それでも私はピアノを弾く | 月猫の主題による狂詩曲(ラプソディ)

月猫の主題による狂詩曲(ラプソディ)

ピアノのこと、フィギュアスケートのことなど、きまぐれに綴ります。

最近見たTVドキュメントでとても衝撃的だったのがこちら↓

 

言わずと知れた1985年のショパン国際コンクール覇者。

当時大フィーバーで、周辺のピアノ愛好家はこぞって

ブーニン様キャーラブラブラブラブラブラブ飛び出すハート

だったのを覚えています。

 

私はそういう流行っているものが逆に受け付けない

あまのじゃくな性格(一部例外あり)であるということと

あのめちゃくちゃ速いスピードの演奏に

反感を感じていたので、全く興味がありませんでした。

コンサートにいくこともなかったです。

 

それが、近年になって何かの機会にTVでブーニン氏の演奏を

聴くことがあって、その変化に驚きました。

あの速いだけの演奏に柔らかさや丸みが

加わっていたように感じられたんです。

 

演奏活動真っただ中の西ドイツへの亡命、

2013年に突然演奏ができなくなって表舞台から姿を消したこと、

持病との闘い、突然の怪我、ピアニスト生命の危機、

ショパコンで優勝してちやほやされているとばかり

思っていた彼の人生にこんな波乱万丈の出来事が

あったとは思いもよりませんでした。

 

こんな状態にあってもなお、ピアニストとして

再起しようとする意気込み。

それでも以前ほど思うように弾けない苛立ちと闘いながら

復帰公演を目指して練習していく姿は非常に胸を打ちます。

 

もう自分の演奏で収入を得る演奏家ではない、

と話す場面がありました。

それでも人前で演奏しようとする、その意味は何か。

 

こんなブーニン氏を陰ながら支え、励まし、

一緒に歩んでいかれるのが奥様の榮子さんです。

ブーニン氏の奥様が日本人ということは

知っていましたが、現在日本にも自宅を持ち、

ドイツと日本を往復するという、

日本と関わりの深い生活を送っておられたことも

初めて知りました。

 

しかしこの榮子さんのサポート力が凄い。

言い方を変えればコントロールの仕方がうまい。

励まし方、復帰するためのモチベーションの持たせ方、

体調管理等々パートナーたるものの鑑のような奥様です。

(私はこんな風にはなれないあせる

 

復帰に向けて選んだ曲はシューマンの「色とりどりの小品」

(すみません。知りませんでした)

9歳の時に初めて聴衆の前で披露した思い出深い曲だそうです。

初心を思い出して、また子供の頃から今までの様々な出来事を

想い、考えながら弾かれるのでしょう。

 

榮子さんがコンサートの演奏を聴きながら

こんなに楽しんで弾いている姿は久しぶりだとおっしゃったことが

とても印象的でした。

 

もし、関西でブーニン氏のコンサートがあれば

今度は聴きにいってみたいなと思います。

 

この番組は11月5日に再放送されるそうです。

(復帰公演の完全版は11月6日23:20~の放送)

あまり感想を書いてしまうとネタバレになってしまうので

興味のある方は是非ご覧になってくださいね。