こんにちは松田さおりです
これから初めて販売にチャレンジする方や、今よりもっとスムーズに営業したいという方に向けて、
『それって、今買えますか?』と言われて売れるハッピーセールスをお伝えしていくために、まずは自分史ブログ書いてます
前回のブログはこちら
結婚を機に、「今までより早く退勤できる環境に」という名目で、転勤になりました
1年前に出店したサロンで、1年間、スタッフもお客様も定着せず、3000万円以上の赤字をつくっていたサロン
しかも、私がこれまで2年間かけて作り上げた組織やお客様は、すべて前の店舗に置いていくという条件だったので、まさに”裸一貫”というか…またもや全くのゼロからのスタートでした
ひと月に800万~1000万の売り上げを出していた私が、100円の売上を上げるにも試行錯誤する日々…
今までの未入会の方のリストはもらえたので、その方たちに1通1通お手紙を書き、お電話などをして種まきする日々が続きました。
入社以降、
『言い訳一切なし』
『達成は傘下の成果、未達成はトップの責任』
と叩きこまれていた私。
一度『はい』と受けたことは、人から頼まれたことであっても、自分で決めたことと同じ
かなり厳しい掟のようですが、実際、何かをしないといけない時に、いつまでも人のせいにしたり、逃げ道を探したところで、やるべきことはやらないといけない
言い訳してる暇があるなら、『自分で決めた!』と腹をくくって事に当たる方が、よっぽど建設的だと思っていたので、異論はなかったのですが…。
(この根性はきっと、入社後の教えも然り、これまで育ってきた過程で培ったことだと感じています。朝の家事とか…)
実際にやるとなると、なかなかのいばら道…
昨日まで大きな売上を上げて会社に喜んでもらっていた私が、
『で、この3000万の赤字、いつまでにどうすんの』
なんて詰められるわけですから…
どんな手を打っていったかは、話し出すと長くなるのでここでは割愛しますが、
本当に、一本の細い糸をたどるような緻密な努力で、一人のお客様にたどり着き、そこから少しずつご縁を拡げていって成果につなげる…というような
おそらく皆さんがエステに思い描いている華やかなイメージとは正反対の、地味な努力によって一歩ずつ、売上を積み重ねていきました。
いろんなアイデアを実行に移しながら、スタッフとも本音本気でぶつかり合い、お客様からの応援もいただく中で、
2年後、なんとか黒字転換を果たしたのでした
元居たスタッフは全員辞め、新たに育てたスタッフは8人になり、小さな店舗ながら、全国の加盟店の中でも上位にランクインするサロンになりました
信じあえる仲間に出会い、目標を一心に追うことで目まぐるしく成長していた私。
今思っても、一番人間的に変化し伸びていた時…まさに「順風満帆」な時だったと思います
その一方で…。
家庭には不穏な空気が流れ始めていました
前述のとおり、ちょっとでも成長したいとバリバリ仕事を頑張っていた私。
かと言って、家事をほったらかしにしていたかというと、そうではなく。
結婚後も仕事を続ける条件として、”絶対に家事をおろそかにしない”という約束を両親としていたので、朝5時半には起きて弁当&朝ごはん作り、掃除洗濯、晩御飯の仕込みまでやり、帰ってから晩御飯をつくる、という一連の家事は、自分で言うのもなんですが完璧にこなしていました
それは自分で決めたことだし、辛くはなかったのですが…。
夫はというと、結婚と同時に何をどう安心したのか、仕事もスキルアップも、全く頑張らなくなりました
自分が受けると決めていた資格試験も、テキストもほとんど開かぬまま、結局受験すらせずにあきらめたり
暇さえあればゲームばかりして、オンラインゲームにハマり出すと、私が忙しい中一生懸命作った食事すら食べに来ない
そのまま夜中の3時くらいまでゲームしていることもしばしば…
あまりにたまらなくなって反論したり注意すると怒って切れる。暴力を振るわれることもありました
(その他諸々ありますが、すべては語れません)
結婚と同時に、彼は『夫』ではなく『息子』になったのでした。
当然ながら、日に日に、彼に対する『尊敬』の念はどんどんなくなっていきました
まだ、「好き」「キライ」と言って怒ったり泣いたりしてるうちは相手を想っているし、期待があるからこそ生まれる感情ですが、『尊敬がなくなる』というのは相手に対して『興味』『関心』がなくなり、感情が『無』になることなので、ここから関係を回復させるというのはかなりの難題
尊敬がなくなってしまったら夫婦でいるのはかなり厳しくなる
早めに手を打たねば…
と、いろんな努力を始めました。
知人が薦める「視える」という方に視てもらい、夫婦にまつわる悪因縁を断ち切り、良い守護を得るために…と、高額な印鑑を買ったり、
風水のプロにアドバイスをもらって、玄関に盛り塩をしたり家中の床を塩水で拭いて清めたり…。
お金や手間をかけても、それで状況が良くなるならと、でき得る限りの努力をしました
でも、お金よりも何よりも、一番きつかったのは、自分を責めてしまうことでした
これは、仕事を頑張っている方にありがちなことなんですが、あるランクまで上がってくると、絶対に人のせいにはしません。
常に『自分に目を向ける』、『相手は自分の鏡』と学び、実践していくので、仕事以外の部分でもそれをあてはめてしまい、何か問題が起こった時に『私の何が問題なの?』と、自分の中に原因を見つけようとして、とことん自分を責めるようになります
ゲームばかりさせてしまうのは私の言動や行動のせい
夫が努力しなくなったのではなく、彼を見る私の目が厳しく偉そうになっているのかな
すぐにキレるのは、私の言い方のせい
そんな反省を繰り返し、行動を変えようと努力を重ねるも、何も変わらない現状にますます落ち込むばかり…
