘を持って外出するほうが良いとされている。

 

 

 口や鼻の周りをなめることもある。
この場合。猫の気持ちの中に迷いが生じている。
逃げ出したい気持ちがうまれている。逆に近寄ってみたいと考えている時もある。
行動に迷いが生じたとき、猫は口の周りを舐める。
次の行動に移りやすくするため気分を鎮めて、落ち着つかせるための
行動と言われている。

 

 

 「あはは。たまは男の子のくせに、臆病すぎる。
 危険な岩場だと言われて、緊張しているんでしょ。
 無理はない。あたしだって高度1500mの岩場は初めての体験です。
 でもさぁ、見てごらん。
 あちこちに鮮やかなピンクや、オレンジの花が見えるだろう。
 白や紫色の花も見えている。
 ここはきっと、晴れていれば雲の上の花園です。
 そんな気配がぞんぶんに漂っています。
 ほら。たま。もっと大きな目を見開いて、まわりを見てご覧。
 こころが踊るような景色が、お前にも見えますから」


 「子猫に向かって、無茶を言わないの、清子。
 猫の目が大きくなるのは、夜だけさ。
 今は、三日月様より細くなっている状態だもの、景色なんか目に入るもんか。
 山小屋で好物のかつお節でも食べされば、きっと機嫌も治るだろう。
 もっとも山小屋に好物のかつお節が、有るかどうかが問題だけど、ねぇ」

 

 さぁ行くよと帽子を直して、恭子が立ち上がる。
ガスのせいで、足場が滑りやすくなってきたから気をつけるんだよと
恭子が、清子を振り返る。
剣が峰は岩の塊が、不規則にゴロゴロと突出している。
三国避難小屋までの稜線を、こうした岩場が不規則に続いていく。

 

 飯豊山は、遠くから撮影された写真のイメージから、
女性的な優しい山と、人々には思われている。
なだらかな稜線の山容。山肌を彩る数多くの高山植物の様子などから、
そんなイメージが多くの人に普及した。

 

 全体的にほどよく整備された登山道を備えている。
しかし。所々にこうした荒々しい岩場や鎖場などがある。
かつて山岳信仰で賑わった山は、ときどきこうした男性らしさを、垣間見せる。

 

 

 山の手ごわい洗礼を受けて尾根を歩くこと、30分。
2人の行く手に三国の避難小屋が、瘦せ尾根の遠くに見えてきた。

 

(55)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (53)
 プロラクチン受容体のはなし

 

 

 登山口から歩き始めて2時間。
下15里、中15里、上15里の3つの急坂をそれぞれ無事に乗り越える。
すすむにつれて周囲に、大きなブナの木が増えてくる。

 

 灌木の中に、ウドやタラの芽が見える。
可憐な花をつける高山植物が、ちらほらと姿を現してくる。
眺望が開けはじめてくる笹平・横峰の広場に、ようやくの思いで2人が到着する。
清子は全身にびっしょりの汗をかいている。

 

 「清子。休憩中に、汗を拭いておくんだよ。
 今日は蒸し暑いから、少し動くだけで汗をかく。
 水はまめに摂っておくこと。そうしないとあとで、ばてる原因になるからね」

 

 「汗をかいているのに、水をたくさん摂れというのは矛盾しています。
 あっ・・・・胸の谷間をたったいま、冷たい汗が流れていきました!」

 

 「嘘つけ。Bカップに、胸の谷間なんかあるもんか。
 見栄を張るんじゃない。このペチャパイ娘が。うっふっふ」

 

 

 「恭子お姉さんのお胸は大きくて、形がいいので羨ましい限りです。
 どうしたら、そのように大きくなるのでしょうか・・・・
 何か秘訣のようなものでも有るのですか?」

 

 「秘訣なんかないけど、好き嫌いしないことと、乳製品や豆腐などの
 豆類をよく食べることかな。
 母親からの遺伝という人もいるけど、食生活や睡眠のほうが大切だと思う。
 北海道や東北の女性の胸が大きいのは乳製品などを、よく食べているからです」

 

 「乳製品と豆をよく食べると、胸が大きくなるのですか・・・」
 
 「昔の女性は20代前半で、大半がAカップと言われていた。
 今はCカップが多いと言われている。
 違いは、成長ホルモンの差から来ているようだ。
 ある程度の年齢から、女性ホルモンと成長ホルモンが分泌するようになる。
 プロラクチン受容体が出来上がってないと、乳房は大きくはならないんだよ」

