西本幸雄監督が亡くなりました。
監督を引退されてもう何十年経っても、西本さんはやっぱり西本監督と言ってしまいますよね。
ここ2、3日いろんな番組や新聞で西本さんの功績を称える特集が組まれていました。
私はABCスポーツで仕事を長いことしましたが、考えてみたら、西本監督との接触はほとんど
ありませんでしたし、近くでお姿を拝見することがあっても、言葉を交わすことはありませんでした。
解説者として甲子園にいらっしゃてたり、安芸のキャンプでお見かけすることはよくありましたが、
西本さんだけはなんか近寄り難い佇まいでした。
安芸のキャンプを訪れた折、行きや帰りの飛行機の便が一緒だったこともありました。
私の性格上、たいていは誰かに紹介してとお願いするのですが、
そんなこと恐れ多くて言えない雰囲気でした。
それだけ偉大な存在だったということだなあ~と今あらためて感じています。
そして、西本さんが亡くなったことで、このところ、
「江夏の21球」
の話題が何度も語られています。
リーグ優勝8回して、一度も日本一になれなかった「悲運の闘将」って・・・・。
西本監督は悲運でないとおっしゃったとか!!
「江夏の21球」、あのゲームは西本さんが一番日本一に近づいたゲームです。
1979年のあの日本シリーズは今なお語り継がれています。
これがきっかけで、30年も前の話ですが、
私は、いろんなことをまるで私昨日のことのように思い出しています。
あの日(江夏の21球の日)は
デー・ゲームでした。
日本シリーズが気になりながらも、私は神戸で仕事がありました。
北野クラブで毛皮のファッション・ショーの司会です。
司会の仕事、岡田真澄さんとご一緒させていただいたのです。
行きだったか帰りだったか、阪急電車の神戸線に揺られながら、携帯のラジオで野球の行方を聞いていたのを覚えています。
あの時の服装、何を着ていたかということまでバッチリ覚えているんですよね。
懐かしいなあ~!!
先週の「ドキハキ」で、
「たえちゃん、記憶力がいいと思うけれど、どうしたら記憶力よくなる?」って
いう質問をいただきました。
私の答えは映像化して覚えていると申しましたよね。
まさにこれなんですよね。
江夏の21球から、この神戸でのことが絵になって、甦るのです。
私の記憶力ってのは、肝心なことはちょっとも覚えてないのであてにはなりませんが・・・・
西本監督が亡くなったということから、
いっぱいいろいろな場面を思い出し、それらを懐かしんだ一日でした。
阪急ブレーブス、西宮球場、近鉄バッファローズ、日生球場、
西京極球場・・・・・
そうそう、小学校の頃、西京極球場で阪急―南海戦を見に行った時のスタンドのヤジを思い出しました。
鶴岡監督で杉浦、野村のバッテリー時代の南海戦です。
「阪急電車、ええ電車! 南海電車、ボロ電車!!」
ひどいヤジですが、スタンドから絶妙のタイミングで入るんですよね。
当時は南海がすごく強い時代でしたから、阪急ファンがこんなこと言って憂さ晴らししたんでしょうね。
南海電車もええ電車やったのに・・・・。
西本さんのご冥福をお祈りいたします。
多恵子