クライアントさまが
「いま別に悩みがないっていうかそれなりにやれてるし〜」
っておっしゃったんですね。
まあセッションって悩みがないとやっちゃいけない
ってもんでもないので、なんとなくやってみようかなという感じで
来るかたもいるんだけど。
でも、お話ししているうちに、
「大きな課題」が浮上してくることも多いです。
「いま、それなりに幸せ。数年前に比べたら今はマシ」
みたいな、過去の悪かった時と比べて今をみたりするのは、
下をみて安心するというか、それなりの幸せでいいことにしなさいと
自分に言い聞かせている、ということかもしれません。
足るを知る、という言葉は
「身の丈に合った幸せを知りなさい」
という意味なのですが
それは、
「多くを求めず、今くらいで幸せだと思いなさいよ」と
捉えられてしまうこともありますよね。
それも間違いではないかもしれないけど
そこを
「自分に与えられた才能や環境を感謝して活かしなさい」
と解釈してみたら、また新たな選択肢が出てくるんじゃないかなって
思うんですね。
数年前と比べたら今はそれなりに幸せ、って
言うのは
「今の自分が最高!」って言ってるわけじゃないですよね。
だとしたら
「最高の人生」を体験できる可能性があるのに
「それなりの幸せ」でいいよね、って妥協してるってことになります。
本当の本当にそれでいいのかしら。
もっと、自分の才能を活かすこともできるのに
「それなりの幸せ」という枠の中で
そこにとどまろうとするのは、もったいないかなって思うのです。
そういうと「いや~今更ね~」とか
「もう若くないしね~」とか仰るのだけど
チャレンジするって年齢は関係ないし
いくつになってもチャレンジしている人って
イキイキと輝いているなって思います。
「足るを知る」
とは
「今、自分が持っている足りているところ(才能、環境)を知り
感謝してそれを生かす」
としてみる。
もっと、自分の可能性を知ることができる。
もっと、自分がチャレンジすることにOKを出してあげられる。
自分の可能性を生かすも生かさないも
自分の気持ち一つだな~って思います。
前と比べたら今はマシ。
って言っている自分に気づいたら
それって妥協してるってことかもしれないなって
考えてみてください。
あなたはもっと、自分の才能を発揮できるのかもしれません。
もっと、自分らしく生きることができるのかもしれません。
もっと、最高の人生を選べる可能性を
持っているのかもしれませんよ!
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