もはや、自分の何がいけないのか、分からなくなっていました
その一方で、夫は何を悩むでもなく、行動を変えるわけでもなく、マイペースに過ごす日々…
そんなある日、ついに夫から受けたケガで病院に行くことがありました。
診察でお医者さんから、
『どういう状況でケガしたの?』
と聞かれ、初めてハッとしました
もし、ここで『夫に殴られて…』と言ったら警察に通報とか行くのかな…
というか、これはもしや世間的に言う『DV』になるのでは…
幼い頃から父に度々殴られていたために、それまで気付かなかったのですが、あんなに仲が悪い両親でさえ、父が母を殴る姿なんて見たことがない、と思ったのでした。
もうこれは、私ひとりで解決できる問題ではないのかもしれない…
それに、たくさん努力したけれど、もはやこの先、夫に『尊敬』を取り戻すなんて、絶対に無理
でも、まさか離婚なんて…自分の人生において考えたこともなく…
離婚になったら、私に関わる周りの人たちにどれだけ迷惑を掛けることになるんだろう…
当然、ものすごく悩みました
でも…もう限界が来ていました
当時、母は病気を患っていたため、余計な心配をかけたくなくて、まずは父に「離婚するかもしれない」とメールを送りました。
当然父が飛んできて、話をすることに。
実は、私はそれまでの4年間、一切、夫のことについて家族に言ったことがありませんでした。
自分の身内に言うのはフェアじゃない気がして、何かあった時には、意を決して相手の両親に相談していました。(全く何もしてくれませんでしたけどね)
なので、最初は父も、『しょうもない夫婦喧嘩こじらせたんやろ~』くらいに構えていましたが、話が進むにつれ顔色がどんどん変わり、「暴力」の言葉の後には、即、
『それはあかん一回わしが話する。場合によっては離婚になるかもしれんな…』と。
ちなみにこの時初めて、父が父親らしく見えました
後日、私の夫と直接話をした父から、
『あれはあかん離婚の方向で話進めよ』
とメールが…。
そこから、離婚に向けて別居や清算など、事を進めていくことになるのですが…。
まさか離婚を突き付けられると思っていなかった夫の、往生際の悪さがものすごく…
今まで何度、話し合いをしようとしても耳を貸さず、スルーし続けた夫。
初めて事の重大さに気付き、”そこまで悩んでいるとは思っていなかった”と慌てふためき、”今後、態度を改めるから…”とすがりつく始末
そして、すがっても無理だと悟ると、今度は恨みに転じ、どうにかして私を苦しめようと、訳の分からないお金の請求をしてきたり、毎朝超ロングメールでおそらく思いつく限りの阿鼻雑言を送ってきたり…
人間、追い込まれた時に本性があらわれると言いますが、その夫の対応を見て、
『離婚を決意したことに間違いはなかった』
と、確信したのでした
『離婚は結婚の100倍大変』と言いますが、まさにその通り
ときに、精神的に辛すぎて涙が止まらなくなったり、お店の朝礼に行けなくなったりした日もありましたが、この時にオーナーから頂いた教えがすごく支えになりました
『公に生きていれば、私事はおのずとととのってくる』
四六時中悩んでいたからって問題は解決しない。
どんな状況でも、まずは目の前のやるべき事、人のため、社会のために精一杯尽くすこと
そうすることで、悩む時間もなくなり、いつの間にか良きように状況もととのってくる、という教え。
実際、やるべき仕事があったから、気持ちを切り替えることができました
もし、仕事がなかったら、離婚の悩みに一日中心捉われて、鬱になっていたかもしれません
思い切って離婚のことは横に置き、目の前の仕事に全力で取り組むことに決めました
時折、周りの方が心配してくれて、弁護士を紹介してくれたり、裁判所で調停することを勧めたりしてくれましたが、すべてお断りしました。
なぜなら、誰かを恨んだり争ったりすることは、イヤだったからです
どんな状況であれ、恨みや争う感情で生きていたら自分の運ツキを逃してしまう…
仕事でスタッフやお客様にも迷惑をかけるかもしれない
それに、弁護士を通じて争ったりすれば、夫の気持ちを逆なでするだけ。
一日も早く平和的に離婚するためには、1日も早く夫に幸せになってもらうしかない。
夫の幸せを祈り、あとは天に任せよう
完全に、自分の心から離婚に対しての執着を放しました
そうして仕事に邁進し、2年が過ぎた頃、1通のメールが…。
『本日、離婚届を提出しました。』
夫から、たった一言のメール。
間違いではないかと、何度も見返しました
喜びではやる気持ちはありましたが、ぬか喜びになってはいけないと、真実を確かめるため翌日役所へ
戸籍を取り、除籍を確認!!
やった~~~
2年という歳月はかかりましたが、会って言い争うこともなく、1秒の無駄な時間も費やすことなく、1円の理不尽な請求金額を払うこともなく、家族無事に平和に解決に至ったのでした
公に生きていれば、私事はおのずとととのう
神様、ありがとう~
2年経ち、日々元夫の幸せを祈っていた私に、恨みの感情は1ミリも残っていませんでした。
それよりも、少なからずこの結婚がなければ学べなかったこともたくさんあり、この経験をさせてもらえたことに、感謝の気持ちすら湧いていました
離婚自体は決していいことではないけれど、その経験をどう捉えどう活かすかは自分次第
少なからず、この時の『ヤッタ~!』という喜びは味わえなかったわけだから…
『幸せは不幸の顔してやってくる』
また一歩、人の痛みが分かり、成長できるチャンスをもらった私なのでした
続く。
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自分史47 変わるなら?…今でしょ!