世の中のたくさんの人たちが
「自分らしく生きたい」という。
そもそも
自分らしいって一体なんなのだろう。
ただあるがままに自分というものを眺めようとしても
鏡に映る「私」は、実態のない偶像のように見え
それを眺める「私」が
あ~、肌荒れが!!みたいな感情体で私を創り出す。
そうやって、自分というものを観測することで「私」は出来上がり
自分がそうみたいもので「私」は出来上がり
人と関わり合いを持つことで「私」というものを観測されて
「私」はこの世に「在るもの」となる。
人との関わりの中で
お互いに感情の交錯があって
その感情体を私が私の中で眺めることで
「私」は自分が何を思い、何を表現したいのか、を観測し
そうやって「私」は創り出される。
人との関わりの中で
「私」より「相手」にフォーカスすると
とたんに「私」はいなくなり
相手の感情を引き受けることになったり
相手の人生をなぞることになる。
「私」というものを
知ろうとすればするほど
それは実体のないものになっていく。
「私」というものが
人にも観測されず、自分にも観測されていないのなら
それは「在る」にはならず
どこまでもどこまでも
何もない、穏やかな海の水辺線を
眺めているだけになっていく。
「私」とは
そんな何もない存在。
ただ、あるがまま、になっていくと
穏やかに存在が溶けて消えてしまう感覚になる。