 

 「プロラクチン受容体?。なんですかそれ?」

 

 「プロラクチン受容体は、10歳前半で出来る人もいる。
 遅い人は20歳を過ぎたり、中には一生出来ない人もいるそうだ。
 成長ホルモンは18歳をピークをむかえ、20歳から減少する。
 ゼロになるわけではないから、中には奇跡的に20歳を超えておおきくなる人もいる。
 そういう可能性もちゃんと残っている。
 だからお前も、もう遅すぎると悲観する必要はないさ」

 

 

 「プロラクチンというのは?」

 

 「プロラクチンというのは、脳の下垂体から分泌されるホルモン。
 女性の妊娠や出産などに、大きく関わるホルモンだよ。
 妊娠中は乳腺を発育させる。
 出産後は、乳汁の分泌を促す役割を果たす。
 そうかお前はまだ、身体が大きく変化を遂げる前の年齢だもんね」

 

 「あのう。男の人に胸を揉まれると、大きくなるというのは
 まったく嘘なのですか?」

 

 

 「たまたまプロラクチン受容体の成長期と重なって、大きくなっただけだろう。
 生理学的にはまったく何の根拠もないよ。
 なんだい、お前。
 女の胸は男の人に揉まれると、大きくなると思っているのかい?。
 可愛いねぇ。そんなものは根拠のないガセネタだ。
 エッチと胸の大きさに関係はまったくありません。あっはっは」

 

 『さて、行こうか』恭子が前方の登山道を見上げる。
灌木林の中を進んでいくと、やがて地蔵山の山頂に向かう小道と、
地蔵山の麓を巻いて峰秀水を経由していく分かれ道に出る。
『山頂へ向かう道は少しばかり手強い。清子が居ることだし、今日はこっちだな』
恭子がなだらかな道が続く巻き道へ進路を取る。

 

 

 「清子。
 プロラクチンの成分は含まれていないけど、この先に美味しいミネラルを
 たっぷり含んだ峰秀水の湧水がある。
 水筒を用意して、たっぷり汲んでいこう。
 冷たい水で顔を洗ったら疲れきった身体が、いっぺんに元気を取り戻す」

 

 「冷たい湧水があるのですか!。それ最高です!」

 

 「周りを見てごらん。ブナの大木があちこちにそびえているだろう。
 ブナの林は昔から、天然の水瓶と言われている。
 豊かな水源地さ。
 何も見えないけど私たちの足元を、ブナが溜めた地下水が脈々と流れているんだ。
 冷たい湧水は汗を流して登る人たちへの、山からの贈り物だ。
 ほら。木の間からもう、その湧水群が見えてきた!」


(54)へつづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (52)
 下15里、中15里、上15里 3つも続く、15里の道


 『なぁ聞けよ。清子。オイラの話を。ひどいんだぜ、市のやつ。
 夕飯の時。旨そうなかつお節が出てきたんだ。
 かつお節はおいらの大好物だ。何も考えず、オイラも食いついちまった。
 今から考えれば、それが間違いのもとだった。
 食った途端。あれよというまに、眠たくなってきた。
 アノやろう。かつお節に睡眠薬を混ぜたんだ、きっと。
 おかげでぐっすり寝込んじまった。
 気が付いたらよう。なんだかゆらゆら揺れている、真っ暗闇の中だ』

 

 たまが、清子の胸元でさっきから愚痴をこぼしている。
オレンジ色のヤッケの胸元に、たまがすっぽり収まっている。
まるでたまのための、オーダーメイドだ。
ちょうどたまが収まるサイズの、ポケットが付いている。
このヤッケもまた、市が用意したものだ。

 

 清子はたまの愚痴を完全に無視している。
あるきはじめたときから、恭子との会話に夢中になっている。
林道を進んでいくと、小さなせせらぎに出る。
せせらぎに架かった小橋を越えると、登山道を示す大きな案内看板が
2人の行く手に大きくそびえる。

 

 「清子。ここからが飯豊山の、本格的な登山道だ。
 覚悟はいいかい。臆病風に吹かれて引き返すのなら、今のうちだよ」

 

 「とんでもありません。
 期待で胸が膨らみ、ワクワク高鳴っています。
 お天気は最高です。たまも一緒です。何一つ心配する要素はありません。
 あ・・・・頼りになる恭子お姉さんと一緒です。
 私は何ひとつ心配などはしていません」

