セニョリータの人生は! (既婚者ですが・・・)
私は、幼少の頃よりテニスをしており、高校生の時は北海道で3年連続優勝し、高校卒業後は大手の実業団チームに所属し、日本中、世界中の試合に出場しました。
20歳くらいの女の子が一人で、イタリア、スペインへ2ヶ月くらい行ってテニスの試合に出るのは、言葉も通じなくインターネットも無い時代でしたので、とても寂しく、苦しかった事を覚えています。
しかし、夢があり、同じ志を持った仲間が居たので辛くは無かった。
「あなたには世界ランキングを取るなんて無理でしょう」こうゆう事はよく言われた・・・・・悔しいね。
言葉はバネなる。
私は、テニスで世界ランキング390位を取った。
テニスを通して得た仲間や経験は、その後の私に大きな影響を与えているようだ。
テニス引退後は、OLや派遣社員、ワーキングホリディでカナダに1年間住んでテニスコーチをした。
どれも楽しく、自分にとっては新しい世界だったが、いまいちシックリこなかった。
一生の仕事になるような資格を取ろう!と思った。
社会の為になる資格で、ずっと出来る仕事。
食べれる資格。
26歳の時、「看護師になろう」と決めた。
周りの人達は、「何言ってるの?あなたには無理でしょう」こう言った。
テニスをしていた時にも、同じ事を言われた。悔しいね。
周りの人って、自分に出来ないことを他人にやって欲しくないから「無理」っていう。マイケルジョーダンが本に書いていた。
私は、平成20年に「看護師」の資格を取得した。
社会人になってからの勉強や極貧生活は本当に苦しかった。
しかし、同じ夢や希望を持った仲間が居たから途中で逃げ出すことは無かった。
語り合った日々は、宝物になり今も看護師を続けることができている。
私にとって夢や希望って叶えるものだし、ただの「目標」だと思ってる。
私の新たな目標は、今後の生活を豊かなものに変えること。
テニス選手の頃、よくヨーロッパに行った。
ヨーロッパは、時間がゆっくり流れていて、日本ほどガツガツ動いていない。
そのせいか精神的にゆとりがあり人間が穏やかだ。
家族を大切にしていて週末には必ず集まり、1ヶ月の休みがありバカンスにも行く。
私は、こうゆう生活を望んでいる。
看護師の仕事は、やりがいがあり好きなのだが、人の死に向き合うことが多く、辛く悲しい。
人間にとっての非日常が、看護師の私は日常なのだ。
苦しんでいる人を看護することは、自分の精神も吸い取られている感じがする。
1年のうち1ヶ月か2ヶ月の休みがあったらどうだろうか?
もっといい看護師になれる気がするのだ!
そのためには、経済的に自由になる必要がある。
そして、、
もっと大切なことは、
経済的に自由になりたいと願う仲間がいてモチベーションを上げていくことが。
このブログを充実させて、たくさんの仲間と繋がって新たな目標を実現させたい!
「仲間・時間・お金」 欲張りな私には、全部必要不可欠なのです。笑
一緒にどうでしょうか?
天気の良いイタリアにパスタ食べに行きませんか?
イエローナイフでオーロラ見ませんか?
美味しいお茶を飲みに台湾行きませんか?
時間も、お金も気にすることなく、好きなだけ堪能したい。