【こうのとりのゆりかご 宮津さんのお話】
2022年春に自身の生い立ちについて告白した宮津航一さん。
先日、全国養子縁組団体協議会主催のお話会にオンラインで参加させていただき、「こうのとりのゆりかご」に預けられた宮津航一さんのお話を伺いました。
昨年熊本県慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」の視察に伺い、設置の経緯や、どのような思いで運営しているのか、実際にどんな方が預けにきたり、相談に来ているのか・・・と現場の「リアル」を伺いました。
宮津さんはこうのとりのゆりかごが開設された初日に預けられました。病院が当時想定していた赤ちゃんではなく、多少の受け答えのできる「幼児」の年齢でした。
ゆりかごに預けられた時に、名前のわからなかった航一さんの名前を付けたのは当時の熊本市長です。
その後航一さんは里親家庭に行き、高校2年生の時に里親さんと普通養子縁組で「親子」になったそうです。
航一さんが、本当に素敵なんです。
預けられた子どもが、こうして発信をすることは、非常に意義深いと思っています。
全ての子どもたちの育ちが支えられる社会にしていきたい、と心から思います。