先日のこの記事
の中で、
人を観る、ということについて
こんなふうに書きました。
過去記事より↓
以前の私は「困ってる人を探していた」のだと思います。
今はね、
「助けてあげないといけない人なんてひとりもいない」
って思ってるんです。
多分、これだけの違いです。
これについてはまた追々書きますね!
セラピストさんには大切なことだと思います。
↑ここまで
セラピーを仕事にする、ということについて、です。
禅タロットの講座に来てくださる方の中にも
セッションに来てくださる方の中にも
「人の役に立ちたい」という思いをお持ちの方がいらっしゃいます。
人の役に立つ、ってすごくすごくいい響きで
それ自体は悪いことじゃないんですが
「人の役に立ちたい」という思いの裏には
「人の役に立ててない私はダメ」という
隠れた気持ちがあることもあります。
この気持ちが強く出過ぎると
「人のために」エネルギーを使うこととなり
何とかして、目の前の人を「助けてあげたい」って
思いすぎてしまうのですね。
以前の私は
「ここをこうすれば大きな変化が始まる」って見えるとき
何とかして、それを変えようと頑張ってました。
でも、私のその強い気持ちとは裏腹に
当のご本人様は、いろんな言い訳を持ってきては
変わらないことを選ぼうとする。
で、私は「ここをこうすれば変わるのに、なんで~?」って
怒りさえ湧いてくる(笑)
ご相談されるかたは、
変えるために本気でご相談しているつもりでも
いざ、変えますよ、と、方法をお伝えすると
いろんな「できない理由」を掲げて
動けないパターンから抜け出そうとしない。
これって、「本気じゃなかった」ってことなんですね。
まだまだ、いつものパターンの中で
悩んでいたかった・・ということです。
それなのに、私だけが「本気で」
変える方法を考えてる(爆)
ね。余計なお世話してますよね。
目の前の悩んでる方を、助けてあげたい、と
強く思ってしまうと
この本気度の違いに精根尽きはてます。
動かない、と決めているものを
何とかしてどうにかして動かそうとしてしまっているのですね。
で、倒れる。のです。
私が、「人助けしたい私」から抜け出せたのは
視点を変えたから、です。
どんな視点なのか~についてはまた書きますね~。