望む未来へナビゲート☆
ココロの調律師、石黒沙織です
〜プロフィール〜
小学生の時から、運動大好き、勉強大好き、ピアノ大好きで、
何でものめり込む好奇心旺盛タイプ。
自分で言うのもどうかと思いますが、挑戦することは何でもできてしまう優等生でした。
しかし、小6の時に、クラスの女子にいじめられます。
昨日まで仲良く遊んでいたお友達に、突然無視され、悪口を言われ、バカにされる毎日に。
母にたまたま叱られた時だったか、ある日の夕方、
近所の河川敷に一人座り、泣いていました。
川の流れをぼーっと見ながら、
「みんなに死ねって言われてるし、本当に死んだらみんなどう思うかな」
そこは札幌で大きな豊平川の上流。当時はそんなに整備もされていなくて、死亡事故が何件か起きていることも知っていました。
「けど、何とも思わないのかな」
しばらく川の流れを見ていてふと思いました。
「私、大人になったら、いじめについての講演会やろう。だから死ねない。」
本当に死ぬつもりはなかったとは思うし、
母の愛情はわかっていたので、死ぬのをやめて家に帰りました。
中学生までは、学年1位を誇り、地元では優等生と言われていました。
けれど、
高校からは、勉強よくわからないってなってきました。
「頭が良い」と言われるのが何となく嫌だったり(今なら言ってもらっても大丈夫ですw)、
かと言って勉強できなかったら私は無価値なのではと思ったり。
大学では勉強が難しく、周りの人のレベルについていけず、
卒論に追われ、
一応頑張ったけれど国家試験に落ちてしまいます。
母が原因不明の病気を持っていたことから、医療関係を目指し、
薬学部に進学していたのです。
薬剤師の資格がないまま、総合病院に勤めることになりました。
落ちることはわかっていたので、就職は辞退を申し出ていたのですが、
薬剤部長が「働きながら国家試験合格を目指した方が、現場もわかっていて有利だろう」とおっしゃってくださって。
資格がない私は、同期よりも倍努力しなければならない!と覚悟を決めたことが仇となります。
周囲から浮き気味、ある人からは目をつけられ、とても居心地の悪い思いをしました。
アウェーの私のことを味方してくれる方もいらっしゃって、
特に私を応援してくださった直属の上司がいました。
おかげさまで、国家試験には合格し、
晴れて薬剤師として仕事ができるようになった矢先、
その上司に突然の不幸が起こりました。
そのことが引き金となり、
朝起きても、どうしても職場へ向かえない…
やっとの思いで職場へ連絡し、職場の精神科受診を勧められ。
「うつ病」と診断されたのです。
うつ病はシャレになりません。
自殺念慮の症状もありました。
「死にたい」のではなく、「今この5秒後も生きれない!」という苦しさ。
今思い出すだけでも吐き気がします。
症状が少し落ち着いた時から、必死に心の勉強をしました。
どうにかして、うつ病を治したかったのです。
主治医には「治るまでに5年10年かかると思った方がいい」と言われましたが、
薬の知識と心の知識と、後の夫となる彼氏の愛情により、
1年で薬物治療を卒業できました。
私の命を救ってくれた彼と結婚し、
かわいい娘二人も授かりました。
次女が1才7ヶ月になった時から、薬剤師として復帰。
自分に自信が持てないあやふやな私は、
すぐに職場でいじめられます。
私の何が悪いんだろう…
いじめは小6、高2の時に大きいのがあって、それ以外もちょくちょくあったので、
いじめられ体質なんだと一種の慣れのようなものも。
(実際、いじめられてばかりということを公表することで、また嫌われるんじゃないかという恐れもまだあります。)
だけど、
「そんなに辛い思いして働くことない」
何より、またうつ病になることが一番怖い!
