赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (44) | 落合順平 作品集

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (44)
 たまの暴走



 「大和屋酒造の弥右衛門の長女、恭子といいます」

 風呂敷包みを差し出しながら、恭子が最高潮の緊張を見せている。

 「くれぐれも失礼がないように。と、何度も念を押されました。
 これは、わしからだと言って渡してくれ。
 そう言われ、こちらのものを預かってまいりました」

 風呂敷から出来てきたのは、今年仕込んだ最上級のカスモチ原酒の特選品。
豊潤で濃厚な味が、カスモチ原酒の特徴。
こうじを多目に使っているからだ。
大和屋酒造は厳格なまでに製法を守りながら、伝統の酒を受け継いできた。
酒蔵の10代目を継ぐ恭子にとって、カスモチ原酒の特選品が持つ意味は、
嫌というほど理解している。

 「ありがとうございます。
 お父上様に、よろしくお礼を申しあげてください。
 先日は、ウチの清子が、喜多方で大変にお世話になりました。
 あらためて、感謝とお礼を申し上げます」

 小春も突然すぎる対面に、自分の気持ちを開放しきれていない。
つとめて冷静を装っている。しかし。心は穏やかでない。
それはそうだ。目の前にいる女の子は、いまも想いを寄せている
愛する男の、最愛の娘だ。

 『立ち話もなんですから、どうぞ、上がってくださいな』
玄関に立ち尽くしている恭子へ、ぎこちなく入室をすすめる。
おかしな空気が2人のあいだに漂っていることに、清子も気がつく。

 (不思議な気配が2人の間にただよっていますねぇ。、
 あ・・・小春姐さんが想いを寄せているお相手は、恭子さんのおとうさん、
 喜多方の小原庄助さんです!)

 いわくの有るの2人がいきなり対峙すれば、空気が重くなるのはあたりまえのこと。
この場を和らげるための方法を、清子が必死になって考え始める。
しかし。いくら考えても、良いアイデアは浮かんでこない。

(駄目だ。人生経験の乏し過ぎるわたしには、手に負えません。
 まいりました完全に・・・この場の空気を和ませるために、こんなとき
 誰か、機転の利く人がやって来てくれないかしら)

 しかし。いまの時間、小春の部屋へやってくるような救いの神は思い当たらない。
清子が途方に暮れた時。何を血迷ったのか、『オイラに任せろ!』と
言わんばかりに、3人の足元をたまが駆け抜けていく。
凄い勢いを保ったままのたまが、玄関から飛び出していく。

 外へ出た瞬間。廊下で足がすべる。
だがなんとかこらえ、その場で態勢を立て直す。
じたばたと廊下で蹈鞴(たたら)を踏んだ後、ふたたび速度を上げて階段へ向かう。

 (よし。ここからが見せ場だ。
 階段に落ちると見せかけて、急ブレーキをかける。
 ただ止まって見せるだけじゃないぜ。
 空中で1回転半回って、格好良く、着地を決めてみせるぜ!)

 階段の1mほど手前で、たまがダッシュからの急停止をこころみる。
しかし不幸なことに、勢いがついたたまの足元は、どうにも止まる気配がない。
必死に爪を立てて、もがいてみる。
だが廊下は昨日、クリーニング業者が、ピカピカに磨いたばかりだ。
いくらたまがもがこうが、ブレーキはかからない。

 『くそ!。畜生。磨くのにも限度があるだろう。クリーニング業者のバカやつらめ。
 このままじゃおいらは、階段から下の踊り場まで真っ逆さまに墜落しちまう。
 神も仏もいないのか。。誰か、ピンチのオイラを停めてくれ~』

 もはやこれまでと、たまが覚悟を決める。
横滑りしたたまの目の前に、階段の傾斜が迫って来る。
『もうだめだ!』たまが、両目を閉じる。
「なにやってんだい、お前。朝っぱらから、こんなところで?』
ヒョイと首が掴まれ、たまが吊りあげられる。

 「磨いたばかりの廊下を暴走するなんて、なにを考えているんだ、このバカは。
 誰が見ても、ツルツル滑ることなど簡単にわかるだろう。
 もう一歩、あたしが上がってくるのが遅ければ、お前さんは階段から滑り落ちて、
 救急車を呼ぶか、坊主を呼ぶかの大騒ぎになった。
 あ。子猫が一匹、階段を落ちて怪我したくらいで救急車はやって来ないか。
 あっはっは」

 たまを抱きあげた市が、ドアから顔だけ出してこちらを見つめている3人に気が付く。
清子と小春。恭子の呆れた顔がそこにある。
なるほど・・・そういうことですか。市もようやく事態に気が付く。

 『何がはじまったのかと思ったら、大和屋酒造の長女が、
 小春を訪ねてきたわけですか。
 小春の面食らった様子から見ると、どうやら突然の訪問のようです。
 なるほど。小春が窮地に陥ったわけですね。
 で、何とかしてこの場の空気を、やわらげる必要がでてきた。
 重い気配を察したお前が、ひと芝居を打ったわけか。
 やるじゃないかお前。
 見直したよ、たま。へぇぇ・・・・』

 あわてて駆け寄って来る清子へ、たまを、ほらと乱暴に投げ渡す。
しかし。上から下まですっかり外出の支度を整えている清子の様子を見て、
ヒョイとまた、たまを取りあげてしまう。

 「なんだ。出かける用意が、すっかり整っているじゃないか。
 じゃそのまま、お友達と遊びに行っといで。
 おや・・・どなたかと思えば、そちらは先日の大和屋酒造のお嬢さん。
 なるほど。清子を誘いに来てくれたのですね。
 わたしたちは、大助かりです。
 こんな気のきかない無粋な子ですが、本日一日、よろしく面倒みてくださいな」

 成り行きを見守っていたたまが、清子が出かけると聞いて、
市の手の中で、ジタバタ暴れはじめる。
『こらこら。お前は今日はお留守番だ。どうしても出かけたいというのなら
あたしゃ構わないが、後でお前がきっと困ることになるよ』
たまの耳元で、市がささやく。


 『え?。あとでおいらが困ることになる・・・』
たまの耳元へ、市がさらにつぶやく。

 『午後になったら、春奴姉さんと豆奴がここへやってきます。
 ついでに、ミィシャを連れてきてくれるそうです。
 どうするのさ、お前。
 清子と出かけたいのなら、勝手について行くがいい。
 でも、そうしたら、愛しいミィシャには会えないよ。
 どうするお前。
 やっぱり本命は、清子よりミィシャだろう。うふふ』

 市の言葉に、たまが細い目をさらに細くする。
『ニャア~』と甘える。
見たこともないほど顔をふやけさせたあと、目尻をだらしなく、
ぐっと下までさげていく。

(45)へ、つづく

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