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さんすけのつぶやき

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台湾の人は、どうして親日なのか?



日本統治をしていた頃、強制的に日本語を覚えさせられたのに。


その時の様子が、映画とはいえ当時そうだったのかと思わせたのが、YouTubeに載ってた「先生媽」。



これを観たので、自分の感想を綴ってみたい。




日本が台湾を統治した時、台湾人が日本語を話せるよう、

「国語教習所」

を設けた。

そして、一家が日本語を話せるようになったところは自己申請し、合格すれば

「国語家庭」

という表札を貰えた。それを表玄関に掲げる事が、誇らしい事となっていた。


やがて、

日本式の家に住み、

着物を着、

神棚を設置し、

畳に布団を敷いて寝、

名前まで改名して表札を出し、

徹底して日本式に変えていこうとしてた。


主人公は、この地で医師をしている。

一家は、母と妻と大学生の長男、小学生の次男の5人。


大学生の長男は、日本人の同級生の妹と付き合い始めた。

だが、この地に郡守(知事)として赴任する事になった交際相手の父は、激怒した。

日本が統治しているという事で、当時日本人は、本島人といって台湾人を下にみていたところがあったようだ。学校での日本人の子供ですらそうだったようで。

交際相手の父は権力を使い、長男の父(医師)を、左派組織の一員だとでっち上げ引っ捕らえた。

長男は、父は左派ではない。自分も「忠誠皇民」である事を証明するといって、日本軍兵隊として出兵する事を志願した。

そして、父は釈放された。痛め付けられて。


出兵を志願した長男の事を、医師は、心とは裏腹に、人前で光栄ですと言わざるを得なかった。医師の母は、自分から志願した孫を、泣きながら杖で打つ。


孫の出兵を見送った後、医師の母は心身共に衰弱していった。もし自分が死んだら、葬儀は日本式でなく、台湾式でやって欲しいと言い残した。

しかし、亡くなった後、葬儀は日本式でやるようにと日本から命令がきた。


日本式の黒の喪服を着、

日本のお坊さんが日本の念仏を唱え、

日本式の焼香をし、

葬儀は執り行われた。

なんとも違和感のある光景。


ここまで徹底して日本式に強制されることは、残酷に思う。


医師の母は亡くなり、出兵した長男の安否も分からないでいる時、日本の教育を受けている次男が、長男に倣って自分も日本軍になると言い出した。

これまで地域の誰よりも率先して、徹底して日本式に変えてきた医師は、初めて激怒した。

「長男がいなくなって、お前まで!」と。

次男は、自分は「天皇子民だ」と反抗した。医師は唖然とする。天皇の子という解釈が遠くないようである。

この映画の中で一番動揺したのは、台湾の子に、日本の天皇の子だと言わせた事。


医師の母は、亡くなるまで一貫して日本式を受け入れなかった。日本の真似をしたって、家族が日本語で会話してたって、『不是日本人』と通した。

日本式の神棚を設置した時はとても激怒した。当然である。


台湾には、日本語を話せる高齢の方が多くいると聞く。その方たちの親は、医師の母のようにとても抵抗したのだろうか。


日本は、どうしたかったのだろう。

台湾の人の言葉も文化も何もかも日本式にして、日本人にしたかったのだろうか?


結局太平洋戦争に負けて、撤退して終ったようだ。



これは映画だが、当時のドキュメントに近いものと解釈するのは、危険なのだろうか。分からない。ただの娯楽として観るのは、ちょっと無理がある。

中国語をよく分からないので、部分部分分かるところだけ拾って解釈している。当然結構間違ってると思う。分かる人がいたら、教えて欲しいです。


台湾の音楽番組では、若い歌手が日本の古い歌をよく歌ってる。小学生でさえも。日本の若者ですら歌わなそうな古い歌を。

何でだろう。

どうしてそんなに親日なんだろう。


と、今日も台湾パイナップルを食べながら、いろんな事を思ってる。






なんてね。