先日から、

眠らせていた、

2022年元旦の下書き記事を、

掘り起こす作業していた時、

その未公開記事前後の、

公開記事を読んでみた。

 

 

先ず、

2021年大晦日の記事から、

ピックアップ。

 

 

一部抜粋。

 

 

先日、姉と電話した際、

有り難き、気付きがあって。

新しい年を迎えるにあたって、

改めて、旧式な私との決別を、

姉に宣言し心に誓いやした。

 

本当に本当に、

どんな時も、どんな場面でも、

そして、誰であっても、

私は、わたしを貫く。

目くそ鼻くそを脱却する!!

 

2022年の自分は、

ようやく「わたし」で生きていく、

始めの第一歩な年であると思っていて。

 

書きたいことは、

色々とあるけど、年内のうちに、

この誓いだけは記しておきたくて。

 

 

姉との何気ない会話から、

「他者との関わりの中、

自分の意見を抑え言わない」

という自分が、まだ蔓延ってるなと、

ふと、気付いて。

 

 

そういう自分に、

辟易として脱却したいのに、

まだ、類友のようにいる自分は、

目くそ鼻くそやなと感じ、

もうそれは嫌なので、脱却宣言した。

 

 

「わたしを貫く」

 

 

これは、

30代後半辺りから、

薄っすら気付き始めていたテーマで、

どんどんグラデーションが、

時間と共に濃くなっていき、

今現在も、ずっと継続中のテーマ。

 

 

個人家族社会、

コミュニティの大小に関わらず、

どれも変わることなく、

一貫して己を貫くこと。

 

 

私は、このテーマに、

自分でも、わからないような、

悲しみの願いに近い感覚の、

叫びみたいなエネルギーがあって、

今となっては、過去生絡みから、

来てるんだなと。

 

 

で、この大晦日の記事は、

事が起きる30分ほど前に、

UPしていて。

 

 

実にタイムリーに、

まるで、これから起こることが、

分かっているかのように、

自分に渇を入れるかのように、、

決意表明を書いてて、面白いなと。

 

 

そして、

ようやく「わたし」を生きていく、

始めの第一歩の年になったのも、

本当に、その通りになっていて。

 

 

必然の如く、

その第一歩を、

新年早々の日を跨いですぐに、

事が起こったから、私は踏み出せた。

 

 

少し前にも、

歯に衣を着せ、

事の起こりに関連づいた話を、

書いたことがあるけど↓

 

(2023.7.23の記事)

 

私の性の在り方。

 

 

ハートのエースの記事で、

多分、初めてかな?

性の在り方に、

少しではあるけど、

メスを入れられたような、

始めの第一歩を記せた。

 

 

それまでの私は、

ここ(ブログ)で、性に関することは、

触れる気もなかったし、

ずっと、そのつもりだった。

 

 

でも、

そこをスルーしている以上、

わたしを生きているとは言い難く、

本来のわたしが存在している、

とても大切なコアな部分。

 

 

性以外のことは、

大概、記してきて、

でも、一番、わたしらしさの在り方、

本当は、輝きの根源であるにも拘らず、

そこを伏せているなと、

今年の流れで感じてて。

 

 

その秘めてきた事を記すことは、

本来のわたしで存在し、

堂々と生きていくエネルギーを動かす、

大きな大きな、第一歩となるから。

 

 

ただ、そこには、

色んな事が絡み合っていて、

一言では言葉にできないから、

今後、ゆっくり書いていく予定。

 

 

そして。

 

 

なんで、

ずっと書けなかったことが、

今になって書けるのだろう?と、

ふと、思うと。

 

 

やはり、

今年の流れの「彼の帰還」、

それが大きな原動力。

 

 

彼が還って来たから、

魂の想いや目指していることや、

事が起こることの意味など、

色々、分かるようになってきて。

 

 

この世の目線じゃなく、

魂の目線、宇宙目線というか、

全体的にみていると、

それは全て、愛でしかない。

 

