今日は私がどんな道をたどり今の私ができあがり、『アロマ&カラーサロンBirth of Venus』ができたのかを書いてみたいと思います。

 

 

最初は崇高な夢があったのを思い出しました。でもすぐにろくでもない人間に転落するのでご勘弁を・・・

 

 

私が進路を考えた一番最初は中学3年生の時です。

 

 

高校受験に向けてどこの高校を受験するか決めなきゃいけない時期でした。

 

 

私は北海道茅部郡森町という小さな田舎町で生まれ育ちました。

 

 

函館市に中学3年生の時に買い物に行って市電に乗ったとき、電車の中吊り広告に『青年海外協力隊』の広告を見つけたのです。

 

 

その募集要項には発展途上国で医療を行ったり、技術を伝えたりする人たちを募集していました。

 

 

その時私の胸は高鳴り夢中でその広告を見て興奮したのを覚えています。

 

 

青年海外協力隊の応募資格は建設や土木の技術者や医者や看護師の医療資格者が含まれていました。

 

 

私にもできそうなのは『看護師』だなと思い、それから看護師になりたいと思うようになりました。いま思えばこの頃から『奉仕』したいという思いがあったのだなと思い出しました。この頃からセラピストになる道を辿っていたのかも知れませんね。

 

 

そして看護師になるのに適した高校を選び始め、函館市にある私立遺愛女子学院がちょうど私の入学する年から看護コースができたのでそちらの高校を受験して入学しました。

 

 

この高校は北海道民なら知っている人も多い名門お嬢様学校です。

 

 

 

入学当初は学年で50番以内に入りクラスでも5番以内に入っていたりと成績もまあまあ良かったのですが、ここからが私の破天荒さが顔を出してきます。

 

 

女って、と言うか人間って好きな人がいて恋をしていないと人生楽しくないじゃないですか!

 

 

勉強より恋いに走ってしまったんですねウシシ

 

 

そのうち看護師になるより好きな人と結婚したい方が先になっちゃって、高校3年生の受験シーズンまっただ中に「受験やめて就職したい!」と親に言ったところ、学費がこれ以上かからないし女の子には学歴はいらないと考えている親だったので喜んで承諾してくれました。

 

 

でもこの年はちょうど就職氷河期で就職したくても就職がなかったのです。

 

 

 

そして母方の家系なのか夜の世界には抵抗もなく興味があったので、そのまま札幌のすすきので寮付きのニュークラブでホステスとして働くことになりました。

 

 

 

白衣の天使に憧れた少女が当時流行っていたジュリアナ東京のような格好をして、患者ではなくて酔っ払いの接客をすることに。

 

 

9時になったら真っ暗で人っ子一人歩いていないような田舎から、ネオンが煌々と光り輝く眠らない街すすきのに出たものだから、18才の私には刺激的でこんな楽しすぎる世界があるんだろうかと思い毎夜遊びまくりましたね~。

 

 

で、高校3年生の受験を諦めた彼とはどうなっかと言うと・・・札幌に出てきたとたん付き合っていたことも忘れ私の中ではなかったことに(笑)

 

 

それほど毎日が楽しくて楽しくてしょうがなかったんです。

 

 

ろくでもない限りを尽くしました。いま思えばあの頃が一番お金を持っていたような・・・

 

 

「宵越しの金は持たねぇぜぇ」とか言いながら毎夜豪遊しまくりでお金を使い果たしていました。

 

 

いま思えばこの経験も私には必要だったのかなと思います。

 

 

次回は夜の世界から抜け出す頃を書きたいと思いますニコニコ

 

 

 

Birth of Venus~今の私ができるまで②

 

 

 

 

アロマとカラーサロンBirth of Venus

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