今日も出張講座でした。
ちょっと内容書けないかな。
深すぎて。
そういえば過去記事で
なんかそんなの書いたことあるな~
って思って、探してみました。
これ↓2014年に書いた記事です。
怒りと憎しみを愛という名の諦めで封印してしまうということ
大切な人だから
大好きだからこそ
そんな人に裏切られたと感じてしまった時には
大きな憎しみになってしまうこともある。
そんな憎しみを持ってる自分に自分自身が
「あの人だって大変だったんだよ、仕方なかったんだ」
と言い聞かせて無理やり納得させようとする。
本当は許せないのに
大人ぶった自分が自分の怒りを封印する。
封印して封印して
いつかきっとわかってくれる日が来ると信じて・・
頑張ってきた。
でも、その日は来ないのだ。
「あ、絶対にその日は来ないのだ」って
気づいてしまった時の絶望感を
想像できるだろうか。
体験した人にしかわからないだろうが
想像を絶する苦しみだろうと思う。
今までの自分の頑張りを全て否定され
かすかな希望は打ちのめされ
どんなに頑張っても絶対に
自分の思いは受け入れられることはない、という
現実を突きつけられることは
この世から自分を消してしまいたいくらいの
感覚なんだろうと思う。
そこから立ち上がるのは
並大抵のことではない。
それでも生きていかなくてはいけないのだから
生きるって過酷だ。
許せない自分がそこにいるのなら
許せない自分であることを許してしまってもいい。
許せなかった思いをそのままにして
「もういいや」って許したことにしてしまったら
それはただ「見えなかったことにした」だけ。
本当に辛い時は
一時的に「見えなかったことに」するほうが
楽なこともある。
でも、それは
見えないことにしただけで
本当はそこにあるんだよね。
あるならあるって認めちゃえばいい。
見えないふりしてたけど
本当は、どうにもならない憎しみがありましたって
言ってみればいい。
憎しみを封印したまま
表面的に笑ってにこにこしてるほうが
気持ち悪いよ。
本音の感情を出したっていい。
それが、どんなにドロドロで
汚いものだったとしてもそれでもいいよ。
そのドロドロの中を見る勇気が出てきたとき
ドロドロの中にある「本当の自分」が輝き出すのだと思う。
一人で見れないときは
一緒に見てあげるから。
大丈夫だよ。
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