 

 「なんだかなぁ。とってつけたようなお世辞に聞こえたぞ・・・まぁいいか。
 ほら、最初のマイルストーンが見えてきた。
 ここから少し難所に変っていくよ」

 

 「マイルストーン?。なんですか、それ?」

 

 「道の途中におかれた目印、道標のことだ。
 マイルストーンは物事の進捗を管理するため、途中で設ける節目のことを言う。
 到達点に向かうための、通過点の意味が有る。
 道路に置かれている里程標識なんかも、同じ役割を果たしている」

 

 「たいへんだぁ、お姉ちゃん。マイルストーンに下15里と書いてあります!。
 1里というのは、4キロでしょ。
 そうすると次のマイルストーンまでの距離は、ざっと60キロになります。
 いきなり、60キロもあるくのですか!」

 

 「あはは。これから始まる3つの急坂を、それぞれ15里と呼んでいるんだ。
 せせらぎの先。600mの場所からはじまる最初の登りを、下15里。
 そこからさらに500m登った先に、中15里が有る。
 さらに600m登ると、最後の上15里がでてくる。
 この急な上り坂を、1里が15里に相当するほど苦しいという意味から、
 そういう名前がつけられたのさ」

 

 「急な上りで、合計が45里ですか・・・・
 それはずいぶんとまた、歩き始めから難儀なことです。ねぇ、たま」

 

 

 「2キロあまりの山道で繰り返される、3つの急な上りだ。
 でもね。ここは名だたる名峰です。
 急な坂道が多いとは言え、登山道はきれいに整備されています。
 オーバーペースにならないように、道標をひとつづつ確かめながら、
 一歩一歩、慎重に登って行きましょう。清子」


 恭子が言うとおり足慣らしとも言える、平坦な杉林がしばらく続く。
しかしそれもつかの間のこと。
やがて本格的な登りが、2人の目の前に迫って来る。

 

 最初の尾根で地蔵山まで続いていく、長坂と呼ばれる急傾斜があらわれる。
20~30分登るごとに、休憩用の広場がつくられている。
広場がいくつも整備されているには、理由がある。
数日をかけて、山を散策する人たちが増えてきた。
大きな荷物を背負う登山者たちに、配慮したためのものだ。

 

 景観から杉が消える。雑木と灌木に覆われた登山道に変わると、
最初の休憩場所が見えてくる。
ここが急坂路の起点だ。ここから下15里の急坂がはじまる。

 

 

 「たま。最初の急坂、下15里が見えてきました。
 あらら。ほんまや~。いままでの登山道から比べると桁違いの急坂やな。
 杉の小径は、ほんの小手調べでしたなぁ。
 ここから先は、1歩くごとに1m上昇していくような、きつい坂どす・・・・
 しかたおまへん。ささいな距離で、15里分の苦労をするんどす。
 簡単には登らせてくれまへんなぁ、飯豊山の登りというものは・・・・」

 

 「どうしたのさ清子。変だぜ。
 どうでもいいけど、その中途半端すぎる京なまりは、なんとかならないのかい?
 歯がゆくて、なんだかあたしまで、力が抜けてしまいそうどす」

 

 「あはは。すんまへん。
 ウチ、極端に緊張すると、なぜかこんな口調になるんどす。
 かんにんどっせ。恭子おねえ~はん!」

 

 『大丈夫かいな清子は。
 ほんま。なにやら、ウチまでおかしくなりそうや・・・』

 

 恭子が額から流れ落ちてくる、大粒の汗を拭う。
急坂の途中で恭子が立ち止まる。真っ赤な顔をして登ってくる清子の姿を振り返る。
『なんやかんや言う割に、頑張って登っているやんか、この子・・・
意外と根性あるわ』
うふふと嬉しそうに、目をほそめる。


 (53)へ、つづく

 

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (51)
 飯豊山登山口

 


 小春が登山口のある川入まで、2人を送っていく。
川入から山頂の神社まで、往復で30キロあまり。
健脚なら早朝の2時頃から登り始めて、その日のうちに往復することもできる。
しかし。初心者の清子に無理は禁物ということで、たっぷり余裕をみた。
その結果。2泊3日という山あるきの行程になった。

 

 「くれぐれも無理しちゃダメよ。
 なにか有ったら迷わず引き返すのよ。お願いよ、恭子ちゃん。
 清子は、目を離すと何を仕出かすか分からない子なの。
 しっかり見張っていてくださいね」

