見て下さい、たくさんの鍋たちを。

この企画展を知った時、さすが岡谷蚕糸博物館!!と唸りました。

製糸で使われた鍋をリスペクトした企画。専門家がこの鍋について研究発表することはあっても、一般の方に向けて語りかけるって、岡谷蚕糸博物館でしか実現させられないような情熱をびんびん感じます。勝手に感じました。必ず行きたい!と胸ときめかせ、先日やっと伺うことが出来ました。

 

 

 

 

 

伺った日、わたしの一方的な想いが通じたのでしょうか。入館して、さあ展示室へというところで同館専門指導員の林久美子さんにばったりお会いしました。そして、この企画展の見どころを教えていただくことが出来たのです。林さんにお話いただいたことも踏まえ、わたしなりにご紹介します。

 

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岡谷蚕糸博物館 収蔵品展【 鍋、語る。〜繭を煮る、糸を取る〜 】

この企画展は、4月15日(日)までです。

ご興味ございましたら、ぜひお早くご来館ください!

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さて、繭から生糸を作る時には、お湯で繭を煮て、繭1粒から1本の繭糸が出るように糸口を出し、その繭を水や湯の入った容器に移し、そこから糸を繰り出します。そのために用いられるのが煮繭鍋(しゃけんなべ)繰糸鍋(そうしなべ)という道具です。

 

岡谷蚕糸博物館は、こうした道具をたくさん収集しています。そのうち鍋の収集は約150点にのぼります。この生糸づくりの工程はいつの時代も同じですが、その道具の形状は、時の研究開発により進化してきました。この企画展では、江戸時代から昭和初期まで順を追って実際に国内で使われてきた鍋を展示紹介しています。

 

上の写真は、左側から順に江戸時代の展示です。実物の上部壁面には、参考になる錦絵が飾られていますから、比べ見ると当時の糸作りの雰囲気が理解しやすいです。この写真の展示はいずれも長野県有形民俗文化財です。一番左は竃と牛首です。据置きの竃が収集され大切に保管されていることに感動します。その次は、当館でもお馴染の座繰りです。鍋の部分で注目すべきは、据置の竃から移動できる形態の竃(七輪)が出てきたところです。

 

 

 

 

 

 

明治に入ると、蒸気により一編に複数で湯を沸かすことができるようになります。写真中央下部の物体は、そのための蒸気釜です。「ブンブク釜」といいます。竃の上にこの釜を置き、薪をくべて蒸気を発生させ、その蒸気を煮繭鍋や繰糸鍋の水の中へ直接供給して湯を沸かすのです。

 

展示では、そのことをわかりやすく解説したスケッチや、給蒸用カランも展示されていました。ちなみに、このブンブク釜は最近寄贈されました。岡谷市内の畑に長い間置かれていたそうです。気をつけて探索したら、こんなお宝が平成30年でも見つかるのですね。あなどれません。

 

 

 

 

 

 

この写真中央の2つの鍋は、左が煮繭用で右が繰糸用です。鍋の内側面に小さな穴が並列している部分があります。そこから蒸気が出ます。

諏訪式繰糸機では、4条繰りまでは1人の工女が煮繭から繰糸までを一括していました。

 

 

 

 

 

 

生産量の増加に伴い条数が6条、7条、8条と増えてくると、煮繭は煮繭場で一括して行い、桶に入れて配る方式に変化しました。

 

 

 

 

 

 

この企画展では、繰糸鍋の気孔から蒸気が出る仕組みを再現して見せてくれます。

 

 

 

 

 

 

鍋の製造地、伊那市高遠や上伊那郡辰野。

写真は、高遠の丸千組という窯元の製陶風景で、背景に八窯の登り窯が見えます。江戸時代から高遠藩の土管や日常陶器を製陶していた高遠焼は、明治初期から製糸用鍋を焼くようになります。主に諏訪式繰糸機の煮繭鍋や半月鍋(繰糸鍋)を製陶しました。販路は全国に及び、最盛期には100人を超える職工がいました。

 

 

 

 

 

 

明治後期から大正時代へ。諏訪式繰糸機の条数が増えるに伴い、繰糸鍋も大型化しました。また、工女さんたちが効率的に繰糸できるように、半月鍋(繰糸鍋)の直線部分をゆるやかなカーブにしたり、繰糸中の糸が見やすいように鍋側面を黒色にするなど、随所に工夫がされました。繰糸鍋は、鍋職人が1つひとつ手づくりの焼き物で二つとして同じものは無いそうです。製糸工場の規模や生産量に応じて、鍋の形状も違いました。

 

この頃の半月鍋は、形がなんとも愛らしくて好きです。日本の職人が工夫して誕生した形ですが、バウハウス的なデザインだなと眺めていました。解説をいただいて、陶工であることや機能的な形を求めて作られているところが、考え方は似ているのかなと面白く思いました。少しずつ形の違う鍋をぜひ実際に見ていただきたいです。

 

 

 

 

 

 

これは大正時代末から出てきた、岡谷の増澤商店開発の増澤式多条繰糸機で20条繰りの繰糸鍋です。ここまで大型の鍋ともなると高遠や辰野では製陶できませんでした。増澤商店は、鍋製造を滋賀県の信楽に移し、多条繰糸機用の鍋を自社製造しました。重さは100kg近くにもなるそうです。

 

 

 

 

 

 

鍋を焼いていた長野県の産地はその後どうなったのか、他にも明治の繭標本や玉糸製糸の資料、絹のストッキングなど、いろいろ展示品があります。

企画展室の奥は、宮坂製糸所さんの製糸工場へと続きます。こちらの動体展示室は16時までなのでご注意下さい。ぜひぜひ、製糸に関心のある方にオススメです!!

 

 

 

 

 

ちょうど桜が満開でした。今週末は、まだ美しい桜が見られると思います。