朝日が差し込む窓。
そっと光を和らげるカーテン。
心地よい太陽の温もりに目覚める私。
何気ない日常の始まり。
ぐしゃぐしゃになった髪の毛を手でなおす。
あくびまじりの伸びをした。
気だるそうにゆっくりと立ち上がり、ポットに火をかける。
ふと昨夜の出来事を思い出す。
夢だったのか、現実だったのか?
思い出せば辛いけれど、心の痛みは少しだけ楽になっていた。
いつの間にか、昨日は過去になっていた。
いつもと変わらない、今日が始まっていた。
窓辺に目をやると、カーテンの隙間から青空が見えた。
そっとカーテンを開くと、ベランダに止まっていた鳥が慌てて飛び立った。
いつもと変わらない景色。
でもなぜか今日の青空は、とても広く感じる。
今日は自分がちっぽけな存在に感じる。
胸にある小さな痛みは、本当に小さなものだった。
消えることは無いかもしれない。
けれど、繰り返される日常がきっと癒してくれるだろう。
心に静寂が訪れた。
ポットのお湯が沸く音が、再び時間を動かした。
本当の自分って何だろう?
それは自分しかしらない自分なのだろう。
けれど、自分自身をあまりにも知らない自分がいる。
自分を知ろうとしない自分がいる。
本当の自分は、なんて弱いのだろう。
本当の自分は、どうしてこんなに憶病なのだろう。
本当の自分は、いつも泣いている。
けれども、本当の自分なんて恥ずかしくて見せられない。
協調性なんてない。
不平不満しか抱いていない。
誰も好きになれない。
常に相手のご機嫌ばかりうかがっている。
本心なんて明かしたことなんてない。
誰かとつながるために、今日も自分を偽る。
社会から弾き飛ばされないように、自分を殺す。
本当の自分は、それを望んでいるのだろうか?
それは自分しかしらない自分なのだろう。
けれど、自分自身をあまりにも知らない自分がいる。
自分を知ろうとしない自分がいる。
本当の自分は、なんて弱いのだろう。
本当の自分は、どうしてこんなに憶病なのだろう。
本当の自分は、いつも泣いている。
けれども、本当の自分なんて恥ずかしくて見せられない。
協調性なんてない。
不平不満しか抱いていない。
誰も好きになれない。
常に相手のご機嫌ばかりうかがっている。
本心なんて明かしたことなんてない。
誰かとつながるために、今日も自分を偽る。
社会から弾き飛ばされないように、自分を殺す。
本当の自分は、それを望んでいるのだろうか?
某細胞についての論文に議論が繰り広げられていましたが、
みなさんはこの一件についてどうお考えだろうか?
そもそも我々一般人には理解すらできないような科学のお話だが、
今回の論点になっているのは、細胞が本当にできたのか?という部分と、
それに肉付けされたように、論文の盗用疑惑などが問題となっている。
人それぞれ様々な印象を受けたと思うが、この裏側に一つ重大なことがある。
それは、マスコミの「情報操作」とも言える、報道の在り方だ。
当然マスコミ自身も、この細胞についての知識も論文に対する興味も、
今回の問題が発生しなければ、知ることも知ろうとすることもなかった
そんな素人の集まりでしかないだろう。
我々一般人と、ほとんど変わらないであろう。
では、そんなマスコミが今回の一件にどう関わってくるのか?
そもそも今回の件で、被害を受けた人は誰もいないだろう。
事件というのは加害者と被害者がいることで成り立つ。
マスコミは単純に、あった事を正確に伝えるというのが本文である。
しかし、今回の一件に限ったことではないが、
マスコミは事件性の低いものでも、重大事件のように盛り立てる要素がある。
私も恥ずかしながら大学を卒業した身であり、論文も書いたことがある。
ただ、今回のような研究者のようなものでは当然ない。
当時私は論文をどのように書けば良いのかわからなかった。
身近な教授に助言を求めたところ、
「色んな人の著書や論文を読みなさい」と言われた。
そして、自分の研究により近い考えを持つ人の本や論文を良く読み、
場合によっては引用することも大切だというのだ。
当然、引用した場合は論文の最後に、どの本のどの部分を引用したのかを
明記する必要があった。
今回の論文問題で言われる「盗用」というのがどういうことなのかは
正直よくわからないが、長く研究している人なら盗用したわけでもなく、
他の論文に酷似するということも、当然考えられるだろうし、
故意にそれが行われたかどうかという、白黒つけること自体が
そもそもナンセンスなのではないかと思う。
と、ここで話しを少し戻すが、今の文章の中にマスコミが我々に植え付けた
キーワードが隠されていることに気が付いただろうか?
「盗用」という言葉である。
この言葉には善意は当然のごとく無いだろう。
研究に対して素人集団であるマスコミは、細胞の存在の真意はわからない。
それでは世間一般の人に伝えるにはインパクトが無い。
そこでピンポイントでこの一件を問題視できるキーワードとして、
この「盗用」という言葉が前面に押し出されることになる。
我々素人が「盗用」というキーワードを聞いたらどう思うだろうか?