 

 30分で到着した登山口の駐車場で、小春がいまさらながら、オロオロしている。
『あたしが準備してあげます』市奴が手がけてくれた清子の荷物は、
恭子のリュックサックの倍近い大きさに膨らんでいる。

 

 「開けてみてのお楽しみが、ぎっしり詰まっているそうです」

 

 うふふと笑った清子が、『よっこらしょ』とリュックサックを肩にかける。
「あら・・・」見かけに反し軽いことに、清子が驚ろきの表情を浮かべる。

 

 

 「別に、筋肉トレーニングに行くわけじゃないんだ、清子。
 最初から重いと感じるリュックでは、長時間、担げるはずがないだろう。
 軽く感じるのは、中身がバランスよく詰められている証拠さ。
 市さんは、登山経験が豊富な人だ。
 そうか。市さんはこのあたりで産まれたんだ。
 ということは子供の頃から、何度も、飯豊山に登山しているはずです。
 そうなると、リュックの中に何を詰め込んだのか、なんだか、
 楽しみになってきましたねぇ。ふふふ」

 

 心配そうな顔で見送っている小春を駐車場へ置いて、恭子と清子が、
登山口へ向かう最初の林道を歩きはじめる。
登山口はここから10分ほどの距離にある。
そこから、本格的な階段状の急な上りがはじまる。

 

 

  『じゃあね。行ってきます!』2人が同時に振り返ったとき。
小春が何かを思い出し、あわてて清子を呼び止める。

 

 「あっ、いけない。忘れていました。
 市奴姐さんから、清子へ渡してくれとメモを預かってきました。
 もしものことばかり考えて、つい、うっかりしておりました。
 はい。市さんからの伝言です。
 あ~あ、よかった。ちゃんと手渡すことができて。
 このまま帰ってしまったら、市奴姉さんに、目いっぱい叱られてしまいます。
 じゃあね2人とも今度こそ、本当に気をつけていくんですよ」

 

 名残惜しそうに小春が、駐車場から手を振る。
『大丈夫です。そんなに心配しないでくださいな』恭子が笑顔で手を振り返す。
林道を歩き始めた次の瞬間。『何が書いてあるんだい?』
くるりと小春に背中を向けた恭子が、いそいで清子の手元を覗き込む。

 

 「わざわざメモを書いてくるなんて。いったい何なのでしょう・・・・
 何が書いてあるのかしら?」

 

 

 なになに・・・
『小春の姿が見えなくなったら、急いでリュックを開けよ』と書いてある。
リュックを開けろ?。一体どう意味かしらと清子が駐車場を振り返る。
豆粒ほどの大きさに変わった小春が、あいかわらず両手を振って見送っている。

 

 「まだ、小春姉さんの姿が見えております」

 

 「でもさ。歩き始めたら、いそいで開けろと書いているくらいだ。
 きっと、緊急を要するものが入れてある。
 なんだろうね。登山に必要なものは全部、はいっているはずだ。
 いまリュックを開ける理由は、まったく無いと思うけどね。
 あっ。ひとつだけ思い当たることが有る。
 清子。いつも身近にウロウロいるはずの、あいつの姿が見当たらないよ!」

 

 「そういえば、小春姐さんの車の中にも、姿がなかったですねぇ。
 もともとお気楽屋のたまのことです。
 どこかでのんびり、お昼寝などをしていると思います」

 

 「それにしても変だ。
 昨夜からまったくたまの姿を見ていないもの。
 登山で3日もいなくなるというのに、それを知りながらあいつが
 姿をみせないなんて、変だと思わないか。
 清子。急いでリュックを開けて見な。
 市さんのことだ。もしかして、もしかするかも知れないよ!」

 

 『えっ!』清子が駐車場をふりかえる。
小春の姿を探すが、すでに車ごと駐車場から消えている。
『ほら。とにかく急いで下ろして』
背中へ回った恭子が、清子のリュックに手をかける。

 

 「あっ。ほら・・・やっぱり居た!」

 

 リュックサックの口から、たまの寝ぼけた顔がでてきた。
『一体全体、何事だぁ』たまが、ぼそりとつぶやく。
まだ睡魔から覚めきれていない。
眠り薬でも飲まされたような、そんな気配がぞんぶんに漂っている。

 

 