私は決めていました。
うつ病にだけは絶対にならないって。
だから、
ある程度はその環境でいろいろ最善を尽くすけれど、
限界になる前には転職しました。
けれど、行くとこ行くとこで、職場の人間関係に悩まされることが多々あり。
娘が小学校に通い出し、PTA活動に携わります。
PTA役員になり、PTA会長の話がきた時に、
「子どもたちのためにできることがあるなら、自分にしかできない何かがあるとしたら」と思い、引き受けました。
薬局では、職場の人間関係で悩んでいて、
「あの人に嫌な態度をとられないようにするにはどうしたら良いか?」「あの人が不機嫌にならないようにするには、どう行動すれば良いか」という課題ばかりで、
「患者様のために何ができるか?」という本当に考えたいことが考えられず、悔しかったです。
(あー!、その時の私に、今の私がカウンセリングしてあげたい!!!この思考、すぐ変えてあげられる)
そんな時、私が勤めていた会社で契約していたコンサルタントの方のセミナーを受けていて、衝撃を受けました!
「そっち側に行きたい…コンサルタントのような仕事がしたい!!」
また、そのコンサルタントの方に「私がPTA会長を務めている小学校が学級崩壊を起こしている」と話していたところ、
「石黒さんにぜひ会ってほしい人がいます!」と
大嶋啓介さんの講演会を紹介してもらいました。
大嶋さんにも小学校のことを相談していたら、なんと!小学校に講演に来てくれることになり、
その授業を聴いてくれた学年が見事に元気に!!
ますます自己啓発セミナーのようなことに憧れが強くなりました。
それに、薬剤師をしていて、薬より心だと日頃から思っていたので、
もっと心にダイレクトに訴える仕事をしたいと、思い切って薬剤師を辞めました。
けれど、憧れのコンサルタントや心理カウンセラーは、自分にはできないと思い込んでしまっていたのです。
とにかく自信がない、自己肯定感の低い私は、そんな職業は到底できないと思っていたようです。
自分は占いをやりたかったのだと、タロットやスピリチュアルな能力について勉強し、講座を受け修得しました。
占いが好きなことも嘘ではありませんでした。
ただ、うまくいかないのです。
占い師をやっていても、お客様へのメッセージに言葉が詰まることが多く、なかなか軌道に乗らない。
どうしてもうまくいかず、
自分と向き合い、自分を掘り下げているうちに、
心理学の先生と出会います。
心理学こそ、自分がやりたかったことだと、気づくしかありませんでした。
もう逃げ場はないようだ。
ずっとやりたかったこと。けれど目を背けていた。
本当は嫌われたくなかった。本当は自分の心の傷に向き合うのが怖かった。怖くてしょうがなかった。
けれど、やっぱり心なんだ。
私は、目を背けるのをやめました。
心のことこそ、私が一番やりたかったこと!
薬局で、
目の前の患者様が、少しでも元気になるようにと、お一人お一人と向き合ってきたのは、
患者様の心を元気にしたかったのです。
うまく行くかどうかなんてわからない。
やってみないと。
自分の夢を叶えてあげることを決めました。
子どもたち、患者様、家族、全ての人が、
心豊かになるだけで、
健康も、幸せも、夢も手に入る。
私のような苦しみは、誰にも味わってほしくない。
決心を固め、ココロの調律として事業主届けを出しました。
人は笑顔になれたとしても、心から笑っていないと悲しい笑顔になる。
そんな人をたくさん見てきました。
心が癒され、心から輝く人がたくさん増えて欲しい。
お客様と、直接お会いしたり、オンラインで話したり、
ココロの調律個人セッションにより、
私の使える知識や技を全てを提供し、
お客様には、より豊かな幸せを手にしていただきたい。
そのためには、
私ができることを日々積み重ねて、
必要な方に届くように、活動を続ける。
いじめを受けている時も、私は思っていました。
いじめている人こそ心が悲鳴をあげている。(正義感が強いのでw)
虐待をしてしまうお母さんなど、助けが必要なのはそんな親御さんだとか。
(母と意思疎通が滞って苦しんでいた時期もあったので。ちょうどうつ病の時期です。
母の言葉に傷ついて辛かったけれど、母の状況を理解した時、私は涙が止まりませんでした。)
全ての人が、心豊かに!!
将来は、セミナーや講演会を開いたり、本を執筆するなどして、
よりたくさんの人に心の大切さ、素晴らしさを届けていきたいです。
こうして振り返ると、
私がここまで来れたのは、たくさんの人に支えられたからだということにも改めて気づかされます。
家族をはじめ、全ての出会いに感謝です
最後までお読みいただき、ありがとうございました