こんにちは
松田さおりです
今、これからやりたいことのために自分史ブログ書いてます✏️
前回のブログはこちら
双子で生まれた私は「さおり」と名付けられ、すくすくと育っていきます。
なぜひらがなで「さおり」と名付けたのか?
後に名前の由来を母に聞くと、
「さあ~?なんでやったかな~?」
という、なんとも残念な答えが返ってきました
(小6の時、自分の名前の由来を親に聞いてくる、という宿題が出され、
答えがなかったのはクラスで私だけでした…泣)
やっぱり四女ともなるとそんなもんか…。
とりあえず双子だから似た名前をつけたのかな~。
ちなみにもうひとりは「かおり」です。笑
さて…
生まれてから3歳までの間、母の実家のある三重県で、
父の働く会社の社宅で暮らしていました。
さすがにこの頃はあまり記憶がありませんが…
足がローラーになっていてコロコロ動くキリンさんの乗り物があり、
その背に乗って背伸びをして、一生懸命窓の外を眺めたり、
雷が鳴ると怖くて、大きい図鑑を引っ張り出してきて自分の周りに囲いを作ったり。
あとなぜか、
母と双子の3人で、お昼ご飯によく納豆ご飯を食べていたことを覚えています♪
なんせ、とっても穏やかでのんびり過ごしていたように思います。
が!
私自身の記憶にないだけで、
3歳になる手前に、事件は起こったようで…。
母が、遊んでいる双子の側を少し離れて、戻ってきたら突然ひとりが倒れていた。
しかも意識がなくグッタリ。
コケて頭でも打ったの?何が起こったの?
しかもタイミング悪く、父(夫)は釣りに出掛けていて、家には自分しかいない。
当然母はパニックになり、
たまたまお隣に住んでた奥さんが看護師さんだったらしく、
慌てて呼びに行くと、
運よく奥さんが在宅されていて、倒れている私の状態を見てくれ、
「かおりちゃんは預かっておいてあげるから」、と
救急で病院に行くように促してくれたそうです。
病院に着くと、ほっとする間もなくお医者さんから、
「今は何とも言えませんが、検査の結果によっては開頭手術もあり得ます。
その時はお母さんが承認をお願いします」
と言われたそうで…。
今みたいに携帯電話なんてない時代。
釣りに行った父には連絡のしようもなく、
自分ひとりでそんな大事な判断をしなければならないのかと思うと、
本当に不安で心細かったと、のちに母から聞きました。
さいわい、検査の結果は脳出血などではなく、ひきつけを起こしただけ、ということで
事なきを終えたそうですが…。
母はその時、「いざという時、男は頼りにならん!!」
と悟ったそうです。笑
そんなこんなで、本人、身に覚えがない間も、
たくさんの方の手を借りて、無事に生かしてもらっていたのでした。
ほんとにもう、感謝しかありませんね!
ありがたや…♡
さて…
この後は、生まれた地「神戸」へ戻ります。
私の「モノゴコロ」の基礎を築いた時代。
三重ののんびり生活とは180度違う、下町じゃりんこ生活に突入です!!
続く。
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