N響に拒否されたマエストロがNHKに立派な追悼番組を作らせる! | santos008jpのブログ

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 追悼番組は2002年のウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」と2016年のサントリーホールでのメーターとの「共演」である。華やかなニューイヤーコンサート・・・アンコール曲「美しき青きドナウ」の冒頭、楽団員から様々の言語で新年の挨拶が有り、コンサート・マスターからは日本語で「新年明けましておめでとう」の声が小澤にかけられる・・・、そしてマエストロはドイツ語で・・・、最後の(アンコール定番)「ラデツキー行進曲」では、踊るように、歌うように、流れるように観衆と一体となる。まさに世界の小澤を決定付ける場面で有った。

 その昔(1962年)、ヨーロッパで高い評価を得ていた青年は、N響の指揮を半年間任される。しかし、東京芸大出身が多くを占める楽団員にとって、まだ新設大学のイメージが強かった桐朋学園出身の小澤の実力には懐疑的だったという。ある日、小澤の指揮の下演奏されたベートーベンのピアノ協奏曲で、ピアノのソロ(カデンツァ)の途中、小澤は指揮棒を上げてしまう。これは、楽曲への理解のなさを露呈してしまう致命的なミスであった。その後、楽団員との齟齬は増えて行き、最後には楽団員によるコンサートのボイコットにまで繋がる。しかし、見方によっては、若きマエストロに対するN響の権威主義的な対応と感じる向きも有り、小澤にとってはそれ程のダメージとはならず、権威主義を嫌うアメリカの楽団に受け入れられ、名門のボストンフィルで長く音楽監督を続ける。そして、オーケストラの最高峰の一つで有るウィーンフィルのマエストロにまで上り詰める。

 NHKは、N響との確執に関しては当然のことに無かった事として扱っているが、2時間以上に及ぶこの追悼番組は、このマエストロに対する最大級のリスペクトと言えよう。後半は、小澤と同じく東洋に出自を持つ(インド出身)マエストロ、ズビン・メーターとの共演を流したのも意義深い。小澤は、クラシック音楽を、日本にとっての輸入品から輸出品へと変えた功労者で有る。そして、このメーターとの共演は、クラシック音楽が世界のものとなった事を如実に表している。

 

ウィーンのクリスマス・イルミネーション