長男の嫁である姉は、ずっと働いていた。本人はとてもやり甲斐がある仕事で、ずっと働きたかったようである。
それが、義母さんの介護により仕方なく仕事を辞めざるを得なかった。
子は独立し、伴侶は亡くなったばかりで、義母さんとふたり暮らし。
その義母さんは、昨年の12月頃入院していて、ご飯を自分で食べられなくなり寝たきりになった。医師は覚悟して下さいと仰ったそうだ。
ところが、介護のプロである姉は、見舞いに行く度、知っている知識で義母さんをケアしたら、みるみるうちに元気になって、自分で食べられるようになり、立って少し歩ける様になった。
その回復力に、医師も看護師も目を見張り、いろんな人が病室に見に来る様になったそうである。
そして、義母さんは退院した。
身体が自由に動けない高齢者が入れる病院を勧められたそうだが、姉は自宅で介護すると決めた。それにも、医師や看護師は驚いたようである。
何故、大変だと分かっていて自宅介護を選んだか。
義母さんは、姑にしては珍しく、自分の子を差し置いて、いつも嫁の味方になってくれたそうだ。夜勤のある仕事を続けられたのは、義母さんが子供を面倒みてくれたから。その恩返しを、今したいという。
予想した通り、義母さんは段々自分で出来ない事が増え、寝ている時の身体の向きを変えるのにも手助けがいる様になった。夜中に何回も起こされる様にもなった。認知症もかなり進んだ。
春になり、桜が咲く頃、近くの小学校の満開の桜を見せたいという。これが最後の桜になるかもと。その為に中古の車椅子を探して欲しいと頼まれた。
早速中古店に行って、手頃な車椅子があったので、車で1時間の姉の家にその日に届けた。
様子を見に行った時、とても自分には介護出来ないと思った。何をどうすればいいのか、知識が無さ過ぎた。実の娘も、「無理」と言ってたようだ。
寝不足の毎日で、本当に大変なのに、姉の口癖は、
「介護は、愉しくやる。」
だった。
そして、車椅子に乗せて桜を見せに行くというその前日、義母さんは誤嚥性肺炎になり、熱が下がらず、又入院となった。今度ばかりは回復しなかった。桜を見る事は出来なかった。
やがて、先月亡くなられた。
葬式に行ってきた。
98歳で亡くなられたにしては、沢山の方が来られていた。生前、良くしてもらったと感謝を述べる人。近所の子供達が自ら葬式に行きたいと言って来られていた。
沢山の人達に、優しく接していたんだなと分かる。私にも優しかった。兎に角、優しい人だった。
葬式が終わって、姉からはパッタリ電話がこなくなった。
介護が大変になった昨年から、毎日の様に電話がきてた。側にいる義母さんの声も聞こえる。毎日2、3時間は話す。
「毎日よく話すことあるね。」
と、ちょっぴり嫌味を言ったつもりだったが、話すことで気分転換になると言うので、少しは役に立ってるかなと長話しに応じていた。段々、友達なのか姉なのか区別がつかなくなっていた。話す量は9対1ぐらいで、ほぼ聞き役だった。それまでは用件がある時しか話す事はなく、それぞれの生活を過ごしていた。今回は一生分話した気分。それまで知らなかった姉の生き方とか色々知らされた。
それがパッタリ来なくなった。
でも、その事を心配はしていない。
毎日の介護、いつ起こされるか分からない慢性寝不足の中での緊張感。
義母さんが入院しても、いつ呼び出しの電話がくるかも知れない緊張感。
「介護は、愉しく。」
とは言っても、やはり相当無理していたと思う。私との電話でわーっと喋って、心のバランスをとっていたのかな。
だから、ずっと続いていた緊張も解けて、無理して沢山話さなくても、今は丁度いいバランスをとれているのかなと思う。
よく頑張りました。
因みに、義母さんが元気な頃に通っていたディサービス、義母さんを回復させたのを見込まれた県立病院、前職の老人ホームから、是非うちで働いて欲しいと声がかかっているようだ。
忙しくしているのだろう。
私に電話してる暇はない。
良きこと。
なんてね。