 「うふふ。たまと清子はやっぱり一心同体だ。
 市さんに眠り薬を飲まされましたね、お前さまは。
 眠りこけているあいだに、リュックサックへ放り込まれたんだ。
 これで今回の山行きは、かよわい女子2人に、小猫が1匹。
 女人禁制は聞いた覚えがありますが、猫が入山禁止とは聞いていません。
 よかったねぇ、たま。
 お前も可憐に咲くヒメサユリや、たくさんの高山植物をその目で
 たっぷり見ることができるよ。
 市さんの粋な計らいに、心から感謝しなければなりません。
 やっぱり清子とたまはワンセットだ。あっはっは」


 (52)へ、つづく

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (50)
 登山前の、ノーパン姉妹

 


 「かつては女人禁制のお山であったと、市奴姐さんから伺いました」

 

 「知っているよ。
 そのむかし。女人禁制の掟を破って入山した女がいる。
 怒った山の神が、石に変えてしまったという伝説は、有名さ。
 飯豊山へはじめて登山したのは、会津女子高出身の猪股なんとかという18歳の女。
 安心しな。女人禁制は昔の話さ。
 山頂の神社まで行き、山上のお花畑を楽しむと、2泊3日の日程になる。
 お前。本格的な山登りは初めてかい?」

 

 「ヒメサユリの花を見るだけで、2泊3日もかかるのですか?」

 

 

 「ヒメサユリだけじゃないよ。ニッコウキスゲも満開さ。
 登るにつれてあちこちで、たくさんの高山植物を見ることが出来る。
 天上にひろがる花園なのさ。梅雨入り前の飯豊連峰は」

 

 「3日間も歩いたら、脚がパンクしそうです。
 大丈夫でしょうか。あたしみたいな初心者がいきなり登っても」

 

 「最初はみんな初心者さ。
 心配はいらない。お前はそのへんの連中より、しっかり足腰を鍛えているもの。
 中腰で踊る日舞は、足腰の鍛錬にもってこいだ。
 ほら。このへんなんか鍛え抜かれて、見るからに、ムチムチしているもの!」


 登山ズボンに足を通している清子のお尻を、恭子がポンと叩く。
『きゃっ!』悲鳴を上げた清子が、片足をズボンに突っ込んだまま、
ケンケンで室内を移動していく。

 

 驚いたのはのんびり昼寝を決め込んでいた、たまだ。
態勢を崩した清子の大きなお尻が、たまの目の前に落ちてきた。
『うわ~っ。油断していたおいらが、迂闊だった。大ピンチだ。
今度ばかりはオイラも助からねぇぞ・・・絶体絶命の大ピンチだ!。もうだめだ!』
たまが観念して両目をつぶる。
覚悟を決めたその一瞬。横からさっと市の手が伸びてくる。

 

 

 「馬鹿だねぇ、お前も。
 何が起こるかわからないお部屋の真ん中で、昼寝なんかするんじゃないよ。
 ほらごらん。清子のお尻は最近すっかり大きくなってきた。
 あんな大きなお尻に乗られたら、お前なんか、いっぺんにぺっちゃんこのノシイカだ。
 ホント。危なかったねぇ、命拾いしましたねぇ、たまや」

 

 「失礼ですねぇ。そんな風におっしゃる市奴姐さんは。
 少しばかり丸くなってきましたけど、それほど大きくはありません。
 と、自分では思っております。
 今でも、昔のままのパンツが、そのまま履けると思います。
 履いてみればのお話ですが」

 

 「履いてみれば?。ということはなんだい、今のお前は、
 パンツを履いていないということかい?。
 じゃ、ノーパンか?」

 

 「はい。浴衣を着はじめた時からノーパンです。
 ついでですが、ズボンを履くときもノーパンで過ごしております。
 あら・・・いけないでしょうか?。
 ズボンの時は、パンツを履いたほうがよろしいでしょうか?」

 

 

 「別に構わないさ。パンツを履こうが履くまいが、清子の勝手です。
 でもね。山へ行くときは別です。
 何が有るのか分かりません。万一にそなえて下着だけはつけていきなさい。
 遭難した時。下着を着けていないようでは物笑いの種になります。
 だいいち。涼しすぎてあそこが、風邪などをひきかねません。うっふふ」

 

 「そうですよねぇ登山ですもの、万が一という心配は確かにあります。
 それではあたしも今回だけ、パンツを履いて登ろうかしら」

 