 

なぜ、こういう自分で、

こういう流れになっているか、

全部、わかるし、

魂の計画、演出通り、完璧だなと。

 

 

この世の一般目線では、

一見、よくは見えなくても、

全体から見たら、あーなるほどと。

 

 

人生の時間をたっぷりかけて、

大がかりな壮大な演出ねって。

 

 

てか、

前置きは、これ位ににして。

 

 

どこまで表現できるか分からないけど、

とりあえず、自分の精一杯の表現で、

書いてみようと思う。

 

 

2022年の元旦のあの日。

 

 

2021年12月31日から、

2022年1月1日へ、

新たなる年へ跨いでいった頃、、

だったろうか?

 

 

とにかく、

大晦日から新年の際のような、

移り変わるような時間。

 

 

長い長い年月、

ずっと持ち越してきた、

(上にも書いた)

私の性の在り方⇒夫婦の形の結論、

所謂、ファイナルアンサー、

最終結論が沸き上がった時間だった。

 

 

簡潔にいうなら、

夫婦間の性の不一致の、

カテゴリーになるんだろうけど。

 

 

身体の相性とか、

そんな分かりやすい問題じゃなく、

最早、それ以前の話で。

 

 

性に対する価値観とか観念とか、

そういうものとも違って、

もっと、本能的な部分の相違。

 

 

私が、それを必要としないことが、

最大の原因で。

 

 

私は、普通だけど、普通じゃなく、

男女としての、身体の結びつきは、

必要ない人間で。

 

 

(これも、追って後日書く予定)

 

 

で、これは、

前置きしておきたい。

 

 

私だけでなく、

旦那さまにも関わる事なので、

これだけは、声を大にしたく。

 

 

人間としての健全なことなので、

そこに非がある話ではないし、

至って、普通のことが、

噛み合わないということ。

 

 

根本的原因は私ではあるけど、

1ミリも、旦那さまの非がないか?

といえば、そういうわけでもなく、

どっちもどっちで。

 

 

どちらが悪い良いと、

決めるものではないと思うし。

 

 

で、普通あるあるなら、

そんなに性の不一致なら、

離婚すれば?になるけど、

そうならないのも、

すべて計画通りで。

 

 

地球目線では、

色々とうまくいかない小細工が、

随所に施されてるけど、

それは魂の目的、使命に近いかな?

使命を果たすには、

このうまくいかない形がベスト。

 

 

互いの持ち寄る課題は、

魂が決めたstoryを、

カタチにするための魂計画。

 

 

話を戻すと。

 

 

私は、とっくの昔に、

性の時間は終わっていて、

この不一致感は、私の人生に、

いつも横たわっていた。

 

 

(これらに関する話も、また後日)

 

 

その限界がきたのがあの日で、

大晦日を越して新年を迎え、

ゆっくり寛ぎたい私が、

お断りしたことで問題が勃発し。

 

 

その時、

旦那さまのイラっとした態度に、

(結構、控えめ表現にしてる↑)

私のスイッチが入った。

 

 

私、こういう時のイライラが、

ずっと嫌で嫌で。

 

 

この時の私は、

それまで流してきた嫌な感情を、

流すことが出来ず、、

 

 

自分でもびっくりするぐらいの、

私の内なる怒りが湧いて、

それは、魂の叫びで、

間髪いれず、旦那さまをどやした。

(どやすといっても、

殴るではなく、お叱りです)

 

 

毎度の恐ろしい嫁降臨。

 

 

新年から、

予想外のエネルギー使っちゃって、

どんよりだったけど、、

 

 

「長年の私に、

決着の時が来たんだな。」

 

 

そう感じて、鬼嫁降臨の後、

様々な想いが巡りまくって寝付けず、

寝たんだか起きてんだか、

分からない時間を過ごした。

 

 

今日は、ここまで。

 

 

☺︎