『私の身近にあるこの微温い、好い匂いのする存在、その少し早い呼吸、
私の手をとっているそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき
取り交わす平凡な会話、―そう云ったものを若し取り除いてしまうとしたら、
あとには何も残らないような単一な日々だけれども、―我々の人生なんぞと
いうものは要素的には実はこれだけなのだ、そして、こんなささやかな
ものだけで私達がこれほどまで満足していられるのは、ただ私がそれを
この女と共にしているからなのだ、と云うことを私は確信して居られた。』
堀 辰雄 『風たちぬ』
八ヶ岳山麓のサナトリウムで、不治の病の床につく恋人に添いながら、
主人公の心は、常にゆり動いているように見えます。上の文章のような
割り切った、悟り切ったような心情であるかと思えば、「生の快楽」と
表現したそういう状態、それが本当に満足すべきものであろうか?と
自問したりもします。
章のまとめ方にも独特のものがあり、堀辰雄の固有の世界を楽しむ
ための、代表的な作品であるといえます。
写真は、ある山中を無目的に散策していたとき、突然目の前に現れた
廃校のような建物です。古き時代を連想させるものとして切り出しました。
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