 

 「おや?。10代目もパンツを履いていないのかい?。
 なんだいお前さんたち。2人揃ってノーパンなのかい。驚いたねぇ・・・・」


 「はい。清子に浴衣の着付けを教えてもらった時から、わたしもノーパン党です。
 黙っていれば誰にもわからないし、楽だし、快適です。
 やはり変ですか。パンツを履かないと?」

 

 

 「勝負パンツを履く年頃でもないし、特に問題などはないでしょう。
 パンツを履かなくてはいけないという法律も、ありませんし。
 しかし。山の夜は冷えます。
 山に行くときだけはパンツの上に、毛糸のパンツも重ねて履いてくださいな。
 女は冷えると後々が、厄介になります。
 どんな場所であれ、女らしさを忘れてはなりません。
 悪いことは言いません。
 今回だけ、二重にパンツを履いていくんですね、二人とも」

 

 

(51)へ、つづく

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (49)
 幅1m足らずの県境の道



 「飯豊山へ登る?。いいねぇ、行っといで。
 幅が3尺の登山道が、延々、7キロ以上も続いている。
 行ってみる価値は充分にあるよ。行っといで、行っといで」

 市が「いいところだよ」と清子の背中を押す。
飯豊山は、山岳信仰の山。
越後、会津、出羽の3国の境にそびえたち、3国を見下ろす山でもある。
山から生まれた水は、阿賀野川、荒川、最上川となり、3国の山野に恵みをもたらす。
飯豊山への参詣は、近隣の住民にとって、大人になるための通過儀礼であり、
男子が13〜15歳になると、飯豊山に登るのがしきたりになっている。

 明治時代に実施された廃藩置県が、火種を産んだ。
会津の一部であった東蒲原郡が、福島県から切り離された。
この結果。飯豊山神社の奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に
編入されることになった。
これに、飯豊山神社の麓宮をもつ耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が、猛反発した。
山頂の奥宮と麓宮は、一体のものとして崇拝されてきたからだ。

 1907年。内務省の裁定により、飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地として
正式に認められた。
現在のいびつな形の福島・新潟・山形の県境は、これに由来する。
参詣道は、三国岳から御秘所(おひそ)、御前坂に至る4キロメートルの間は
幅約91センチメートル(3尺)。
飯豊山頂と飯豊山神社付近は、最大300メートルほどの幅になっている。


 「幅が1m足らずの県境の道が、7キロ以上も続いていくのですか。
 災難ですなぁ。
 へその緒のような道を長々と打ち込まれてしまった、新潟県と山形県が」

 「あはは。そういう言い方も確かにあるね、清子。
 でもね。飯豊山は神聖な山だ。
 喜多方に生まれた男たちは13~4歳になると、一人前の男の証明として、
 この山へ登山するんだ」

 「山岳信仰のようなものですか?」

 「登拝するときは飯豊山神社が発行した「鑑札」をもつ、地理に詳しい
 地元の「先達(せんたつ)」が、一般「道者(どうしゃ)」たちを引き連れてお山に入る。
 それぞれが白装束に身をまとう。
 塩、洗米、お金などを入れた頭陀袋を首から下げ、唱え言をあげながら登っていく。
 先達は道者たちに指示を与え、山での戒めを説く。
 危険なところでは、ワラ草履のヒモをきつく結ばせる。
 『御山晴天』『米をまかんしょ~』と唱え、安全祈願のために米をまく。
 道者を送り出したふもとの家では、生ものを絶ち、草刈りなどの金物を使う仕事を
 避けて、登山の安全を祈った。
 お山から戻ると、神社にお礼参りして無事を祝ったものさ」

 「え?。ということは、市奴姐さんも、飯豊山へ登ったのですか!」

 「あたりまえだ。あたしゃこう見えても男だよ。
 飯豊山は近年まで女人禁制のお山だった。
 江戸時代。禁を破って飯豊山中に入った小松のマエという女が、神の怒りに触れ、
 石に変えられたという伝説が有る」

 「じゃ、あたしと10代目が登山したら、石に変えられてしまうのですか!」
 
 「大丈夫だよ、心配しないで行っといで。
 時代はすっかり変わった。
 女性でもいまは、大手を振って登れる山だ。
 山上に咲き乱れるお花畑は、想像を絶するほどの美しさを持っている。
 きっと病みつきになること、請け合いさ」


(50)へ、つづく


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