こんにちは松田さおりです
これから初めて販売にチャレンジする方や、今よりもっとスムーズに営業したいという方に向けて、
『それって、今買えますか?』と言われて売れるハッピーセールスをお伝えしていくために、まずは自分史ブログ書いてます
前回のブログはこちら
チーフになって、ほっと一息つく間もなく、ますます仕事漬けの毎日を送っていた私。
日に日に仕事量も責任も増える中、毎朝9時半には出社し、帰りはいつも日をまたいで、終電に飛び乗って帰っていました。
『最初の2年は、仕事に没頭して力をつける』
そう決めて頑張っていた私には、ひとつの人生設計がありました。
2年間は集中して仕事を頑張り、一人前の仕事ができるランクまで上がったうえで、25歳で結婚30手前で出産
というプランです
当時会社には、オーナー以外、既婚者がいませんでした。
なぜなら、創業4年目ということで、まだスタッフみんなが若かったということと、”デキ婚”の人はいたのですが、まだランクが低かったため、おそらく家庭と仕事の両立は難しいだろうということで、本人としても会社としても、暗黙の了解として、退職になっていました。
ですから、結婚しても仕事を続けるには、ある程度キャリアを積み、会社にとって”なくてはならない人”になっておくことが大切でした
会社にとって必要な人材になれば、結婚しても仕事を続けられる待遇を考えてもらえるのでは…
やはり、家事との両立になると、今のように午前様まで働くことは不可能だし、やり方を変えなければならない。
そのためには、自分がめいっぱい現場で働くランクは越えて、部下を作って指導できる立場になっておく必要がありました
どの道、女子ばかりの職場。
誰かが、既婚者でも働ける道をつくらなければならない。
それなら自分がやってもいいんじゃないか…
という思いからでした。
なので、入社して2年、文字通り仕事、仕事、仕事…で頑張りました
友達との飲み会はおろか、何ヶ月もデートすらできないような忙しさでした。
でも、自分で決めたこと体力的には大変でも、やりがいや成長を感じられる仕事は、すごく楽しいものでした
ただ、何かに向けて頑張ろうとすると、”出る杭は打たれる”もので、中には私の足を引っ張るような噂をばらまく友達もいました
一瞬落ち込みましたが、今何か言い返すよりも、2年後、自分が成功していることが何よりの見返しだと自分に言い聞かせ、マイナスの相手はせずに、とにかく自分が良いと思ったこと、やると決めたことを一心不乱にやっていきました。
その成果あってか、入社1年半後には4ランクアップを果たし、月収も入社時より15万円アップ!
同じエステティックグループに加盟している、営業スタッフ約2000名で実績を競う全国大会で、個人で7位にも入賞できました
そして、たくさんの部下を育成し、店長を支えるお店の2番手になりました
そうすると、足を引っ張っていた友達は何も言わなくなり、側には、私を信じ応援してくれる本物の友達が残りました
ここまで来たら、そろそろ結婚を考えても、会社の迷惑にならないのでは…
そう思い、そろそろ結婚に向けて準備を進めることに…。
結婚の話に先立ち、ここでひとつ、結婚に至るまでの彼とのなれそめを…
ノロケたいわけではなく…
後になって考えれば、お付き合いから結婚に至るまで、根深く心に潜む自己否定の観念により、いろんな判断の誤りがあるのですが…。
当時の私にはわかりませんでした
彼との出会いは大学時代。以下M氏と呼ぶことにします。
同じ法学部で、4回生の時ゼミで一緒になり、たまたまグループも同じになりました。
当時私には彼がいたので、当然ながらM氏のことなど眼中にもなく…。
しかも標準語の男子が苦手だった私は、関東出身のM氏と話すのが、どちらかというと苦手でした
なのに、ゼミのたびにグイグイ話しかけてきて、周りの友人からは、『M氏、絶対さおりのこと狙ってるよね~』と言われたり
いい迷惑でしたが、勉強をとても頑張っていたM氏は、ゼミでのプレゼンやディスカッションの場でとても頼れるので、適度に愛想よく接し利用させてもらっていました悪
そして無事卒業に至り、何事もなく過ぎていたのですが…。
私が仕事をやめると決断した12月、いきなり連絡がありました。
私にとっては、メルアド教えてたっけ…?というくらいの存在だったので、びっくり
まあでも久しぶりだし、仕事のストレスでで心が疲弊していた時でもあったので、卒業後、みんなどうしてるんだろう、という思いから連絡を返したのでした。
その流れで一度飲みに行こう!という話になり、美味しいものを食べて飲むのが大好きな私は、軽い気持ちでOKしたのでした
しかし、その飲みの帰り、突然『付き合おう!』と言われ…。
ありがたい申し出ではありましたが、そういう対象としては全く眼中になかっただけに、『今は考えられない』とハッキリお断りしました
そうすると彼は、
『残念~でも、友達としては連絡してもいいよね
』
と…。
もちろん、と答え、それぞれ帰りました。
もちろん、とは言いましたが、普通は告白して振られた相手に連絡なんてなかなかしづらいし、『友達として』とか『また連絡するね』なんて、その場しのぎの取り繕いの言葉だったりしますよね
応える側の『もちろん』も、社交辞令的な…
そう思ってた…私が甘かったのでしょうか…。
