4Bのえんぴつと初心 | フェアリーメンのオーラ・サード・アイ透視鏡 意識画面共有サード・アイ  オーラ鑑定    

フェアリーメンのオーラ・サード・アイ透視鏡 意識画面共有サード・アイ  オーラ鑑定    

いつも、ブログを見て頂いてありがとうございます。僕への問い合わせは、mailto:nature.santaman@gmail.comにお願いします

今日の僕の体温・・・・・36.6度・・・・・・・・・・

 

昨日は、コロナ開けでの直接セッションの日だった・・・・・・・

今まで、電話鑑定が主でした

 

でっ・・・・・・・・・・

自分が初心に戻らなければいけないと感じ・・・・・・・・・・・

鉛筆を、久しぶりに買いにいった・・・・・・・・・

久しぶりに、文具に鉛筆を買いに行った・・・・・・・・・・・

僕が、小学生の頃は、HB、B、Hぐらいだった・・・・・・・・・・・・

小学生の時に、Hの鉛筆を持っているだけで、男はHになれるぜって

同級生時代、冷やかしていたものです・・・・・・・・・・・・・苦笑

それで、文具屋さんに行って、鉛筆を探していた・・・・・・・・・

 

4Bの鉛筆は、不思議と未だに予備を数本持っていた・・・・・・・

文具屋さんに4B以外の鉛筆を探しに・・・・・・・・・・

 

文具屋さんに行くと、3B、4B、5B等の鉛筆はあったけど・・・・・・・・・・・・

僕が使っていた青い鉛筆がなかった・・・・・・・

その当時でも、鉛筆如くに350円以上だった・・・・・・・・・

そこの文具屋さんでは、高くても150円だった?

僕は、頭を傾げたけど、久しぶりに鑑定では、鉛筆に戻そうと思っていたからね

ネット鉛筆を探していたら・・・・・・・・・・青い鉛筆はあった

やっぱり、1本360円だった・・・・・・・・・

良い鉛筆は、紙の上では綺麗に描けますからね

それも、気づきを頂けました

 

オーラ鑑定を始めた頃・・・・・・・・・・・・

 

色鉛筆50本入りの大きな箱を、リュックに入れて鑑定をしていた・・・・・・・

その頃の自宅は、豊川にあったから・・・・・・・・

名古屋の大須の鑑定に行くには・・・・・・・・・・・

自転車をこいで10分・・・・・・・・・・

それで、飯田線に乗って、名鉄線で行き

その後は、名城線に乗って、上前津に行き鑑定する場所まで・・・・・・・・・・

 

今から思えば、自宅から上前津まで、約2時間弱だった・・・・・・・

急ぎの場合は、車で乗って東名高速を使い鑑定場所まで・・・・・・・・・・・

それでも、1時間前後だった・・・・・・・・・・・

その頃は、まだ、若くて40代だったからこそできた事もあった・・・・・・・・・・・・

 

鑑定の拠点は、蒲郡のラグーナと、名古屋大須だった

また、東京、横浜、大阪、広島、京都まで、イベントで行っていた・・・・・・・・・・汗

1日での鑑定は、35人以上・・・・・・・・・・

1時間で、4人、ひとり15分の鑑定で、

朝10時から夜7時までの9時間だった・・・・・・・・・

食事する時間もなかった・・・・・・・・・・・

でも、朝から、しきりに鑑定での列が僕の為に並んでくれた・・・・・・・・・・・・

 

こんな自分を支えてくれたのは、前の奥さんだった・・・・・・・・・・・・

鑑定に並ぶ長い列を、予約表で受付をしてくれていた・・・・・・・・

前の奥さんにも感謝ですね

こんな僕でも、何度も心折れた時もあっても

母親的に支えてくれた・・・・・・・・・・・

本当に、今でも感謝ですね

占いとか、スピリチュアルにも無関心だった僕・・・・・・・・・

オーラが見えるようになれたのも、彼女の存在でした

それで、オーラが見えれるならば・・・・・・・・・・

蒲郡のラグーナに行きなさいって、僕の背中を押したのも彼女存在

 

その当時、僕が仕事で独立した頃・・・・・・・・・自分の家の家計

火の車状態で、子供、女房にも負担をかけていましたからね!

