愛川欽也さん、死去。 | 三井三太郎オフィシャルブログ「三太郎のここだけの話」Powered by Ameba

三井三太郎オフィシャルブログ「三太郎のここだけの話」Powered by Ameba

三井三太郎オフィシャルブログ「三太郎のここだけの話」Powered by Ameba

昨日の悪い予感が、当たってしまいました。ガーン

愛川さんは、一昨日に肺ガンで亡くなって居た事がわかりました。

80歳でした。



今朝、本人の希望による密葬が、済んだ後、事務所が、発表した。

実は、去年、肺ガンである事がわかり、ひっそりと治療を続けて居たと云う。

愛川さんは、負けず嫌いでしたからね。

今月7日になっても、奥さんの、うつみ宮土理さんが、「風邪を引いて、少し咳が出て、今は休んでおります


が、『早くロケに行こう』と、そればかり言って居ます。次の映画制作に意欲を燃やして居ます。今まで私


は、のんきに生活させてもらった分、今は思いっきり甘やかせています。」と、コメントして居たのが、よく解


ります。

私が初めて愛川さんに、お会いしたのは、旧フジテレビ河田町の第4スタジオ、「なるほど!ザ・ワールド」


の収録現場でした。

当時の愛川さんは、ビッグに、なりつつ有る頃でしたが、俳優座仲間で、加藤剛さんや、平幹二郎さんら


が、先に成功して有名になる中、自分には、中々チャンスが来なかった!との思いが、強かった様で、自


分が司会をする「なるほど!ザ・ワールド」に、平幹二郎さんが、ゲストで出演した時には、やたら、「平


君!」「平君!」と呼び、誰もが、ゲストに対して、失礼だ!と感じたが、プロデューサーも、愛川さんに、直


接、注意しづらくて、頭を抱えて居たのを思い出します。

収録中は、かなり緊張して居た様で、「はいっ、CMです。」と、一旦、裏へ、引っ込むたびに、必ず水を飲


んで居たのも印象的でしたね。


楠田枝里子さんは、余裕しゃくしゃくでしたけど。

後、長野へドラマのロケに行った時に、当時、私は、師匠、クレージーキャッツ谷啓の運転手をして居たの


ですが、谷啓の、馬鹿でかいアメ車マーキュリー「グランドマーキス」を、見て、「よっ、三太郎! 良い


ねぇ、その車、谷さんのだろ、でっかいなぁ! 乗り心地はどうなんだ?」と聞いて来たので、「いやぁ、乗り


心地は最高ですよ、サスペンションのバネが、メッチャ軟らかいので、高速を、走って居ても、道路の繋ぎ


目の「ゴトン、ゴトン」と云うのが全く感じないんですよ。」と、答えたら、そのすぐ数週間後に、


愛川さんも、アメ車に乗り換えてしまって居た事も、懐かしく思い出されます。


(当時、谷啓が乗って居た、マーキュリー・グランドマーキスと同じ車種)

(カーセンサーネットより)



あと、そんな愛川さんらしいエピソードを、一つ紹介します。

秋元康さんの師匠の、Oさんと云う大物放送作家から聞いた話なのですが、初めて愛川さんと会った時


に、愛川さんがまだあまり売れて居ない時期だったので、愛川さんは、Oさんを「O先生!O先生!」と呼ん


で居たんだそうです。

それが、愛川さんが少し売れはじめた頃に、テレビ局の廊下で会うと「Oちゃん!」になり、その後、更に有


名になって行くと、「よっ、Oっ!」と呼び付けになり、看板番組を複数持つ様になった頃には、「おいっ、お


前っ!」と呼ぶ様になって居たそうです。目

いやぁ、愛川さんらしいなと、笑ってしまいましたよ。ニコニコ

芸能界らしいですよね。

売れた者アップの天下!!

でも、そんな愛川さんを、側で見たり、愛川さんと親しかった黒沢年雄さんから、子供の頃には、貧乏で、


「野球の選手か、俳優になり、絶対に金持ちになってやる!」と生きて来た事、横浜の藤棚から、野毛の


高台に住む様になり、更に高級住宅街の山手に、引っ越し、いよいよ、東京に住むぞ!と、世田谷へ、家


を建てた話等を聞いて、もの凄く当時の私に、生きるバネと、夢を与えてくれた事に感謝して居ます。




キンキンに、合掌!