当然「悪いことをした」という風にしか思わないだろう。
でもそれは今回の問題の根本的焦点とはかけ離れた、ズレたものである。
我々がズレた視点でしかこの問題を見ることができなくなったのは、
全てマスコミの報道の在り方にあるのだ。
今一度考えてほしい。
簡単に見たり聞いたりできる情報が真実だとは限らない。
本質を見るには、それ相応の知識が必要なのだ。
素人が流す情報に、本当に真実があると思うのか?
そんな曖昧な情報に共感し、事実もわからないまま批判はできるのか?
誰かが「悪者だ!」と言えば、みんなが同じ思考になること自体、
狂っていると思わないだろうか?
この狂った時代のマスコミは、真実よりエンターテイメントを求める。
「知る権利」という武器を乱用し、本来ならば悪を叩く目的がズレている。
いかに凶悪犯を作り出し、いかに悲劇の被害者を作り出すのか。
当事者にとってそれはどれだけ苦痛に感じることだろうか。
マスコミが取り上げるべきは「演出されたショー」じゃない。
いかに見る者・聞く者が、正しく考えられる要素を作るか。
本質がわかった上で、物事について考えられる選択をさせてくれるだけでいい。
固執した考え方を植え付けるような報道なら必要ない。
そんなくだらないものなら今すぐ辞めてしまえばいい。
そんなくだらない情報に振り回されている日本という国は、
もっとくだらないのかもしれない。
みなさんはこの一件についてどうお考えだろうか?
そもそも我々一般人には理解すらできないような科学のお話だが、
今回の論点になっているのは、細胞が本当にできたのか?という部分と、
それに肉付けされたように、論文の盗用疑惑などが問題となっている。
人それぞれ様々な印象を受けたと思うが、この裏側に一つ重大なことがある。
それは、マスコミの「情報操作」とも言える、報道の在り方だ。
当然マスコミ自身も、この細胞についての知識も論文に対する興味も、
今回の問題が発生しなければ、知ることも知ろうとすることもなかった
そんな素人の集まりでしかないだろう。
我々一般人と、ほとんど変わらないであろう。
では、そんなマスコミが今回の一件にどう関わってくるのか?
そもそも今回の件で、被害を受けた人は誰もいないだろう。
事件というのは加害者と被害者がいることで成り立つ。
マスコミは単純に、あった事を正確に伝えるというのが本文である。
しかし、今回の一件に限ったことではないが、
マスコミは事件性の低いものでも、重大事件のように盛り立てる要素がある。
私も恥ずかしながら大学を卒業した身であり、論文も書いたことがある。
ただ、今回のような研究者のようなものでは当然ない。
当時私は論文をどのように書けば良いのかわからなかった。
身近な教授に助言を求めたところ、
「色んな人の著書や論文を読みなさい」と言われた。
そして、自分の研究により近い考えを持つ人の本や論文を良く読み、
場合によっては引用することも大切だというのだ。
当然、引用した場合は論文の最後に、どの本のどの部分を引用したのかを
明記する必要があった。
今回の論文問題で言われる「盗用」というのがどういうことなのかは
正直よくわからないが、長く研究している人なら盗用したわけでもなく、
他の論文に酷似するということも、当然考えられるだろうし、
故意にそれが行われたかどうかという、白黒つけること自体が
そもそもナンセンスなのではないかと思う。
と、ここで話しを少し戻すが、今の文章の中にマスコミが我々に植え付けた
キーワードが隠されていることに気が付いただろうか?
「盗用」という言葉である。
この言葉には善意は当然のごとく無いだろう。
研究に対して素人集団であるマスコミは、細胞の存在の真意はわからない。
それでは世間一般の人に伝えるにはインパクトが無い。
そこでピンポイントでこの一件を問題視できるキーワードとして、
この「盗用」という言葉が前面に押し出されることになる。
我々素人が「盗用」というキーワードを聞いたらどう思うだろうか?
当然「悪いことをした」という風にしか思わないだろう。
でもそれは今回の問題の根本的焦点とはかけ離れた、ズレたものである。
我々がズレた視点でしかこの問題を見ることができなくなったのは、
全てマスコミの報道の在り方にあるのだ。
今一度考えてほしい。
簡単に見たり聞いたりできる情報が真実だとは限らない。
本質を見るには、それ相応の知識が必要なのだ。
素人が流す情報に、本当に真実があると思うのか?
そんな曖昧な情報に共感し、事実もわからないまま批判はできるのか?
誰かが「悪者だ!」と言えば、みんなが同じ思考になること自体、
狂っていると思わないだろうか?
この狂った時代のマスコミは、真実よりエンターテイメントを求める。
「知る権利」という武器を乱用し、本来ならば悪を叩く目的がズレている。
いかに凶悪犯を作り出し、いかに悲劇の被害者を作り出すのか。
当事者にとってそれはどれだけ苦痛に感じることだろうか。
マスコミが取り上げるべきは「演出されたショー」じゃない。
いかに見る者・聞く者が、正しく考えられる要素を作るか。
本質がわかった上で、物事について考えられる選択をさせてくれるだけでいい。
固執した考え方を植え付けるような報道なら必要ない。
そんなくだらないものなら今すぐ辞めてしまえばいい。
そんなくだらない情報に振り回されている日本という国は、
もっとくだらないのかもしれない。