 

それで・・・・・・・・・・・・

オッサンが、ラグーナで多くの人が行違う場所に

長テーブルに座って、怪しげな占い行為事で、座っている事態・・・・・・・・・・・・

僕には、信じられない光景でしたからね・・・・・・・・・・

 

でも、当時は・・・・・・・・・・・・

単なるオーラスケッチ屋さんだった・・・・・・・・

その頃は、メッセージすら、僕は聞けなかった・・・・・・・・・

 

オーラのスケッチを描いているだけで

毎日、不思議と長蛇の列で、人々は並んでいた・・・・・・・・・・

その頃も、今もかなぁ・・・・・・・・・・・・・・

よくわからない状態で、必死でオーラスケッチを描いていた

絵も未だに、下手くそでね・・・・・・・・・・・・・苦笑

 

横浜でのイベント・・・・・・・・・

当時、スピリチュアル・コンベンションの日・・・・・・・・・・・・

省略すると、スピコンというイベントだった・・・・・・・

 

始めて、横浜でのイベント・・・・・・・・・・

僕が、鑑定する長椅子の隣に座る予定の場所・・・・・・・・・・・・・

 

なっなっなっと・・・・・・・・・・・・

今でも有名な「ミカエル」さんだった・・・・・・・・汗

僕は、10時には、席に着いていたけど・・・・・・・・・・

ミカエルさんは、まだ、席に着いていなかった・・・・・・・・・

なんらかの事で、まだ、到着していなかった・・・・・・・・・・・

 

でも、それでも・・・・・・・・・・・・・

超スゲっ~て思えたのは、僕の鑑定するテーブルに・・・・・・・・

ミカエルさんを待つ・・・・・・・長蛇の列が・・・・・・・・・・

10分前後ぐらいで、ミカエルさんが席に着かれてから流れが変わった・・・・・・・・・・

有名な人のオーラは、さすがに違うと感じた・・・・・・・・・

 

ひとり分だけ、ミカエルさんのセッションを運よく受けれる事ができた

隣のブースから、移動して、僕は、席に座った・・・・・・・・・

 

なっなっなっんと・・・・・・・・

ミカエルさんからの一言・・・・・・・・・・・・

「こんな僕で良いの」と言われた・・・・・・・・・・・・

僕は、頭を傾げた・・・・・・・・・

僕は、色々質問を投げかけた・・・・・・・・・

その時は、僕はどんな事を話しをしたけど・・・・・・・・

ミカエルさんという存在で、我を忘れて、覚えていなかった

 

ちょうど・・・・・・・・・・・1999年の終わる頃

色々質問した中で、ひとつだけ覚えている事・・・・・・・・・

「わからん・・・・・」という一言だった

 

でも・・・・・・今でも思えば、僕もわからない・・・・・・・・・・・・に尽きる

それは、たぶん、僕にとっての永遠のテーマでしょうね

 

その日は、ミカエルさんは、40人ぐらいのセッション・・・・・・・・・・・・

こんな田舎者の僕でも、35人だった・・・・・・・・・・・

単なるオーラをスケッチしてのメッセージをするだけで・・・・・・・・・

どこの馬・・・・・・・わからなぬオッサンの存在だったからね

 

今思えば、毎日が学びの日々・・・・・・・

もちろん、今でも毎日が学び・・・・・・・・・・

 

今思えば、こんなオッサンの為に鑑定に来てくれたと思います

まして、占いの勉強と言う勉強もしていなかった・・・・・・・・・

ある意味で、未だにそれに近いですね!汗

 

最近、新規事業だとか・・・・・・・・・・・・・

鑑定、音楽製作だとか、他からの仕事の誘い・・・・・・・・考える事が多くて

コロナ明けで、久しぶりに直接セッションした・・・・・・・・・・・・

新しい鉛筆を持ってね・・・・・・・・・・・・・・

2時間近くのセッション

来てくれた方には、曇る顔が明るくなるようになって、喜んで帰って頂けた・・・・・・・・・・

 

昨日は、なんだか、疲れている自分がいた ・・・・・・・・・

 

その中で・・・・・・・・

自分の人生って何だろうと・・・・・・・・・・

自分がいったい何をしたいのかと思ってしまった・・・・・・・・・・

 

今日の朝、仏壇前で・・・・・・・・・

くいてならぬというメッセージを頂けました

 

この言葉で・・・・・・・・・・・・・・

悔いるではなく・・・・・・・・・・・・

すべてに酬いる事がすべて成りとって・・・・・・・・・・・・