作詞家の丘灯至夫さんが92歳で亡くなったそうです。
丘灯至夫さんって、あまり表に出てこられた方ではなかったなあ~というのが私の印象ですが、
作詞された楽曲をあらためて見るとすごいなあ~と感動してしまいます。
私はこういう仕事をしていますから、「丘灯至夫」という名は昔からショッチュウ目にしてきましたが、
亡くなったということで、テレビに映し出される先生のお顔を初めて拝見したような感じがしたのですよ。
それは、決して初めてではないのですが、それぐらいお姿を見ることがなかったということなのですが・・・・・。
丘灯至夫さんの作詞された楽曲を見て、先生は決して演歌じゃない、
歌謡曲を創ってこられたのだということが解ります。
何時のころからか、邦楽のジャンルから歌謡曲が消えていき、邦楽は演歌というジャンルでひとくくりされる
ようになりました。
が、私は、今のJ-POPと言われるものはすべて、形を変えた歌謡曲だと思っています。
私はあまり彼らを認めたくはありませんが、エグザイルなんて、前にも書いたことがあると思いますが
いくらカッコ付けても、歌謡曲でしょう
ジャニーズもしかりです。
歌謡曲が現代風に進化したものだと私は確信しています。
しかし、J-POPは海外その他の色々な要素をくっ付けてなりたっていますから、複雑ですよね。
今流行のヒップホップ風楽曲もこの歌謡曲の域を出ていない。
ヒップホップなんて文化ですからホンマモンがこの日本で生まれるわけありませんから・・・・・
丘先生に話を戻します。
歌謡曲が全盛期だった頃、それは昭和の時代です。
実にたくさんのヒット曲があります。
当時は一曲ヒットすると、全国民が口ずさめる曲でした。
団塊の世代はビートルズ、グループサウンズ、フォーク・・・・・って思いがちですが、
殆どの人が、「高校3年生」に始まる舟木一夫を聞いていたのです。
「高校3年生」は丘灯至夫作詞、遠藤実作曲です。
そして、私よりもっと前の世代の人たちにも心に残る曲がたくさんあるようです。
ヒット曲の一覧を見て、「あっ!!」と・・・・・
それは岡本敦郎さんの「高原列車は行く」です。
昭和53年頃、ABCのラジオに岡本敦郎さんがゲストに来られ、この歌を、歌ってもらったことがありました。
中村鋭一さんとの番組でした。
岡本さんは音楽学校を出てらっしゃるので、高校で音楽を教えてもいるとおっしゃたことに、
当時若い私はビックリしたものでした。
が、もっと驚いたことは、スタジオで聴かせて頂いたあの歌に、その情景がハッキリ見えたことでした。
そんなことを今、思い出します。
いい歌は、いい歌詞にいいメロディーが必ず付いています。
昨日、紅白の出場歌手が発表されました。
今年もたくさんの曲が創られましたが、
こうやって、50年以上みんなが口ずさめるという歌がありますでしょうか
多恵子