何事もなかったかのように、翌日から、むしろ怒涛の如くメールや電話が…
まさかという感じで、驚きつつも、最初は『今忙しいから…』とか『電源切れそう』とか、相手を傷つけないように体よく断りの返事を返していたのですが、あまりにも引いてくれないので、だんだん私も遠慮がなくなり、あからさまに無視をしたり、『いいかげん迷惑
』などと、ハッキリ伝えるようになりました。
それでも、『まだ付き合ってみてもないのに、俺の良さなんてわかるわけないよ』とか『チャレンジするのはこっちの勝手じゃん』みたいなことを言って、全くへこたれてくれません
ていうか、もはや日本語通じてんのかな?というほどの粘り強さ
そんな日々続き、2ヶ月が経ちました…。
もう、あらゆる言葉を使って断っても通じない(動じない)ので、どうすればよいのかわからなくなってきました
このまま電話やメールで話してても埒が明かないと思い、意を決して直接会うことに
会って、話をして、『付き合えない』ということを理解してもらうぞ~
息まいている私の様子を隣りで見ていた双子が、ひとこと、
『もうどう断っても無理なんやったら付き合ってみたら1日でも付き合ってあかんかったら別れたらええし。それならM氏も納得するんちゃうん
』
と…。
『いやいやいや、あんなしつこい奴、一回付き合ってもたら別れてくれへんで』
『でも、付き合わんでも毎日の連絡止めてくれへんのやろ?それに、たしかに付き合ってもないのに判断されるって、納得できへん気持ちはわかる気するけどな~。』
『…。』
『だいたいなんでそんな頑なに断るん?無理やと思っとることがあるならそれを話して、相手が受け止めてくれるかどうかによって判断したらええんちゃうん』
もう、どうすることが正解なのか判断がつかなくなっていた私。
双子の助言を、それもそうだと思いながら、当日を迎えたのでした。
M氏の標準語や、押しの強さや、苦手な要素もいっぱいあったけど、話すうちに人柄は悪くないということはわかってはいました。
ただ、私が一番不安だったのは、猛烈に想ってくれる相手に対して、同じ温度で応えられる自信がない事。
前にもお話したように、傷付くことを恐れて人を思いっきり好きになれない、本気になりきれない自分。
それが分かっているからこそ、本気のM氏に申し訳ない、という思いもありました。
そんな自分の気持ちをきちんと伝えました。
M氏は、少し考えた後で、
『そんなことで悩んでたの?先でどうなるかなんて、今どんなに好きあってる2人でも分からないでしょ?さおりが今は俺のこと好きじゃないのはわかってる。かといってこの先分かんないじゃん。どうしても無理ならその時考えればいいし…。とりあえず付き合ってから考えよう』
と言いました。
『ほんまに無理かもしれへんよ?その時泣いたりすがったりせえへん…?』
『大丈夫!そうならないように、俺を好きにさせる』
一体私の何がそんなにいいんやろう…。
でも、私なんかのためににここまで言ってくれるなら…。
2ヶ月以上にわたる追い込みと、強気発言に押され、付き合うことになったのでした…。
さて、そこからどうなったかというと、マイナスからスタートしたお付き合いというのはすごいもんで、最初から理想や期待がないから、期待外れやガッカリというものがない。
どちらかというと、『こんなこともできるんだ』とか『意外にいいところあるなあ』というプラスの発見が多くあります。
そのうえ、私も新たな仕事に就き、バリバリ働き始めたので、お互い忙しく会えない時間が多く、常に新鮮でマンネリも起こらない。
そんな風に月日が流れ、なんと結婚というところまで行きついたのでした
ちなみに、父母の関係を見て育った私にとって、「結婚」は人生のひとつの通過点であり、結婚に対して『幸せなもの』というようなプラスイメージや理想などはほとんどありませんでした。
ただ、少なからず、父のような人はイヤするなら父と正反対の人がいい
と思ってはいました。
お酒で暴れなくて、遊び歩かずにちゃんと家に帰ってきて、お金をちゃんと家に入れてくれる人
そういう意味ではM氏は理想の人でした。
お酒もそんなに飲めないし、倹約家で、なんといってもマジメ。
そして、何より、結婚後も仕事を続けることを応援してくれる人でした。
そんなこともあり、また、お互い”25歳くらいで結婚”というタイミングも違和感がなかったため、すんなりと話が進んでいき…。
25歳の春
無事、オーナーからも”ぜひ仕事は続けてね”と言ってもらい、また、両家の両親とも”女は専業主婦派”でしたが、頑張ってキャリアアップしたことで、”ちゃんと家事をするなら…”という条件のもと、仕事をやめることなく、思い描いた通りの結婚をすることができたのでした
ようやく息苦しかった実家から卒業
劣等感を植え付ける父からも逃れられた
これからは、伸び伸びと自分らしく人生を歩んでいける…
きつい家族のしがらみから、ようやく解放されたように思えました
でも、周知のとおり、結婚はゴールではなく、スタート
結婚を機に、新たな問題が…
否が応でも自分の心の闇に対峙しないといけない状況がやってきます。
私の人生において、もっとも大きな転換期と言える時期に突入です
幸せは、不幸の顔してやってくる…
続く。
次回のブログはこちら⬇️